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再読。2004年に単行本が発行された際に読んで目からウロコだったこの本が文庫化されていたので買ってあったもの。
鈴木貫太郎と幣原喜重郎はともかく、吉田茂については持ち上げすぎではないかとも感じますが、再度読んでも大変興味深く、オススメの1冊です。
白眉は幣原喜重郎が首班指名された際にGHQのマッカーサーがそれを聞き「73歳?ずいぶん年寄りだな。英語は話せるのか?」と聞いたというくだり。駐米大使まで務めたことのある幣原喜重郎、英語は話せるどころではなく、後にマッカーサーとの対談でもシェークスピアを縦横にひいて話し、マッカーサーを驚かせたと言います。
現憲法の第九条、なかんずくその第二項は幣原の発案ではないか、かつ、それについては鈴木貫太郎も吉田茂も承知していたのではないか、というのがこの本の主題です。
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憲法九条は幣原喜重郎の発案だとし、吉田茂がそれを受け継ぎ、日本の再軍備を阻止したというもの。まずは終戦の大業をなした鈴木貫太郎の胆力と阿南惟幾の協力について。そして幣原喜重郎の戦力放棄という救国のトリック。それを継承した外務省の後輩吉田茂の頑固なまでの憲法を盾にしたアメリカ再軍備要求の拒否。それはあくまで経済が復興するまでの一時しのぎにすぎないと考えていたらしい。いずれ番犬アメリカが引き上げる時がくる。その時どうするか、ここ数年が岐路になる。
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鈴木貫太郎、幣原喜重郎、吉田茂を三傑として、敗戦から戦後復興にあたって、うまく立ち回ったという話で、興味のあるテーマなんだけど、文春の編集長だったというこの著者の考え方とか文体とかどうも今いち好きになれず。
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憲法9条が日本にとって死中に喝の政策だったと同意するが、恒久平和のテーマからはほど遠い物であったとさいにんしきさせられる。あと、後半の右翼的言説はウザい。
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書いていることが真実かどうかは、浅学にして他に判断材料が無いので分かりません。
ただ、3人の総理を巡り憲法9条の違った側面を浮かび上がらせた点は読み物としてすごく面白かったです。
また、9条を論ずる人それぞれが違った読み方をしているのは何故か?といった背景が分かる点でも読む意義はあると思いました。
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終戦を実現させるのは至難のことであった。この命題から入り、まさに戦後処理の難事を担った三人、鈴木貫太郎、幣原喜重郎、吉田茂を昭和の三傑とする。語り部は、月刊WILLや諸君!等でお馴染みの堤堯。面白くないわけがないだろう。
この戦後処理において、アメリカは日本の戦力を対外的に使役する手立てを失った。東西冷戦の谷間において、戦力放棄は、押し付けられたものではなく、こちらから策定した捨て身のトリックだったというのが、本著のテーマだ。
アメリカ兵を番兵と思うか、それを占領と思うかという吉田茂のセリフは有名だ。当用の憲法として、彼らがしたたかにアメリカを利用したというのが主旨だ。しかし、残念ながら、一説に過ぎない。巻末には、中曽根康弘による反論も引く。
しかし、これを番兵とするにしても元来が不平等条約と私自身が思う所以は、日本を守る事が義務化されずに、あるいは、議会の承認を得られず日本が見殺しになる可能性もあるからだ。そんなものに領土を渡し、治外法権を認め、血税を与えている。勿論、安保を結ぶ事や核の傘により、隣国への牽制には有効だし、現状はそれしか方法がない。だけれど、そんなものは番兵とはいえず、ただの保険ではないのか。
当用の措置だ。トランプ氏の発言もあった。自国の防衛を考えていく頃合なのだろう。
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必要のない2発の原爆を落とされ敗戦国となり、焼け野原の国土と今日の食べ物さえ事欠く貧困と混乱と喪失感に直面・・ややもすれば戦後の日本は朝鮮半島のように分断統治されていた可能性ある中で、日本を立派に立て直した立役者が鈴木、幣原、吉田の3人のリーダーの深謀遠慮だったと作者は読み解く。
本書からいくつかピックアップ。
連合国には日本4分割案があった。福島以北はソ連、関東から近畿はアメリカ、九州から中国はイギリス、四国は中華民国・・(P48)
今では、米国からの押し付け憲法だとされているが、朝鮮戦争やベトナム戦争で日本は戦力不保持条項で軍を持たなかったがために死者を出さず、経済発展のみに専念できた、これは幣原がマッカーサーをうまく利用した救国トリックだった。(P134)
終戦直後の米国ギャラップ調査で天皇断罪(処刑)33%、裁判で決定17%、終身刑11%、追放9%、その他という数値が米国民の率直な天皇の戦争責任論が大勢を占めていたことがわかる。神格化された天皇を幣原は人間(象徴)にもどすことで切り抜ける。(P152)
憲法9条は絶対平和主義から導きだされたものではない。あくまでリアルポリティックからの当座の擬態なのだ。(P187)
本来、非武装と中立は両立しえない概念なのだ。2つを結びつけるのは形容矛盾である。ひとり中立でございといっても認められない。国際政治は権力の空白を嫌う。つまり、非武装中立はこの世に存在しない幻想ということになる。もっとも戦力放棄条項自体が、世界に存在しないフィクションである。非武装中立論は、ビックリ条項が生んだ幻想だった。社会党は憲法9条を子供のように素直に読んだ。無理もない、誰しもそう読める。そしてこれをお経とした。幣原が条文に秘め、吉田がこれを堅持しようとしたトリックは所詮、子供のレベルにわかるわけもない。(P218)
「(GHQは)戦力放棄を押し付けておいて、今さら再装備はないだろう」という論法で再軍備を迫る米国の要求に抵抗し続けた。押しつけ説を盾に取る論法が、国会の、そして巷間の思いだった。人々は憲法9条成立の詳細を知らない。戦力放棄は天皇制存続と交換されたと観念している。(P223)
吉田がマッカーサーに食糧援助を要請した時、450万トンの食糧が無ければ餓死者が出る・・農林省の統計を持ち出して陳情した。結果は70万トンで餓死者は防げた。マッカーサーが言う。「日本の統計はでたらめではないか」「我が国の統計がしっかりしていれば、あんな無謀な戦争はやらなかったし、またやれば勝っていたかもしれませんよ」マッカーサーは笑うしかない。当意即妙の切り返しは相手を呑んでいるからできる。言うなら知的優位が、その種の度胸を担保する。(P231)
日本には、2種類の人間しかいない。官と民である。国民所得の71%を官が掠め取る。民の可処分所得は残る29%だ。国家、地方公務員あわせて438万人、各種特殊法人への天下りを加えればおよそ600万人か。これが残る1億2千万人を収奪している。(P247)
明治以来、この国では天皇との距離が短いほどヒエラル��ー上位とされた。ところが上位の者ほど天皇を「玉」として扱い、「陛下の御心を体する」として自己の行為を正当化した。(P261)
吉田の言葉。「日本の隣国中ソは我々の敵でもある。日本が隣国であるが故に中ソの考え方はほぼ同じだ。自国が十分強いと思うと他国を攻める、これが中ソの考え方だ。もし日本の隣国が平和的なら、日本は大変幸運なのだが、しかし中ソ両国はかつて日本を侵略したことのある唯二つの国だからな」(P282)
宰相たる者、国家国民、国益のためなら何でもやる、だましも脅しもする、その覚悟なくして宰相の本分は務まらない。(P299)
翻って、今の政治家の小粒さはどうしようもない。
昔のような強権政治がベストだとは思わないが、国民をだます目的(統計不正や文書改ざん)が私利私欲だらけでは困る。
指導者が国家100年の計を腹に据えて国民を騙すのならまだ耐えられるが、わが身可愛いさの目先の損得で行動しているのがミエミエなのが悲しい。
本書は、ある意味戦後日本の謎解きミステリーとしても楽しめますし、目からうろこの内容盛りだくさんの力作です。
全力でおすすめします。