投稿元:
レビューを見る
数ある対談本の中でも1,2を争う面白さ。
思想や哲学を生活に結びつけるということはきっとこういうことを言うのだろう。ショッピングモール、保育園、食など、誰もが身近に接するものから見える問題。そしてその問題との向き合い方のヒント。
今を代表する論者である國分功一郎氏と古市憲寿氏との対談はそれぞれの問題へのスタンスを明らかにする。國分氏は熱く、古市氏はクール。きっと大きな意見の隔たりもあるに違いないが、互いのリスペクトが対談を対立ではなく、協調へと導く。
対談自体もそうだが、批判の応酬からは問題の解決の糸口は見つからない。対談は最後は「反革命」というキーワードん出すが、まさにその通りで社会はマクロ視点からの批判では変わらない。現場でひとつひとつ変えてゆくしかないのである。
それは決して悲観するものではなく、地に足がついているが故に私には面白いものに思える。この対談自体がそうであるように。
投稿元:
レビューを見る
哲学者と社会学者の偏屈者が、難しく物事を捉え自身の思考をお互いに主張している内容。どうしてもこの年代の評論は、外国との比較して日本はという不満や御託が多く、行動が伴わない捉えてしまう。
ヨーロッパは老人の資本主義、アメリカは大人の資本主義、日本は小児の資本主義。既に価値を内面化している老人、前へ前へと進もうとする大人、守られた母的な安全圏の中で戯れる小児。
日本の原発再稼働反対デモは、かつての学生運動と違い闘争性がなく整然としている。楽しくやろう、真剣と深刻は違う。ヘイトスピーチの在国朝鮮人も憎悪の対象だが原因ではない。
投稿元:
レビューを見る
國分氏のやや難解な説明を古市氏が噛み砕いて説明していく流れ。
フーコーの下りが出てくる前半部分はやや難解。
幼稚園・保育園の下りからぐっと読み易くなる。
古市氏の脱力感はここでも健在。
投稿元:
レビューを見る
至る所でひずんでしまっている社会。しかし、自分だけでは、自分の周りにいる人たちだけではどうにもすぐには変わりそうもない。
けれども、人間を天蓋のように覆っている制度や構造も完璧ではない、実は色んな所で水漏れをしている。
得てして人は革命や劇的な変化を望んでしまうけれども、水漏れから覗く半径1メートルのアクチュアルな世界を、少しずつずらして変化させていくしかない。
古市さんは現状をシニカルに観て肯定しているだけの社会学者だと思われている節があるけれども、むしろ現状を深く読み込み、そして読み替えた結果として現れたそうした社会の水漏れを大切に取っておこうとしているだけなのだと思う。國分さんが、そうした古市さんのスタンスには今までなかった観点から思想という骨を入れているのが面白い。
すこーしだけホネットが言及されます。いろいろ端折られすぎだし、つっこみたかったけれども笑
これだけ読んだ世の中の方は、ホネットをどういう人だと思うのだろう…?
「〜アクセル・ホネットの講演会に行ったことがあります。そこでフランクフルト第三学派と第二学派の子育て論争の話を聞きました。第二学派が第三学派に対して、おまえら生産性が低いって文句をいったら、第三学派のアクセル・ホネットが、俺たちはおまえたちと違って子育てをしているんだっていい返した。」(187)
投稿元:
レビューを見る
國分功一郎と古市憲寿。この2人の論客に共通するイメージは「中性的、もしくはフェミニン」な感じじゃないだろうか?「社会の抜け道」という一見、硬そうな政策論かと思わせるタイトルなのに、いきなり「IKEA, コストコ、ショッピングモール、農場→料理」と来る。さらに、デモ、公園、遊びときて、保育園→主婦論へと進む。
徹底的に「日常生活」を出発点として話が進んでいくのですごく読みやすい。それで、随所に哲学的考察が入って来るので勉強になる。哲学が生活と切り離されていた学問として形骸化していったのに変わって台頭してきた社会学。でも、社会学書をいくら読んでも読み応えはなかなか味わえないわけだが、この本はサクサク読めるくせに、結構読み応えがある。
たとえば、保育園→主婦論のところでは、専業主婦や家族主義なんて概念は「歴史の浅い幻影」であるとし、戦後高度経済成長を経て、主婦が労働力の調整弁として機能してきた経緯を考察し、家計が夫の労働だけで賄えなくなった現代では、ワークシェアリングの導入を含めた「ワークライフバランス」の制度設計が急務であると述べる。
本書を通して、一貫した主張は「禁止して罰するような法整備ではなく、社会の持続力を支援するために望ましいモデルとなる制度を整備すること」である。法整備ばかりを急ぐ旧態依然とした政治や官僚の世界の現実とギャップを感じるばかりである。まあ、日本だけの問題ではないから難しいんだろうけどね。面白かった。
投稿元:
レビューを見る
個別の現場に足を運び、それを元にした社会観察日記。実は速水健朗さんも関わっているという一冊。
なんとなく、このままではよくないと思いがちな社会。ガラッと変わる革命の不可能性、実際には自分の問題なんだという方向への気づき。
古市くん流の注釈を國分さんもやっていて、それも面白い。
投稿元:
レビューを見る
古市君の新刊(國分さんとの対談)。社会システムと現実は一致してない。故に、逆に不自由っぽく見える現実を楽しむ術がある(求められるんじゃない?)ということを、IKEAや保育園をフィールドワークして論考したもの。子どもかわいくないか?という國分さんの問いに「だったら猫の方がかわいくないですか?」とか、東京には「テンションの低い遊び」が少ないとか、相変わらずのクールで素直な古市君に、ますます感心。
投稿元:
レビューを見る
対談内容はいまの社会にするどく切り込んでいて、消費、デモ、保育園、小平道路問題などいろんな題材について熱く語ってるんだけど、二人の物腰やわらかそ~な雰囲気が伝わってきて、なんだか癒された(笑)哲学者がいっぱい出てきて、注で解説されてたので勉強になったし。これについて刊行記念講演会なるものが紀伊国屋で開催されるらしい‥行きたい。。
投稿元:
レビューを見る
対談本はガチンコ対決しない限りは相手の意見を尊重しつつ、自分の意見も主張しなきゃいけないから、結果的には良くも悪くも価値相対化されてしまい、無難にまとまるというか、結論の出ないまま終わるというのを再認識。考えるヒントと思って割り切って読むしかない。本書の場合は、アラサー独身とアラフォー既婚の世代感覚の違いみたいなものが出たかな?って印象。古市君も10年後には消費には飽きてると思うが。
「抜け道」がもうちょっと明確に提示されるのかと思ったが、そうでもなく個別具体的な事象に対する感想を述べ合うという形式で、年の離れた兄弟というか、先生と生徒の対話みたいな感じ。空虚空論って事もないので中身はそれなりにあるように思うが、哲学と社会学であまり話しは噛み合ってない印象。
投稿元:
レビューを見る
スピノザ哲学。「自分の心身が持ってる法則」を発見し、自分の持つ条件を上手く生かして生きていくこと。Quiet Mavericks.静かなる異端者。多チャンネル化する世界。レールは存在しない。なんじはなんじの道をすすめ。人びとをしていうにまかせよ。
投稿元:
レビューを見る
國分さん、古市さんの対談ということで、楽しみに読んだのですが、予想とはちょっとテイストが違っていました。
予想以上にむずかしくて、あんまりついていけなかった。
生きづらくて窮屈な世の中だけど、どこかに必ず抜け道はある。その抜け道は、意外と身近な場所にあるんだよ、というか、そんな感じかな?
投稿元:
レビューを見る
何かを変えたければ、いきなり大きくではなくて少しづつ変えていこうという國分さんの主張が色濃く出ている。
古市さんのいい感じの脱力感も健在。
ショッピングモールの役割から料理の意味、幼保一体化って一体なんだったのかというところまで幅広い話題を考えぬく過程がおもしろかった。
投稿元:
レビューを見る
古市さんと國分さんの対談本。
イケアから始まり、いろんな話題が出てきます。お互い得意分野の社会学、哲学を交えながら保育、遊びetc、を論じます。何か画期的な答えが見つかるわけでも、発明されるわけでもないんですが、様々な気付きを与えてくれる一冊です。
社会は革命的には変わらず、少しずつしか変えられない。革命への願望、欲望はなかなか抗えないが、だからこそ少しずつかいくことに慣れるしかない。想像力が無いからガラッと変えるという発想になりがちです。気をつけましょう。
投稿元:
レビューを見る
○社会学者、評論家である古市憲寿氏と哲学者である國分功一郎氏との対談本。
○“IKEA”や“ららぽーと”といったショッピングモールや有機農業を営む農場、保育園の見学、デモの実態など、様々な場所を訪問しつつ、お互いが考える「現在の社会の実情」を、それぞれの知見から幅広い観点で考察。
○とても面白い作品。
投稿元:
レビューを見る
國分&古市の軽い対談集。古市さんがいつもの調子で國分さんの発言をうまく引き出している。軽いけど、それなりに考えさせられる点もある。
IKEAとコストコでは、消費社会を否定するのではなく、新たな意味を消費者側が付加していく(ゲームセンターが高齢者のたまり場となっている例)ことで、望ましい方向に少しずつ変えていけるのではないか。それをこの本では「社会の抜け道」と言っている。
今の社会システムにはいろいろとマイナス面もあるけど、それをひっくり返すのではなく、少しずつ上書きしていくことで、少しずつシステムを変えていくべきだし、現実的にはそれしかできない、という主張はもっとも。
革命一発で社会を変えるというのはほぼ不可能。社会を変えようなんて言ってる人は、社会が何を知らない人の言い分なのだと。
日本では自分たちで物事を変えるということについて経験が少ないから、社会を変えることのリアリティがない、だからガラッと変えようという主張に安易に結びついて、結局何も変わらない。
少しずつでもシステムを変えていく、新たな意味を上書きしていくという小さな成功体験が私たちには必要なんだろうと思う。