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<ひかりのあしおと>
あしおとを漢字で「跫」と書くと、「恐」の一部が入っていて何やら怖いイメージがある。この小説でも、主人公を狂気へと誘う「跫」がひたひたと迫ってくる。
「ひかり」と言うと明るいイメージもあるけれど、病室の天井の「光」、無菌室にあるであろう光は、主人公の母のような不気味な印象を受ける。
「熱気が今のも破裂して、私をずぶ濡れにしてしまいそうです」という冒頭の一文からしても、この小説からは「飲み込まれる」という感覚を常に受け続けていたように思う。
自分が逃げていたはずの狂気は、いつの間にか自分を包み込み、知らず知らずのうちに自分自身が狂気の構成員になっている、そんな感じ。
<ギンイロノウタ>
後日加筆
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2つの物語。2つとも、主人公の少女が病んでいます。世の中で起きるびっくりするような事件は、このような病んでいる人々が自分の世界観を完結させるために起こしているような気がします。
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面白かったですが、苦しい読書でした。どこかおかしい、狂っている人物の描写に心が塞がって、とても苦しくなります。でもどこか、光を感じるところもあって。光を感じるなんてわたしもどこかおかしいのだろうとも思いますが。排斥はされなかったものの、教室の真ん中にいるキャラでもなかったことをしみじみと思い出しました。村田さんの小説世界は好みなのですが、この2つのお話はそこまでなかったです。
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再読。このなかでは、「ひかりのあしおと」がいちばんすき。村田さんの作品はすきな雰囲気があるんだけど、もっともっと狂気に落ちる瞬間の描写にゾッとしたいなあとおもう。細部、てか使われている小道具はいいのになんか落ちるところだけありきたりになるというか。
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はじめて読んだ著者でしたが、全体的に比喩がとてもうまくて、内容は切ないものでした。
子供の豊かな想像力と、小説家の豊かな表現力で、おそろしさ、切なさ、理不尽なことなどがみっちりと埋め込まれていて、すごい世界観です。
なんだか不思議なのですが、ありきたりな内容ではないところもとても気に入りました。他の本も是非読んでみたいと思いました。
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中編2作。どちらも凄まじい。
「ひかりのあしおと」
怪人に襲われ呪文を唱えろと脅されたのがトラウマになり、すでに決定的に歪んでしまった大学生。
とはいえすべてがその経験に拠るかといえば疑問。
むしろ性を無化しようとする母と、その少女性を賛美する父および周囲の雰囲気、への抵抗感が語り手の性を一種独特なものに変えてしまったのではないか。
細部の小道具が印象深い。天井の蛍光灯の多さ。向日葵の種。食パン。四肢と頭が切断された蜥蜴。溶けていくアイスクリーム。
「ギンイロノウタ」
こちらはもっと直接的。性と、殺人衝動。
「皮膚の一部が銀色に光っている。あの銀色の扉だと気づく。隙間にナイフをいれると、虹色の部屋が」
「女の人や小さな男の子が無防備に見えてくる。あの皮膚に、扉があるかどうか調べたい。自分の手が勃起している」
そう、殺したい、ではない、扉を開きたいのだ。
村上龍「コインロッカー・ベイビーズ」のハシや、柳美里「ゴールドラッシュ」を思い出す。
これは凄まじいものを読んでしまったぞ。
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これまでに読んだこの方の作品と比較すると表現が鮮明でない印象です。
生々しい、グロテスクな表現とぶっ飛んだ世界観が好きだったので、
表現がボヤケテいる点は私好みではなかった。
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こわい。でも読みたくてたまらなくなる。心地よいわけではないのに読み進めたくなる。そんなに面白いのかと問われると、面白いのかわからない。
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またもや病んでる少女の話が二つ。『授乳』に続いて読んだが、テーマは同じ方向か。ただ、『授乳』の時よりももっと言葉が大きな塊となって感情に直接訴えてくるような感じがする。
自分の中の狂気をコントロールできるようになる事が大人になるという事なのかな?その狂気に多少なりとも心当たりがある人は、この小説の投げかけに対して、好きとか嫌いではない「無視できない」感情をもってしまうんだろう。
ユング心理学でいう強い自我による自己の抑圧(だっけ?)に悩む少女が自分と向き合えるようになる過程を描いたものとも取れるのかな?ただその表現方法は独特で何とも言えない読後感の悪さも…そこが村田沙耶香ワールド!かなり癖になってきてます。
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ぼくは全く評価しない。
読んでいると苦しいとか、Mである私に出会う、だとか。感想として誰かが言うであろうという言葉が、すぐに浮かんでくる。
商品として売られる書籍になった段階で、「読むべきもの」という衣装をまとってしまうのが作品というものなので、読者は本になっている「小説」として読むだろう。しかい、同人雑誌に掲載されているとして、これを「いいね!」といえるかどうか?
この作品を商品として成り立つとと考えた編集者は、商売人としては有能かもしれない。でもこれって、小説なんですかねえ。
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2018年度最後の読了。それがこれ(笑)2編の中編作品は、どちらも女の子の性を扱っている。赤裸々、異常という形容は、著者には通用しない。何が「普通」なのか? フツウとは何なのかが徹底的に読者に問われているようだ。もしかしたら私小説なのかも知れない……と思ったが、書評家・藤田香織さんの解説を読む限りはそうではないらしい。
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村田沙耶香氏の『授乳』『マウス』と続く3作目の中長編小説。本書『ギンイロノウタ』で村田沙耶香氏は2009年、野間文芸新人賞を受賞している。
本書は『ひかりのあしおと』『ギンイロノウタ』といずれも思春期特有の不安定な少女の心情を綴った珠玉の中編作品2篇で構成されている。
僕は『コンビニ人間』『消滅世界』で村田沙耶香の虜になり、そして処女作『授乳』から時系列順に本書まで読みすすめてきた。
村田沙耶香作品の割には読みやすかった前作『マウス』とは打って変わって、本書はまさに「クレイジー沙耶香」節が炸裂している2篇が収録されている。
僕にとって本作は5作目の村田沙耶香作品となり、だいぶ「クレイジー沙耶香」への耐性が付いてきたので、この作品にも何とか、かろうじてついていくことができるようになったのだが、全く村田沙耶香について知識のない読者がいきなりこの『ギンイロノウタ』を読んだら、普通に
「・・・この作者、頭おかしいね・・・」
と一言で終わらせてしまうくらい本書は狂気に満ちている。
そういう意味においては、本作品はかなり『難易度の高い』村田沙耶香作品であることは間違い無い。
この二つの物語のあらすじだが、
一作目の『ひかりのあしおと』は、小学生のころに女子トイレに閉じ込められた経験がトラウマとなり、周囲の人たちと馴染めずに自らの価値観で生きている女子大生・誉とその前に現れた同じ大学に通う男子大学生の蛍との奇妙な交流を描いている。
二作目の『ギンイロノウタ』は、幼稚園児の頃に手に入れた金属製の指示棒(学校の先生が授業などで使う伸縮するアンテナみないなヤツね)を魔法少女が使うステッキに見立てて、中学生になってもそれを大事にしている有里。そんな彼女が中学生の担任の先生を殺すことに興味を持ち始めるまでの狂気の過程を描いている。
という感じだ。
どちら小説も『若者のさわやかさ』や『若者の特有のはち切れるような元気さ』とは全くかけ離れた、思春期の少女の狂気の内面をドロドロと、そしてデロデロと、はっきり言ってビチョビチョと描く、あまりにも気持ち悪い作品である。
村田沙耶香作品の特徴でもあるのだが、この作品でも女性の『性』の部分が極めて異質かつ特異に描かれている。もう僕たち男にはちょっと理解できない範疇にまで達している。
ここまで描写されると「男性だから興奮するだろう」とか「女性の内面を見れて嬉しいでしょう」とか・・・・・・はっきり言って全くない。できれば知りたくなかったという気持ちの方が強いかもしれない。
特に表題作の『ギンイロノウタ』の主人公・有里が「初潮」を心待ちにし「初潮」を迎えることによって、少女を脱却し「大人の女」になることをごく当たり前に期待しているのだが、それが自分の期待通りでなかった時の彼女の落胆を描いている描写は、僕たち男にはちょっと想像が出来ない女性心理である。
そして『娘と母親』との関係のいびつさが描かれるのも村田沙耶香作品の特徴である。
一作目の『ひかりのあしおと』で描かれる主人公の誉とそ���母親「愛菜ちゃん」の関係は典型的であろう。
娘からも夫からも『愛菜ちゃん』と呼ばれる母親。
この『愛菜ちゃん』を形容する言葉はもはや「可愛い」という言葉しかなく、この『愛菜ちゃん』に勝てる可愛らしさを持ったものといえば、ふわふわの毛皮をまとった小動物くらいしか見当たらないというその異常性。
誉が「初潮」を迎えたとき、母親の『愛菜ちゃん』が娘に向かって「誉ちゃんは大人になったんだね~。私はまだなんだ~」というセリフが当然のことのように思えてしまうくらいの存在である母親。あまりにも倒錯的な世界である。
村田沙耶香作品を読んでいると、もはや同じ人間の営みを見ているというよりも、読者である自分たちが、まるで異星人か地底人かなにかで「地球に住んでいるという『人間』と名付けられた生物」の生態を高性能カメラで撮影したドキュメンタリー作品を見せられているような気分になるのである。
では・・・、毎度同じことを自分に問うのだが、
じゃあ、村田沙耶香作品は嫌いなのか?
と問われれば、
・・・嫌いじゃない。むしろ大好きである
と自信を持って答えられる。
それほど、村田沙耶香作品の魅力はある特定の人間の心をドラッグのように蝕んでいくのだ。
そう、まさに当てはまる言葉は『中毒』だ。
この美しい村田沙耶香の文章によって紡ぎ出される、この異常な世界。
この倒錯した世界観に丸ごと取り込まれる、この快感・・・。
・・・・・・そして僕はもう後戻りのできないところまで進んでしまったに違いないのである。
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「ギンイロノウタ」 村田沙耶香(著)
2014 1/1発行 (株)新潮文庫
2019 3/5 第4刷
2020 1/17 読了
村田沙耶香強化月間と称して
(名目上はラジオに向けた準備)
読み進めて来たものの
怖いもの見たさも此処に極まれり。
善意も悪意も紙一重となって
無防備な彼女たちはただ傷付き怯え
日々戦っているのですねー。
到底共感出来はしないはずなのに
「がんばれ!がんばれ!」と応援したりもしているおじさん(ぼく)でした。
この文庫の解説を書かれた藤田香織さんの書評は素晴らしいです。
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熱気が今にも破裂して、私をずぶ濡れにしてしまいそうです。
そこが陽だまりかと錯覚する様な、机の上に平たく広がっているオレンジ色が、人の背中だと気づいて、私は少し驚きました。
比喩の使い方、捉え方がとてもすき。
狂気を孕む女の子の中身。
共感することは到底できないけれど、不思議と彼女たちの世界に取り込まれていった気がした。
考えれば考えるほど、脳は頭蓋骨から少しずつ体の内へと溶け出していき、その中を漂いながら、ぼやけた視界で必死に宙に手を彷徨わせる。
、、、銀色の扉の先には何があるの?
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「ひかりのあしおと」
おもしろい表現がところどころにあり、主人公の独特な価値観に引き込まれる。主人公の誉は、光に恐怖を感じ、恋愛に救いを求める。が、男は誰もトラウマからは救ってくれない。そんな中、出会った蛍という男の子。蛍と一緒にいれば光を怖がることはない。…だからといって、蛍がいればトラウマ解消でめでたしなんて話ではない。恐れるものが無くなった怖いもの知らずの人間は暴挙に出る。最終的には救いのある描写にはなるんだけど、蛍が良い子すぎるだけにラストは切ない。もうちょっとどうにかならなかったのだろうか、と思ってしまった。ちょっと難解だった。それしても、あんな母親がいたら、ほんとに困る(笑)
「ギンイロノウタ」
良い主婦に見られることだけに必死な母、家庭に無関心でいばりちらす父、内気すぎる主人公・有里。
有里は内気すぎて、やることなすこと遅くて失敗ばかりで周りを苛立たせる。
テレビアニメで裸の女が男の視線を集めたことに衝撃を受け、早く自分も大人の体になりたいと願うが、その夢も叶わず。うまく周りに馴染めず、しまいには殺害衝動をなんとか堪えて日々を過ごすことに…。
いったいどんな悲惨な展開になるのかと途中、ハラハラしたけど、たまにいてる殺害理由が理解不能な殺人犯はこんな感じなんだろうか。こうしてちゃんと物語にしてくれると理解できる。最後には道が開けたようでしたが、こちらも難解。これから大人になったら仕事も恋愛も、もう少し自分の殻を破ってがんばってね、と思ってしまった。赤津じゃないけど(笑)
2作とも、主人公から見た世界が延々と綴られている中、客観的な視点、第三者からの世界の見方が時々挿入されることで、主人公がいかに閉じられた世界で生きているのかがわかる。でも10代の時ってひとりよがりな世界で生きてるもんじゃなかろうか。だから、凄まじい内容ではあるけど、共感も出来てしまう。