紙の本
幸せを教えてくれる赤ちゃん
2018/09/02 07:35
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投稿者:nabe - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近医学に興味を持っている小6の長女が読みました。
感想を聞いてみたところ、「多発奇形の赤ちゃんが生まれた家族が、その赤ちゃんを受け入れて、赤ちゃんと一緒にいられる時間や赤ちゃん自身を大切にしていることが良く分かってよかった」と言っていました。
障害がある赤ちゃんにも人生があり、家族はその赤ちゃんから幸せを教えてもらえる、そういうことなのかなと思いました。私も読んでみようと思います。
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読了。正解はない。
自分自身の価値観はあるが、当事者がどう考えるかはさまざまだし、
何か強いきっかけがあれば、がらっと自分自身の価値観も変化するかもしれない。
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4月初めに読んだ『誰も知らないわたしたちのこと』は、主人公の発言や訳者あとがきの内容などモヤモヤが残った。出生前診断によって「この子が生き延びることは不幸だ」と見なされた胎児が中絶される。
染色体どころか遺伝子レベルでこまごまと調べることができるようになってきて、「この病気をもって生きるのは不幸だ」「この異常があると大変だ」という線引きの範囲は、じわじわ狭まってきてる気がする。ほんとに他人事ではないと思う。
この『運命の子』は、13トリソミーの子をもった家族の話を主軸に、「「短命」と定まっている赤ちゃんを育てることで、家族はどのような形の幸せを手にすることができるのであろうか」(p.18)という、著者自身の疑問に取り組んでいる。幸せとはなにか、何をもって幸せといえるのか、この本に出てくる家族もまた考えている。
発生の過程で、通常は女親と男親から23本ずつ受け継ぐ染色体がなにかの拍子で数の異常を起こした場合、多くは流産や死産となる。だが、13番染色体、18番染色体、21番染色体が3本ある(トリソミー)胎児は、必ずしも流産にならず、生を受ける。
21トリソミー(ダウン症)は、およそ1000人に1人の割合で産まれてくる。医療レベルが上がって、ダウン症の人が大人になり、老いることは当たり前になっている。だが、13トリソミー(5000~11000人に1人の割合で産まれる)、18トリソミー(3500~8500人に1人の割合で産まれる)は、同じ染色体異常とはいってもダウン症とは異なり、複雑な奇形を多発することが多く、赤ちゃんの命は長くないことが多い(1歳を超えて生きる子は全体の10%という)。
日本の新生児医療のなかでも、13トリソミーや18トリソミーは積極的な治療はおこなわない疾患とされ、いわば見捨てられてきた病気だった。著者自身、治療をやめるどころか赤ちゃんの死に加担するようなことを1度だけやったことがある。「私の両手に罪悪感が貼り付いた」(p.16)と本の冒頭にある。
大学病院を退職したときに、著者は大きな悔いを抱えていた。重い奇形や障害をもって産まれた赤ちゃんが、もし自分の子だったら…他人の家族には説得して命を長らえるための手術の同意を得る一方で、もし自分の子だったら障害児を引き受けるのを拒否するのではないか…そんな不安が漠と胸にはあったものの、結局その自分の心と正面から向き合うことはなかったと。
▼障害児を授かるとは一体どのようなことなのだろうか。その不条理な重みに人は耐えられるのか? 受け容れ、乗り越えることは、誰にでも可能なことなのだろうか?(p.19)
この問いかけに答えるために、著者は、13トリソミーの赤ちゃんの家族の言葉に耳を傾けた。開業医となってから、自宅に帰る朝陽君(13トリソミー)の地元の主治医を頼まれた著者は、朝陽君の家族の歩みを中心に、様々な障害児の家族の話も交えて「命を巡る会話」を重ね、この本を書いた。
産まれてきた子に障害があると知った親御さんやきょうだいの話、悩みや迷い、そこから考えなおすいのちのこと、障害のこと… 印象に残る箇所がいろいろあった中で、退院して1年経ったときの朝陽君のお父さんの話がいいなと思った。
▼展利[=朝陽君の父]はネットを介した情報は要らないと言う。朝陽君の誕生日に13トリソミーを検索して以来、彼は一度もネット検索をしていない。ネット情報に意味がないとは言わないが、自分には必要がないと考えている。なぜならば朝陽君は、知識としてでなく、実在する人間として目の前にいるからだ。
ネットで知識を得るよりも、朝陽君のここを触れば足が動く、あそこを突けば表情が変わる、そういうことを発見していくことの方が、意味があると展利は考えている。(p.162)
「知識としてでなく、実在する人間として目の前にいる」、それが親の目なのだろうと思う。(「知識として」目の前にいる人を見る医者は、おそらく多いのではないかと思う)。
その時点では、口蓋裂の手術や人工呼吸器を望まないという父の展利に、著者は「意地悪な質問をする訳ではありませんが」と、ゴーシェ病の子のお母さんがしてきた選択(人工呼吸器をつけての在宅)を紹介して、「朝陽君が苦しい思いをしても、今の決意は変えませんか」(p.163)と訊いた。
その問いかけに「変わっていくと思いますよ。あくまで今はそう思っているというだけであって、気持ちは変化しても当たり前だと思っています」(p.163)と答える姿勢も、いいなと思った。
ゴーシェ病の子をもつ親御さんの話のところでは、「治らない病気」を持つ子の親の気持ちとは…というのがあった。13トリソミーや18トリソミーは「致死的な染色体異常」と言われることもあるようだが、ここを読んで私は(人間みんないずれは死んでいくし)と思い、しかし本のタイトルにもなっているように短命という「運命」で死に至るだろうという点では、「治らない病気」のままで生き延びることは難しいから「致死」といった言葉が使われるのだろうかと思った。
母が神経難病だと診断されたとき、「この病気では死なないけれど、感染症などが命とり」と言われたことを思いだす。病気の進行の速さから、母には平均寿命は世界一というような長命は望めないのだろうと思ったことも。
それでも、歳の順からいえば、子よりも親のほうが先に死ぬ。親は、親となった時点で子よりも長い人生をすでに生きている。「治らない病気」を持ち、短命という定めを持つ子の生涯を親御さんが見続けるのと、この先は短命であろうという親を見るのとは、やっぱり違うかなとも思う。
『運命の子』は、著者が自身を振り返り、自分の心のうちをしっかりと掘り起こした率直な文章にいろどられている。この著者の姿勢があるから、私は『誰も知らないわたしたちのこと』を読んだときのようなモヤモヤした気持ちにならずに読めた気がする。「あとがき~何を感じながら執筆したか~」で、先を見通せなかった自分について、著者はこう書く。
▼それは、私が確固たる生命倫理観を自分自身の中に築いておらず、きちんとした準備もせずに、話を聞き始めたからだろう。そして朝陽君の両親の言葉を耳にしてすぐに、私は大変な不安感にとらわれた。それは朝陽君の周辺にいる人間の中で、13トリソミーという障害に対して最も偏見を抱いているのは、医者たる自分自身なのではないかと��い始めたからである。(pp.216-217)
「倫理は思弁ではない、行動である」(p.219)と著者は学んだ。時に親御さんの話を聞きながら涙を落としそうになり、家族が辛さに向き合って前へ進んでいくのを待ち続ける根気を医師は持たなければと、自らの学びを心をふるわせながら綴る。
▼誕生死した18トリソミーの赤ちゃんの物語は、両親に話を伺いながら落涙しそうになった。そんな自分を医者として甘い姿勢だと感じたが、澄んだ心で自分は患者家族に学べばいいと思い直した。…(略)…
障害新生児を授かるというのは誰にとっても耐えがたい不条理な苦痛である。しかしだからと言って、子どもを手放したり家庭を捨ててしまう親はほとんどいない。逃げることは叶わずその辛さに向き合わざるを得ない。長い時間をかけて、受け容れたり反発したりしながら、徐々に前へ進んでいく。医療関係者はそのことを知らなければならない。建前けの倫理で家族を説得し従わせるのは実は倫理的ではない。時間はかかっても、両親はやがて新しい価値基準を構築し始めるはずだ。家族が悲哀のそこから立ちが[ママ]上がるのを、待ち続ける今期を医師は持たなければならない。(p.218)
昨年春から実施されている新型出生前診断で、染色体異常が「陽性」と出れば現状ではほとんどが妊娠中絶を選んでいるという。調べるということ、科学技術が進むということ、病気を「治す、治療する」ということ、病気が治らないということ… この本を読みながらそういうことをまた考えて、「運命」に人間はどこまで手を加えることができるのか、「運命」をどう生きるのかと思った。私自身も。
(4/28了)
*4月初めにネットで掲載された著者インタビュー
新型出生前診断で問われる"命の選別"
「13トリソミーの子」と家族に寄り添う医師、松永正訓さんに聞く
http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/02/trisomy_n_5074329.html
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ブログ紹介済み。
http://ameblo.jp/yokohiro1216/entry-11835135185.html
この本は、染色体異常で生まれてきた子(誕生死も含む)のご家族へのレポが中心の本です。
染色体が3本と通常より多い染色体異常は「トリソミー」と言い、生存することができないのですが、13トリソミー、18トリソミー、21トリソミー(ダウン症)は生きて生まれる子もいるそうです。
しかしながら、重大な奇形や発達不全を伴うことが多く、生まれたとしても1年以内に90%の赤ちゃんが亡くなるとのこと。
そんなことから、医学界の常識は、13トリソミー、18トリソミーの子に対してはその子やご家族のために積極的な治療をしないほうが良いとされていたそうです。
障害児を生むとはどういうことか?
障害児を育てるとはどういうことか?
そんなことから始まり、出生前診断の話まで、考えさせられる話がたくさん出てきます。
最近私がよく思うことは、普段人に見えるものごとの良し悪しって、ほんの一面しかないし、非常に短期的なことなのかもしれないな、ということ。
例えばものすごく身近な例で言えば、
時間の製薬があるからこそ逆にたくさんのことをこなせているだとか、
いわゆる不遇な子供時代を経たからこそのハングリー精神で結果を出す大人になるだとか、
逆に、子供のためをおもってやったことが、子供の成長を妨げたり、だとか…。。
この本にも出てきますが、障害児を育てているからこそ、人とのつながりが増えたりそれがものすごく貴重に思うそうです。
障害児に会えたからこそ教わることは、健常者の子供から学ぶこととはまた違うのでしょうね。
普段の仕事でも、特に今は新人教育をしているので、こういうことを実感します。
ある程度年数が経ってくると、正直上手い下手とか出来不出来というくくりで見てしまいがちですが、新人というある意味まっさらな状況だと、その子の強みや個性がよく見えます。
ハッキリ言ってどんくさい子でも、そのおだやかさが有利になることもいくらでもあるし、
きっちり丁寧に仕事をする子が、逆に融通きかなくてイライラすることもある。
「人が人を選ぶ」ということに対する私の中での問題意識にもひとつの答えが見えたし、こうして日々の上司としての仕事にもすごく活きる本でした。お勧めです。
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読んでよかった。
前半、電車でうるうるしそうになりながら読んだ。
知識があるにこしたことはないから、命を消してしまう為ではなく、出生前診断もありなのかなと思っていたけど
やっぱりしないほうがいいのかな。
自然の摂理、という夫と私の共通認識&色々問題が山積みの時期だったので話し合うタイミングを逸したため、
なんとなーく受けずにここまできてるけど、難しい問題。
途中で出てきた妊婦さんは、事前に知っていたからこそより良い病院、より良い治療法に出会えたんだろうし。
自然の摂理、という夫の言葉も、現代を生きる私たちにどこまであてはめてよいのか、時々難しくなる。
読んでよかった一冊。
***
お母さんを選んでくる、ってよく聞くけど
なかなかぴんとこない。
確かに、人は人だと思っているし、皆に羨まれるような人でも悩みはあるんだから
自分には自分に課された苦難なり慶びなりがあるとは思っている。
だけど、もしも、おなかのこが自分と同じような五体満足の健康優良児じゃなかったときに、
他のことのようにすんなり受け入れられるのかっていうと
自信は全然ない
そんなに人間できてない。今までふたをしてきた自分の嫌なところが露呈してきそうで怖い。
結局わたしは人を妬むどす黒い感情に覆われた人間なんだっていうのが、ごまかしきれなくなるのではないか…
身近に健康な人しかいないから、どうしても
かわいそうと考えてしまうところから脱せないのかな。
わたしのアトピーだって、見る人が見れば十二分にかわいそうなんだろうけどね!
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「短命の赤ちゃんに医療行為を行うことはいたづらに命を引き延ばすだけの過剰な医療であり、親にとって残酷なことだ」と考えられていた時代や病院があったということが少し信じられなかった
親と病院の話し合いが大切だと思う
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短命の運命を背負って生まれた子とその家族のお話しです。
家族はトリソミーという運命をいかに受容したのか、家族にとっての幸せとはなんだろうか・・・
すごく考えさせられる内容です。
自宅介護は想像以上に大変そう。でもその中には確かに愛情や絆、希望がある。
障害があるから不幸ではないし、長生きだけが幸せというわけではない。
家族が揃って普通に笑って暮らせることが一番幸せ、という言葉が印象的だった。
たとえ脆くて危ういものだとしても、この家族は毎日に感謝をし普通に笑って暮らしている。
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朝陽くんのお祖母様の言葉、有希枝ちゃんをカンガルーケアしたお母さんのシーン…涙が止まらなかった。生命の尊さ、有り難さを、感じさせてもらいました。
人間には、いろんな人がいます。発達障害の人、身体的障害のある人、トリソミーで産まれてくる子、みんな、同じ生命。みんな、尊い存在。神様の采配ってすごい。むしろ、トリソミーで産まれてくれたからこそ、周りにはたくさんの学びがあります。ほんとにステキな本でした。ありがとう。
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まさに副題そのもの。
染色体異常のなかでも「13トリソミー」の赤ちゃんは、心臓の奇形や脳の発達障害があるため、半数が1か月ほどで、ほとんどが1歳までに死亡してしまうとのこと。
「13トリソミー」として生まれた朝陽(あさひ)くんの両親は、目も見えず、耳も聞こえず、ミルクを飲むこともできない、見た目にもはっきりとした障害のある我が子を受け容れ、自宅へ連れて帰り愛情を注ぎます。
そんな短命という定めを負って生まれた朝陽くんの生命力に、多くのことを考えさせられます。
そして、朝陽くんの両親の凄さ・・・自然さが凄いです。
出生前診断なんて、うちの子のときにもあったんだっけ?
ってくらい、記憶が希薄ですが「命を選ぼうとする考え方」に通じるわけで・・・考えさせられちゃいます。
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泣いた。めちゃくちゃ泣いた。
染色体異常の子を持ち、短命と言われた中での親の苦悩、葛藤、決断、現実的にのしかかるケアの辛さ、不安、それらを経験する中で自分の中の気持ちと向き合い、対話し、時間をかけてそれぞれの接し方を見つけていく。決して悲しい、かわいそうの話だけではない。つらい中でも、自分の子供の可愛さ、ほっこりするような気持ち、ちょっとした成長、回復への喜び、幸せの感情を伝えている。そこには子供を産んだことに対しての後悔は微塵も感じられない。
私も兄妹が染色体異常を持っているので、兄妹の立場としても共感できるところが多かった。
出生前診断に対して一石を投じた作品ということで、非常に内容が濃く、もっともっと多くの人、幅広い人に読んでもらいたい作品です。
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生まれてくる命の選択や生まれてからの育てる覚悟と苦労,言葉で大変だという以上の重苦しい人生に読みながら考えさせられました.でも,いろいろな思いを乗り越えて明るく優しく生きる姿にほっとしました.
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生まれた時から短命である定めの、染色体異常の子ども。彼らを育てるって、どういうことだろう。いつ、障害を受け入れるんだろう。そういったことを、小児外科医である著者が障害を持つ子を育てる親に聞き取り、本にした。短命な子だからこそ一日一日が大切で、けれど短命なんてことは考えたくなくて、でもその子を残しては死ねなくて。相反する思いがある中で子どもの生まれてきた意味を見出し、それぞれに幸せの形を見つけている。誕生死した18トリソミーの子の話はとても悲しかった。出生前診断の是非など、考えさせられた。
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筆者のコラムなどはよく読んでいて、医師としての視点と同列にソーシャルワーク視点が必ずあるのが好きだ。
本書が小学館ノンフィクション大賞を受賞したとは知らなかった。好きな筆者の本ということで手にした。
本当に深い。
仕事柄、障害児・者とそのご家族に日常的にお会いする機会があり、できるだけ彼らの気持ちに寄り添い、彼らが自分らしく生きられるようお手伝いするべく努力しているつもりだった。
だが果たして、私は一体彼らの何を理解できていたのだろうかと思わずにいられない。いや、理解などとおこがましい思いは持たずにいたつもり、でも自分ができ得る努力は惜しむまいと努めていたつもりだったが…。彼らの本当の思いを知るなど、叶わないのかもしれないと改めて痛感せざるを得なかった。
でも、だからこそ彼らの話を丁寧に聴かなければ、彼らから教えてもらわなければならないのだと、自分の仕事の原点に立ち返ることができた。
わかったつもりになることだけは避けなければならない。
当事者だからこそ到達できる医学とか倫理とかを超越した境地に、それを語る彼らの言葉の重さに、ただただ心を揺さぶられた。
松永医師の「医者の基本は相手の話を聴くこと」という言葉に、対人援助の基本はいつも同じなんだなと改めて強く感じる。
語り口が優しく、選ぶ言葉も平易で非常に読みやすい。
筆者の医師として人としての在り方が文章にもそのまま表れている、学ぶべきことに溢れた作品であった。
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2019年5月29日(水)摂南大学図書館枚方分館で借り、5月30日(木)に読み始め、6月1日(日)に読み終える。
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読んでよかった。会う人全員に薦めたい本。
どの親子の話も胸打たれるものがあったが、誕生死のエピソードは本当につらいものだった。医療職として、こんな思いをさせてはいけないと強く思う。
正直うまい感想がいまは出ない。何度か読まなければいけないと思う。