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私がイメージする「戦前」は明治維新から軍国主義までの、どちらかと言えば暗い世の中というものだけれども、最近の風潮では大正モダニズムをもっと積極的に評価しようという流れもあるように思う。それは、江戸時代のイメージを再構築する流れの延長線上にあるのかもしれない。
というわけで、戦前の生活についての本は、戦前の日本が現在と時間的に繋がっている世界であったことを事細かに描いている。もちろん、物事の良い側面や、極端な例を切り取ったという部分もあるとは思うけれども、一例として学べる部分は多い。
こういう系統の本で一番面白いのは『古代ローマの24時間』という本だ。『戦前の生活』の場合、構成がただの蘊蓄話に終始していて、知識としての面白さに比べて読み物としての面白さは後ろにいくほど減っていくと思う。この作者の他の本『ナチスの発明』もそんな感じだったな~と。
でも、読む価値はあると思う。モダンな時代がどういうものだったのか、その多様性はとても参考になる。
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何かとイメージ先行で語られることが多い戦前日本の生活を、きちんと客観的な根拠と数字を挙げて紹介している良書。
自由が制限された暗黒時代……でもなければ、素朴で牧歌的な時代……でもない、娯楽もあれば犯罪もある、今とそれほど変わらない時代だったということなのだろう。
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隔世の感がある戦前は、実は今とあまり変わらないし、美化されている点も実はもっと世俗的だったんだよ、ということを教えてくれる本。
こういうのを読むと、日本もかつては発展途上国だったんだなぁとしみじみと感じる。
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戦前の生活について常識と思っていたことと異なるという視点で書いているのはいいのだけれど、効果を狙い過ぎて正確さに欠けるというか自分の思い込みによる筆のすべり過ぎ・間違いがあるように思う。巻末に参考料を載せているのは良い。
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戦前生まれの人の回想録的なものではなく、戦後生まれの著者が報道記録や統計数値などをもとに、現代の世相と比較したもの。比較については著者の私見がかなり色濃く出ており、そこまで言い切っていいのかと若干首を傾げざるを得ない内容もあるが、独特の視点で興味深いと思う。
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歴史の面白さを気づかせてくれた著者が何人かいますが、この本を書かれた武田氏もそのうちの一人です。
この本は戦前の生活について解説している本で、空襲を受けて焼け野原になってしまう前の、私から見れば思いのほか、恵まれた生活をしていた事実を、62の観点から書かれています。
私の両親は戦前の生まれですが、当時は子供であったせいか、この本で書かれている内容について詳しく聞くことはできません。戦前の生活より、より厳しくなってしまった戦争後半や戦後の印象が強いせいもあるのかもしれません。
戦前の生活があるレベルにまで達していたからこそ、戦後の奇跡の回復といわれているのも納得できるような気がします。現代史についても戦争や政治に関する以外の観点からも見る事ができて、印象に残る本でした。
以下は気になったポイントです。
・現在の酒税は法人税や消費税よりもずっと税収が低く存在価値はほとんどないが、戦前の酒税は常に租税収入の一位か二位(1億円:陸軍海軍の年間費用に相当)を占めていて国家財政の柱だった。そのため一般家庭で密造酒がつくられることがよくあった(p17)日露戦争を前にした明治31年、税収増加のために一般家庭での酒造が禁止された(p18)
・平成21年(2009)に導入された裁判員制度(当時は陪審員制度)がすでに取り入れられていたが昭和18年に戦争を理由に停止された(p25)
・吉本の劇場は花月とつけられることが多いが、花と咲くか月と陰るかすべてをかけて、という意味がある。当たり外れが大きい浮き沈みの激しい興行の世界で頑張るという意気込みがこめられている(p38)
・当時の漫才は、江州音頭のように唄や踊りの合間に、面白話をするという形態であったが、客は漫才のしゃべりの部分を喜んでいることに気づいて漫才から唄と踊りをとってしまった(p42)
・当時の少年娯楽部という雑誌は50銭であったが、現在の貨幣価値に直すと、千数百円になるが毎月75万部も売れていた、別の見方では戦前にはこれを買える子供がそれだけいた(p44)
・戦前の遊園地は、私鉄の集客策として作られた、西武鉄道の豊島園・京王の多摩川遊園・小田急の向ヶ丘遊園・東横電車の多摩川園・阪急の宝塚が代表例(p56)
・昭和4年に警視庁から取締り規則が出されて規則に適合しない場所にあるダンスホールは移転か閉鎖に追い込まれた。適合したダンスホールは逆にダンス人気を高めた(p65)
・戦前の家族は家父長制度があり、戸主(家長)が家族に対して絶対の権限を持っていた、戸籍は戸主が届ける事になっていたので、戸主の意にそぐわない婚姻・離縁はできなかった(p78)
・大正から昭和にかけての日本は国民福祉を顧みる余裕はなかった、一例として乳児死亡率は10%を超えていて欧州が下げているのに比べて明治初期と変わらない(p81)
・子供が多かった理由として、明治以降に堕胎が罪になった(明治15年に堕胎法施行)、避妊法が知られていなかったことも一因(p84)
・当時の本は安くても二円以上(4000-5000円)であったが、円本(63冊の日本文学全集)を1円で売り出したので50万部というベストセラーになった(p96)
・明治4年にそれまでの飛脚によって行われていた郵便が官営の近代システムによる郵便制度に切り替えられた、明治6年には全国一律になり利用が急増した、32年には年賀状開始(p103)
・当時の義務教育は小学校まで、当時の中学校は5年制で小学校卒業者の3-4割程度しか入れないく浪人も少なくなかった、高校受験は更に難関で全国で35校しかなかったので適齢人口の1%未満、高校生はエリート中のエリート、高校の定員と帝大の定員はほぼ同数(p121)
・当時の駄菓子屋は衛生状態が悪く(冷蔵庫なし、水道なし)親たちは子供の買い食いを禁じていた(p129)
・東京から下関まで特急富士、連絡船をはさんだ釜山からは朝鮮鉄道の「はと」そしてハルピンからは満州鉄道の「あじあ」と乗り継げてシベリア経由で欧州までいける国際列車であった。この三列車には英語を話せる乗務員も常勤していた。昭和10年にはシャワーが浴びれるお風呂列車もあり。あじあ号の最高速度は120キロ(平均82キロ)で本土最速のつばめ(95キロ、60キロ)と比べて超特急であった(p150)
・当時の外国航路の玄関は福岡で日本で最初の国際空港、羽田は主に国内路線であり地方空港の一つに過ぎなかった(p153)
・日本最初の地下鉄は昭和2年で、上野ー浅草間で現在の銀座線の前身でアジアでは初の地下鉄、10銭硬貨をいれると改札口が一人分だけ開く自動改札もあった、三越は三越前、松坂屋は上野広小路駅、高島屋と白木屋は日本橋駅に資金提供した(p158)
・日本に初めて自動車が入ってきたのは明治32年、アメリカの日系移民が皇室にプレゼントした(p161)
・大正15年にフォードが横浜、昭和2年にはGMが大阪に工場をつくりノックダウンによる生産を開始したので、日本の自動車市場はこの2社で占められた、フォードとGMは日米関係の悪化とともに昭和11年に日本から撤退している(p162)
・昭和9年にタクシーにメーター制が取り入れられた、価格競争が激しくなり大阪の業者が取り入れた(p163)
・当時の相撲は、両国国技館では一階の平土間から二階席まで茶屋が買い占めていて、一般客は天井桟敷しか入れなかった、大相撲は本来11日だったが双葉山人気のために13日となった(p180)
・戦前を通じてプロ野球が人気の面で学生野球を抜く事はなかった、6大学のスーパースター長島茂雄がプロに入った昭和33年ころから(p185)
・風俗まがいのカフェーに対して純粋にコーヒーのみを飲ませるカフェは純喫茶と名乗った(p198)
2014年6月22日作成
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戦前にすでにスキー列車があった。
阿部下は超人気アイドルだった。
一般家庭では密造酒が作られることが多かった。理由は米の価格が高い上に高額の酒税が課せられていたから。
農村では普通にドブロクが作られていた。(税僅さへ納めれば合法。)日本人は何かにつけ酒を飲む文化がある。
オリンピックの3段飛びで戦前3連覇した。日本のお家芸だった。
戦前は賭博犯が多かった。理由は光栄ギャンブルがなかったから。
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内容が多岐にわたっているのは面白いが、限られた資料を基に私見と思い込みで強引にエイヤと持って行ってる感が否めない。
そんな言い切っていいのか?と。
お題はもうちょい少なくても良いので、客観的に深く突っ込んだ内容にしてほしかった。
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戦前の生活を知るに最適な書。なかなか戦前の状況を知る資料がなかったが、これは良くまとまっている。これを読むと、今も昔もそんなに変わらないのかもしれないと思う。よく、昔は良かったと言うが、そんなことはない。単に美化しているだけなのだ、と思った。
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戦前の生活は意外とモダンだった?
大正から昭和の初め頃となると、暗いイメージしかないが、実際は華やかな文化もあったし、今から想像するよりも進んだ技術もあった。