投稿元:
レビューを見る
欠損感覚を持ちながら生活している人々の記録。
嗅覚障害の治療をしている知人がいるので、重ね合わせて読んだ。大震災以降の記述も。表紙絵は東北のゆかりの画家のもの。
投稿元:
レビューを見る
私小説作家という事は、重々承知してるけど… 聞書という形式ではなく、フィクションとして作り直して欲しかった。
投稿元:
レビューを見る
なんだか寝付けず、いちど起きて本を読む。
カバーの絵は松本竣介の「水を飲む子ども」。収録作にも竣介の絵にふれたものがある。
「あとがき」に著者はこう書く。
▼ずいぶん前から、欠損感覚を通して身体感覚を探ってみる小説を書いてみたいと思い続けてきた。
身近に、聴覚や視覚をうしなった知人がいたこともある。また、自分自身がアスベスト禍に遭い、身体の内面に思いを寄せることが多くなったせいもあるかもしれない。(p.210)
著者は「欠損」感覚と書くが、さいしょから、少なくとも物心がついて以来その感覚はなかったのだという人の話もあって、それはたとえば「生まれたときから聞こえなくて、それが私にはアタリマエ」というようなことで、そういう感覚や経験には「欠損」ではなくて、なにか別のことばがあればいいのになと思った。
いわゆる"障害者"モノ、として読むこともできる小説は、「ないこと」や「失ったこと」は、ただマイナスや不幸せではなくて(苦労や不便はあるのだろうけれど)、その状態と感覚のなかで生きている人たちがしっかりと伝わる佳作だった。
結局、さいごまで読んでしまってから、また布団に入って寝た。
(4/14了)
*2年前の生誕100年の年にいくつか読んだ松本竣介がらみの本
『青い絵具の匂い─松本竣介と私』
『求道の画家 松本竣介―ひたむきの三十六年』
『松本竣介 線と言葉』
『舟越保武全随筆集―巨岩と花びら ほか』
投稿元:
レビューを見る
最後の一編を除き、小説というより、小説のための取材記というような感じで、表紙やタイトルから想像していた内容とは違いました。
(かすかにネタバレ)
終盤で語り手が「堀井さん」に宛てた文章の、「空文字を一文字書くとしたら~」の部分で、語り手から心が一気に離れてしまい、残念に思った。
投稿元:
レビューを見る
図書館借り出し
とても心に沁みる文体
この感情を伝えたいって事が整理できそうになった
二十六夜待ちは二度目
素晴らしい