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天皇制国家と女性 日本キリスト教史における木下尚江 みんなのレビュー
- 鄭 【ヒョン】汀 (著)
- 税込価格:4,620円(42pt)
- 出版社:教文館
- 取扱開始日:2013/03/07
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紙の本
今も続く矛盾の構造
2020/12/30 15:01
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ryu - この投稿者のレビュー一覧を見る
一読後の感想としてまず頭に浮かんだのが、「この、木下が格闘した19世紀末~20世紀初頭のキリスト教会や社会主義運動の状況って、ほとんど21世紀の現在のキリスト教や左派の実態と変わっていないんじゃないか」という思いである。
たとえば、終章の注で紹介されているエピソード―幸徳秋水が木下に対して「君、社会主義の主張は、経済組織の改革ぢやないか。国体にも政体にも関係は無い。君のやうな男があるために『社会主義』が世間から誤解される。非常に迷惑だ」と面責した、というもの―は、木下のストレートな天皇制批判(とくにその疑似宗教性)に対してあの幸徳秋水でさえ、問題をきちんと受け止めていないことを示すものである。私たちは、幸徳秋水が後にその当の天皇制権力によって縊り殺されるという歴史を知っているだけに、このエピソードには考えさせられてしまう。
けれど、現代にこれと同じような言葉を口にする個人や運動体が私たちの周囲に存在することもまた知っている。本書は、そういった意味で、現代の社会運動にとっても大きな問題提起をしている内容である。
とりわけ、2015年の戦争法反対運動の中で当時勃興した若者集団に対して原則的批判をおこなった著者に対して、かさにかかってハラスメント的中傷をおこなった者たちの発想と、どこか繋がっていないだろうか。
しかし、それらのことは本書とはまた別の話。
本書の内容は19世紀後半から20世紀にかけての日本社会の中で、とくに木下自身の世界観を決定づけているキリスト教を一本の軸にしながら、廃娼運動、社会主義運動、キリスト教教育などを論点として展開されている。
個人的な話になってしまうが、私自身、かつて十代のころに受洗経験がありその後信仰を捨てる(いや、そもそも持っていたのか、という話だが)ことになった。その信仰に疑問を持つ契機になったのが高校生の頃に触れた反靖国闘争である。そしてその後、大学生になってマルクスを読んで決定的になったのだが、ともかく、私にとってキリスト教と天皇制という問題は、自分の存在の根幹にかかわる課題である。
そんな私にとって、木下がキリスト教信仰を徹底して自分の中で問えば問うほど天皇制批判が徹底していく、という流れはよく理解できるところである。
また何よりも、本書を読んである意味新鮮な驚きだったのが、木下が当時の家父長制社会の中で女性解放の課題にどれほど取り組んでいたのか、という点である。そのことについては、1892年の「教育と宗教の衝突」論争に始まって、禁酒運動、廃娼運動、あるいはキリスト教会の主流派である巌本善治、植村正久、海老名弾正などの人物への批判などそれぞれに著者の丁寧な論考が展開されている。これが本書の核となるところだ。しかし、現実は木下の問題意識を解決できるほどの社会状況にはまったくなっておらず、やがて彼は現実の運動からも離脱していってしまう。
この女性の置かれている状況という点ひとつとっても、その後約100年経った現代、その問題が解決されているのか、という問いを立てると全くそうでないことに打ちのめされる。
しかし、著者も指摘するように木下にも限界があった。女性運動、労働運動とのかかわりをとってもその磁場は「知識人」の域を出るものではなかった。現代の私たちの運動上の語法で言えば「代行主義」的な勘違い、というようなものだろうか。
いずれにせよ、私はもうこれ以上を語ることはむずかしい。それは、木下の原著をもっと読んでからだ。
天皇制批判、家父長制社会と女性、権力としてのキリスト教批判を考えている人にはぜひとも読んでほしい一冊だ。
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