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言葉の意味の解釈にも個性があり、辞書にも相性がある
人の作った社会の全てに人の手が関わっている、ということを思い出させてくれる、良書
あとやはり時間というのはあらゆるものの薬になったりするんだな
偉大なる先人に敬意を
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全然興味が持てなかった。「葬式はするな」とまで言い遺した人のことをこんなに掘り下げるのは止めてあげてよう。
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三省堂国語辞典と新明解国語辞典という二つの国語辞典に関わった見坊豪紀と山田忠雄という二人の辞書編纂者。東大での同級生だった二人が明解国語辞典の編纂者として協力しながら何故絶縁状態となったのか。この本は当時の関係者からの証言などからこの謎を解くとともに、二人の国語辞典への思いの違いを描く。
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ことばと共に生き、ことばに傷つき、誰よりもことばを愛し、国語辞書に人生を捧げた二人の男の物語。
『舟を編む』の時は広辞苑を引っ張り出してきたが、今回書棚から手にとったのは子どもの頃から愛用していた『三国・第三版』。ケンボー先生をはじめ、編者一人ひとりの人となりが浮かび上がり、表紙を見ただけで感激してしまう。恐らく初めて読んでみた序文に胸がいっぱいになる。思わず、「エー(A)」や「レクシコグラファー」をひいてみる。実用品以外の何者でもなかった三国が、ケンボー先生の思いや人生が詰まった宝箱のように思えてくる。
わが家に『新明解』がないのは何とも残念。日本を代表する二冊の国語辞書は、複雑に絡み合った数多の偶然がなければ生まれることはなかった。昭和辞書史最大の謎を丁寧に解き明かしていった著者の取材力には本当に頭が下がります。
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小さいころから家に会った辞書は、三国と岩波の辞書だった。大人になり、辞書といえば広辞苑って思っていた。ことばを教える仕事をするようになり、辞書を引くことが多くなり、説明のわかりやすい、明鏡を使うことが多い。辞書ってみんなおんなじ、どれを引いても、同じ、言い換え、堂々巡りって思ってた。
辞書にも個性がある。見坊と山田。三国と新明解。
辞書は鏡だ。辞書は文明批評である。いろんな辞書があっていいのだ。
中国の康煕字典のように国によって言葉が決められるのではなくてよかった。
新明解(三版)読んでみたかった。
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「舟を編む」で辞書作りの世界を垣間見た思いだったがそれはまさしく垣間見ただけだった。
「新明解国語辞典」と「三省堂国語辞典」二点で累計4000万部を超える日本を代表する小型辞典は二人の個性的な編纂者の手によって編まれたものだった。
母体となった「明解国語辞典」から二つの辞書が編まれるに至った経緯と編纂にあたった見坊豪紀先生と山田忠雄先生の出会いから確執を抱えたまま終えた生涯を記したノンフィクション。
収録された語彙やその語釈を読むことによって二人が辞書を通して語り合っているかの様な深い読みに感動した。
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ケンボーこと見坊先生と山田先生の足跡を丁寧に辿り二人の確執と本当の気持ちに踏み込んだ、謎を解くような面白さがある。しかも言葉の持つ意味、辞書の在り方を世に問うている。この奥深い世界に魅了されました。そして、二人の間に登場する春彦先生のお人柄も素敵です。
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辞書にここまで個性があったとは!ことばは常に変化し、辞書は作られた瞬間から古くなる。だからこそ、辞書は進化を続けて行かなければならない。
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辞書の編纂の仕事に興味があってこの本を手に取った。
ただ、この本はただの辞書作りのお話ではなかった。
辞書を編むことで言葉と向かい合い続けた二人の学者(ケンボー先生と山田先生)の信念の物語だった。
一見素っ気なくも思える国語辞書の語釈の裏に人間の人生をまるごと飲み込むほどの広がりがあるということを知った。
人生を賭したことを思えば、ケンボー先生の『三国』、山田先生の『新明解』と言い切りたくもなる。
でも、『三国』はいつまでもケンボー先生のものではなく、新たな編者のもとで改訂を重ねられることになる。
『新明解』も同様。
他人事ながらそのことを寂しいと思ってしまうのはおかしいことだろうか。
二人の信念が今も二つの辞書の中で生き続けていることを願ってしまう。
それにしてもケンボー先生と山田先生の信念の強さはすさまじい。
周りの人がそれぞれの立場からとやかく言ってもぶれない。
認め合っていた仲間が離れて行ってもぶれない。
胸中は穏やかではなかったのかもしれないが、ただ一歩ずつ信じる道を進んで行ったという印象を受ける。
その姿が眩しい。
自分の信じることが正しいか間違っているか、それはいったいいつどのように明らかになるものなのだろうか。
二人には自分が正しいという確信があったのだろうか。
それとも常に悩みながらこれだけの大きな仕事を成し遂げたのだろうか。
そのことが知りたい。
悩みの中でそれでも歩みを止めずにいられた力の源のことを。
自分のことを振り返ってみると分からないことは何でもかんでも検索してしまうようになった。
便利だと思っていたけれど、この本を読むとなんて薄っぺらなことをしているのだろうと頭を抱えてしまう。
ケンボー先生の地道な用例採集の姿に、ここまで真摯に言葉に向き合うことが出来るものなのかとショックを受ける。
天才の人生のほとんど全てとも言える膨大な時間を注ぎ込まれた辞書。
そんなすごいものが書店に並んでいるのに見向きもしないで小さな端末の光る画面ばかりを覗き込んでいる。
そんな自分にがっかりしてしまう。
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エッセイ的なものはあまり読まないのだけれど
この本はどんどん引き込まれた
先に「舟を編む」を読んでいたからかもしれない
一言一言をきちんと読んでいかなければならない気がして、時間がとてもかかったけれど途中でやめようとは思わなかった
ケンボー先生と山田先生が情熱を持って辞書・言葉に向き合っていたことが伝わってきたから
この本を読みきって良かった
最後まで読まないと異なった人物像のままお二人が残ってしまうから
「ことばは常に変化している」
「ことばは不自由な伝達手段である」
まさにそのとおり
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「辞書とは何か」という問いへの答えの違いが、二人の学者の行く先を分かつことになった。
三省堂が二つの辞書を出している理由が分かった。
これからは、『新明解国語辞典』を面白おかしく読んでいた時とは別の目で見ることができる。たとえば、この辞書は語釈が丁寧なので、上級の日本語学習者には、この辞書も良いかもしれない。『三省堂国語辞典』は、まだ持っていないので、購入したい。多分、手にしたら拝んでしまう。この辞書では、シンプルな答えを探せるだろう。
この本を読んで、辞書は新しいものが良いと思っていたが、好みの語釈がされているもの、選定された語に思い入れのあるものなど、古いものも手元に残しておきたいと思った。
ケンボー先生の身を粉にするような徹底したデータ主義に、心からの敬意。
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かつて、「明解国語辞典」があった。
やがてこの辞書の制作に携わった二人は、「三省堂国語辞典」と「新明解国語辞典」に別れた。
二人の名前は見坊豪紀と山田忠雄。彼らはどんな人間で、その決別にはどんな理由があったのか。そもそも明国は、そして三国と新解は、何を目指したどんな辞書なのか…。
…といった内容の本。
もともとがNHKのBSプレミアム特番というテレビ番組の内容であるだけに、少々ドラマチックすぎるような…インタビューや辞書からの引用部分が恣意的に感じるようなところもありましたが、それはそれとして、面白かったです。
件の「一月九日以降」の気まずさはきりきりと伝わってきたし、「保存 明国三訂基礎原稿」と書かれた字の見える写真にはインパクトがあった。
個人的には、それでもやっぱり『新解さんの謎』は好きで、新明解国語辞典が好き。山田先生は「学生のひねたような人」と言われていたそうだけど、新解からもそういった気配は確かに感じる。…ううん、どうもそういう人は嫌いになれないんだよなあ。
でも、見坊先生は認められるべき人だと思った。三省堂国語辞典の姿勢……辞書がどうあるべきか、という考え方は、正しすぎるくらいに正しいものだ。辞書とはそうあるべきだ、と感じるし、人々がスタンダードとして触れるのは、(新解と三国のどちらかであるならば)三省堂国語辞典であってほしい、と強く感じる。
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●『新明解国語事典』を作った山田先生と、『三省堂国語事典』を作ったケンボー先生のドキュメンタリー。この2つの辞書の違いは、編纂者である山田先生とケンボー先生のキャラクターに違いに現れている。
●私の一番好きな『新明解国語事典』誕生の秘密と、二人の先生の決別までが生々しく綴られている。辞書好きの方には是非読んでほしい。
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三省堂から刊行されている2冊の国語辞典、「三省堂国語辞典」「新明解国語辞典」の2つが、「明解国語辞典」から発展し、それぞれ見坊豪紀、山田忠雄という2人の東大同期卒の協力から訣別、そして訣別後の微妙な尊敬しあう状態を生んだことがドラマティックに再現されている。新しい言葉の収集に情熱を燃やし145万語のカードを集めた見坊。独特の個性的な語釈が話題、人気を呼んだ山田。訣別の運命の日が1月9日(1972年)であり、新明解の「時点」という語の語釈に登場する日付である他、2人の想いが籠った非常に主観的な辞書であることが大変興味深かった。「事故」に、都合の悪い事情を加えたほか、「実社会」「不遇」「沸々」の語釈に山田の悔しさがあるかと思えば、見坊も「ば」に「山田と言えば、この頃会わないな」という意味深な用例。そして「畏友」は山田を意識したと思われる語釈。実に刺激的な読み物だった!
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面白かった。
中学生になった時に、国語の先生が「辞書は三省堂を薦めます」と言ったのを覚えています。
その三省堂の『三省堂国語辞典』と『新明解国語辞典』を作った見坊先生と山田先生のお話。
これを読むと、どちらかの国語辞典が欲しくなります。そして、辞典の序文を読みたくなります。