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貴子(きこ)と永遠子(とわこ)の物語。幼い頃に遊んだ記憶と25年後の現実が綴られている。
曖昧で夢と現の境界がはっきりしない。陽炎とか雨とか、何か薄く柔らかいフィルターを通して見ているような世界。普段使わない独特な言葉遣いが、物語のあやふやな世界観を強調している。
何か大きな出来事があるわけではなく、物語の雰囲気と世界観を楽しむための文学という感じ。
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きました、The芥川賞作品。二人の女性が再会することで生まれるコミュニケーションと気持ちの移り変わりという言い表すのが難しい感情を汲み取る表現はまさに芥川賞。ドップリとハマれる作品は休みの日には嬉しく仕事の日は避けたい。気持ち持っていかれるから。
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ぼんやりと感じることを、はっきりと文にしてある。
好き嫌いは分かれそうだが、私はとても好き。
解説に町田康!豪華!
あー好き過ぎ。
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20130807
そう、子どもの頃の記憶を辿ると、どれも感覚的な印象の強いものが主で、その前後、そこに至るまでと、そのあとに続くものが、すっぽりと、ぬけているもので。
そんなことに気付かされて、それでいて、昔もいまも、日々のひとつひとつが愛おしいことなんだな、なんて妙に納得させられた感じ。
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すげえ。
とても洗練された文章を書く人だと思った。
朝吹さんは今年で29歳らしいのだが、文章がすでに熟成された作家の匂いを漂わせている。
そもそも雰囲気が私の好み。
今後出される作品も楽しみです。
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音の反復と差延がミニマルミュージックの要諦であり、その聴者は空間化された時間から(仮初に)離脱し、えも言われぬ浮遊感をも覚える。作中でふれられるミニマルミュージックの代表的な作曲家(マニュエル・ゲッチングやスティーブ・ライヒ)の作品は本書において主題化されたものではないけれども、陶然とミニマルミュージックに聞き入る様態と同じ感覚を読書中に得ることができた。
25年ぶりに再会した貴子と永遠子。二人がそれぞれにまたあるいはともに追想し対話して織りなしていく光景は、ふいに過去と現在、現実と夢とがもつれあい混淆する。幼いころの二人のからがりやすい髪のように。
その凡庸といえば凡庸な夢と現のまぐわいは、しかし世にあまた溢れる紋切り型の幻想譚のそれとは異なり、しかと地に足の着いた、時にやわらかな雅語と硬質な漢語とが適度に織り交ぜられた端正で落ち着いた文章で綴られていく。
とりたてて大事が起きるでもなく平静な雰囲気が全編を律しているが、貴子が別荘に残された本を片付ける折に、また永遠子が家族と電話で話ながら踏切に立ちいるその刹那にふいに強く後ろに髪を引き寄せられ、死のイメージを纏うあの情景は何なのか。後ろ髪を引かれるように最終頁を閉じた今、再び本書は開かれることになる。
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芥川賞受賞作。
特に何か事件が起こるわけでもなく、物語は淡々と進んで行くが、ゆらゆらと漂うような時間の流れが印象的だった。文体も穏やかで心地いい。
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第144回芥川賞受賞作品。
夢と現実、過去と現在がゆっくりと混ざり合う感覚。
ときに退屈で、ときに芸術的。
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たぶん、話の盛り上がりとか起承転結とかそういうものを求めて読んだのがいけなかったのだと思うけれど、あんまりにもあっさりとしていて、夢からの覚めぎわみたいな空気感で終わってしまった。
こういうのも、あり、なのか?
私はあまり好みじゃないかもしれません。
芥川賞受賞作とのこと。過激なものが多い純文学にしては、穏やかに読める。そこはいいところ?
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25年ぶりに再会した二人の女性(貴子と永遠子)の姿を通じて、時、記憶、そして人としての存在(アイデンティティー)の不確かさ等を描いた小説。
特に大きな事件が起きることもなく、二人の主人公の日常が淡々と描かれるだけなのだが、「ゆらぎ」に溢れた独特の文体によって、不思議な肌触りが読後残った。
良くも悪くも技巧的で純文学らしい作品であり、芥川賞受賞時に評判となったのも納得。
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25年ぶりに再会した貴子と永遠子。夢と現実が心地良いゆらぎの中で交わり合う。物語は淡々と進むが、読了後は不思議な心地良さが残る。散りばめられた言葉が美しい。こんな感覚は久しぶり。
私の好きな作家である宮本輝さんが、芥川賞の選評で高評価していたように記憶しているが、それが良く理解できた。なんかはまっちゃう。
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夢と現実の境目が溶けてて、結局あれやこれやは何なのか分からないけど、まぁそういうこともあるかもね、まぁいっかっていう妙な気分になる小説。夏の子供の肌感が良く伝わって懐かしくなった。
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親同士の交際によって、幼い頃葉山の別荘で同じ夏の時間を過ごしてきた貴子(きこ)と永遠子(とわこ)。その後、別荘の解体というきっかけに、2人の元・少女は25年振りの再会を果たすことになる。芥川受賞作。
描写が過去と現在を行ったり来たりするため少し混乱する部分もあるけれど、全体的に女性らしい雰囲気。この柔らかい文体を「優しい」と取るか、あるいは「掴みどころがない」と取るか、あるいは「よく分からない」と取るか・・・受け方は人によって大きく異なると思う。
ストーリーを楽しむというより、緩やかな雰囲気を感じられる作品。
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2013.9.7am0:33読了。解説は読まず。もう9月7日も過ぎたのか。早いな。しかもamって午前か。早いな。懐かしい。物語の内容より、文体、ことば、漢字、雰囲気を味わう。内容は記憶に残らない。祖母の家を思い出した。一秒一秒と時間が過ぎていくうちに思いがどんどんすり抜けて変容する。砂時計。手で作ったお椀のなか一杯に溜めた砂が、知らぬ間にゆびの間から流れていくような。水をかけると固まるような。かたまって、どろだんごになってしまった。ここからはどろだんごを磨く作業。いざ。ことばにするのが難しい。忘れかけていた記憶。その欠片が磨かれて再現されたよう。これを読んでいなかったら、ずっと、うもれていた。ことばによって形を、名前を、枠を与えることのないモノにカタチを与えられたように感じた。無意識を「有」意識に。やっぱりすごい、のかな。夢と現実が溶け合った、日常的な空間が描かれている。何年後かに再読したい。これまでで存在感が1番薄い本。存在が不安定、不確定、または存在自体の存在があいまいなものを描いているからかな。でも、この点が魅力の本。今まで味わったことのない感じでした。ごちそうさま。
以下、印象に残ったことば。
『時間というのは、疾く過ぎていくようであり、また遅延しつづけるようでもあり、いつもと同じ尺で流れてゆかない』p79
『起きている人と眠っている人とのあいだに分け隔て無く夜がただ過ぎてゆく』p96
『こうしているうちに百年と経つ』p118
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「小説の力」みたいなのを感じた気がした。ここでなされる描写こそが現実的なんじゃないのかな、と。また読みたい。