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紙の本
技術立国を手繰り寄せた幕末明治ニッポンの技術屋の軌跡
2020/11/23 13:44
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投稿者:永遠のチャレンジャー - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書を読むまで、からくり儀右衛門こと田中久重が明治期に活躍した人物だと私は迂闊にも知らなかった。てっきり江戸時代に生を終えたと勝手に思い込んでいたのだ。
そう言えば、咸臨丸事件で幕府側の戦没者を弔った機縁で山岡鉄舟の知遇を得た清水の次郎長こと山本長五郎も、博徒稼業から足を洗った明治期に開墾事業を手掛ける実業家に転身したらしいから、安易な先入観は禁物である。
仕事場の隅に坐ってじっと考え事に耽る風変わりな少年久重は、「人を喜ばせたい」一念で自らのからくり人形に工夫を凝らし、からくり儀右衛門の異名をとる技術屋青年となった。
基礎教育を欠いた久重が、一度目にした事物の本質、仕組みを看破する理解力、洞察力に優れていたのは、恐らく今日に通ずる合理的精神の持ち主だったからに違いない。技術屋(エンジニア)として不可欠な素質(原因、構造を愚直に探究する意欲)が人と違っていた。
文芸領域に関心が向けば「夢想家」(現実逃避の空想家)に堕した惧れがある奇矯さも、生来手先が器用で何かを造り出すことに無上の喜びを覚える久重は、創意工夫の面白さに憑りつかれ、どこまでも「現実家」(リアリスト)であり続けた。
知己にも恵まれた。幕末期の名君二人(佐賀藩主鍋島斉正(鍋島閑叟)、久留米藩主有馬慶頼)に任用されて技術屋の腕を発揮する機会を得た。これは天運に恵まれたことを意味する。
大塩平八郎の乱の被災後に久重が支援を受けた水田屋大作、近江屋卯兵衛ら商人仲間、五十歳を過ぎて久重が入門した蘭学者広瀬元恭の私塾で出会う佐野栄寿左衛門(佐野常民)、中村奇輔、石黒寛二ら技術者仲間、時計修理製造での田中精助ら門弟とは、「生涯を決定的にした出会い」があった。
明治期に電気通信機を製造した田中製作所では、齢八十に近い老翁の久重が「技術向上や改善」の相談に来た職人に「一文の得にもならない」技術指導をしていたという。
久重の死後に養子(二代目久重)が芝浦に移転したこの工場(東芝の前身)から多数の企業を創業する後進が巣立ったのも、才能や技術は公共の利用に供されるべきものとの信念を貫いた初代久重の志の賜物だったろう。
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