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内田樹『街場の憂国論』晶文社、読了。本書は国家や政治にかかわる著者のエッセイ集。未曾有の「国難」に対し、どう処するべきか。未来を「憂う」ウチダ先生の処方箋。表紙扉裏に「スッタニパータ」の一節「犀の角のようにただ独り歩め」と印刷。ノイズを退け未来を展望する著者の省察の本質がずばりだ。
内田樹『街場の憂国論』晶文社。政治的立場に関係なく可能なのが「憂国」だ。しかし「多くの人が自分と同じことを言っている」式の憂国談義ほど、その自分の生活を破壊するものに他ならない。正しく「憂う」には思考の作法、連帯の作法が必要なのだ。カッとなり乗せられてしまう前に紐解きたい一冊。
※書き下ろしがあとがき・まえがきになるのでちとあとがきから紹介。
著者は「『アンサング・ヒーロー』という生き方」として締めくくる(あとがき)。アンサング・ヒーローとは「歌われざる英雄」のこと。私たちの社会はアンサング・ヒーローたちの「報われることのない努力」に成立するが、減ってきたことに著者は危機を感じるというが、まさに。
歌われざる英雄とは「顕彰されることのない英雄」。具体的に言えば堤防に小さな「蟻の穴」を見つけた村人が、何気なく小石を詰め穴をふさいだ。放置すれば大雨で決壊は必至だが、「穴を塞いだ人の功績は誰にも知られることがありません。本人も自分が村を救ったことを知らない」。
“今の日本では「業績をエビデンスで示すことができて、顕彰された人」だけが貢献者であって、「業績をエビデンスで示せないし、顕彰されていない人」の功績はゼロ査定されます” 未然に無名で防ぐことで業績が特定され報奨を得る可能性がないことで「しない」でいいのかなあ?
アンサング・ヒーローとは「間尺に合わない生き方」かもしれないが、浮き足だって「改革だ」とがなり散らす「機動性」と対極にある「ローカル」な生き方だ。しかし、地に足をつけた一歩一歩からリスクを防ぎ未来の展望が可能になる。身近な蟻の穴埋めることから始めたい。
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頭が整理されてスッキリする。
どの執筆者もとてもわかりやすく書いている。
特に中島岳志がわかりやすい。
「忖度する社会」
「日本という病」
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内田樹という人物を知らずに読んだ。
ビジネス本ばかり読んでいたので、すごく新鮮。
国という大きな視点で見たとき、ビジネスのロジックを
あてはめるのはあまりに短期的、局所的になってしまう
のだなと感じた。
マーケットからの退場というのは、リンダクラットンの
ワークシフトにも繋がる気がする。そこでは仕事に
押しつぶされるのではなく積極的に社会と関わる選択肢
が描かれていた
今の自分の仕事をより広く、長期に見たときに
どういった意味を持つか。考えてみたくなった
◆メモ
・普通は様子見するが、人々はその時間を蛇蝎のように忌み嫌う
・企業の長期はすごく短い。短期的な視点で判断してしまう
・国が滅びても困らない人たちが国政の舵を担っている
・日本以外でも暮らせる人に権力と財が集中、彼らにとって日本でしか暮らせない人は低賃金、高品質な労働者、汎用な欲望をもつ消費者でしかない
・「うんざり」「やれやれ」という言葉には不機嫌の裏にひそやかな安心を感じている
・スピードと効率に重きを置きすぎている
・アメリカは国家としての統合軸を失いつつある
白人が少数民族になりつつある
文化の多様ではなく、分裂に近い
・我々が手したのは働き方の自由ではなく、同一労働、最低賃金だ
・マーケットからの退場よりも自主的な撤収が増える
・本当の意味の国民経済とは「12千万人がどうやって雇用を得て、所得水準をあげ、生活の安定を享受するか」下村治
・生産性の高い人間が「おれに金と権力をあつめろ。お前らの雇用をなんとかするから」という人間は、さっさと外国に逃げ出すタイプ
・ケネディがしたのはチキンレースでブレーキを踏まなかっただけ
・欧米では「政策は謝る可能性が高い」という考えから「どうなったら大失敗になるか」というシミュレーションに時間を費やす
・カリフォルニアで地元紙がなくなると、市の行政官は徐々に給与を上げ12倍にまで引き上げた。もし住民が記者を雇っていればわかっただろう
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民主主義における意見の多様性を担保し,それぞれの考えを聞く力の大切さを実感した。
自分から遠いことは理解も判断も難しく,大切な理解と判断は大きな流れに身を任せがちである。大きな流れも瞬間瞬間の判断と決定によって形成されていくことを考えると,自分の芯の部分に価値観の軸の確立は大切なことだなぁ。
近視眼的,経済的な視点に陥りがちな世間や自分の目をメタレベルで認識し直すためにはメタレベルの意見に触れる,オルタナティブな意見に触れることが第一歩だろう。
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街場シリーズではありますが、今作は講義録ではなくウチダ先生が各メディアに発信した文章のアンソロジー。共通するのは2013年当時の日本のこれからへの憂慮と提言ということです。日本の「株式会社化」や、「パサー」としての生き方についてなど、2013年以降の著作に見える先生の政治的な主張がはじめて登場するのは本書であることが多いように思います。現在まで通ずるウチダ先生の政治的文脈での論説の、はじまるとなる一冊として位置づけられるでしょう。
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「国民国家は国民全員が愉快に暮らしていくことを継続していくことのみを目的とする」という一行の信念の元、あらゆる論旨が展開される。全くブレがない。ゆえにTTPには反対、護憲という立場を貫く。この一点において蒙が啓く。賛同するかしないかは別で、真摯に伝えることを心得る筆者の文章は他の評論家には出来ない芸当だ。
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現在67歳以下のすべての日本国民は、自分たちが安全保障についても、国防構想についても、「アメリカの許諾抜きで」政策を起案できないということが常識とされる環境に生まれてからずっと暮らしている。
属領に生まれた属領の子たちである。
それが「自然」だと思っている。それ以外の「国のかたち」がありうるということを想像したことがない。というか、想像することを制度的に禁じられている。(p.209)
匿名であることによって得られた発言の自由は、それがどのような個人によって担われているのかが公開されていないことによって、信頼性を損なわれる。
この「言論の自由と信頼性のゼロサム関係」について、匿名の発信者はあまりに楽観的だと私は思う。
私自身は、匿名で発信された情報は基本的に信用しない。たぶん、同じようなプリンシプルを持っている人は多いと思う。
私が情報の信頼性の判定基準にしているのは、発信者の「生身の人間としての、ほんとうらしさ」であって、「コンテンツのほんとうらしさ」ではないからである。(p.340)
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久しぶりに本を読んだ。このところサーフィンに俺の知的リソースを注ぎ込んでいたから…そこに六十過ぎて自称プロサーファーの大学教授が出てきたのには笑ったけど。
内田先生の街場シリーズは居酒屋でちょっと知的ぶった話がしたい俺みたいな底の浅い手合には格好の書物である。でもまぁ…居酒屋でこんな話をできる人が増えれば、それはそれで市民社会の成熟なのかもしれない。