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福島第一原発事故以後、手弁当で「原発出前授業」を始めた北海道在住の現役高校教員(地歴公民科)である著者の実践と思考の記録。「出前授業」の試み自体もすばらしいが、第2章〜第4章で展開される教育現場を標的にした「原子力」プロパガンダ活動にかんする調査と指摘はきわめて貴重。第4章「原子力ムラと学校現場」は、第24回「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」選外期待賞となったテクストでもある。
筆者の議論でとりわけ重要なのは、2001年の省庁再編で文部省・科学技術庁が統合されたことで、「エネルギー教育」の名目で「原子力ムラ」が教育内容に直接コミットできる道が開かれた、ということ。その結果、「脱ゆとり」を掲げた新学習指導要領では、30年ぶりに中学理科で放射線教育が復活、エネルギー環境教育という名目でさまざまな副読本が作成・配付されていた。3・11以後に話題となり、回収された『わくわく原子力ランド』は、そうした文科省の政策(しかも担当部局は初等中等教育局ではなく原子力関係のセクションである)の一環としてあった。
3・11とポスト福島事故の現在、エネルギー環境教育は「放射線教育」に衣替えをして、隠微なかたちで現場への浸透を図ろうとしている。福島事故をうけて作成された小中高向けのパンフレットそれぞれには、確かにウソは書かれていない。しかし、かといって本当のことも書かれない――。筆者の原発プロパガンダにかかわる指摘は明快で、「核を見せる文法」での拙論の方向性とも合致する。そして、そのような図式の上に発っていれば、永久に核関連広報という教育=洗脳活動を継続していくことができる。
筆者は、「原発出前授業」の実践の中で、「原発と放射能を教えること」が、言葉の正しい意味での市民教育、シティズンシップ教育につながることに気付いていく。この認識は重要である。2005年、新潟県巻町の住民投票が「原子力ムラ」に危機感を生み出し、プロパガンダに拍車をかけたように、2011年の事故は、核・原発を受忍させられる/受け入れさせられる人々の意識の目覚めと自覚をうながすことになった。自ら学び考える存在を支援し、エンカレッジし、その手助けをするのは、あらゆる教育活動の基本である。そのためには、まずはオトナたち自身が「考え・判断している姿」を見せるべきというシンプルな卓見は、あらためて噛みしめるに足る内実を備えているとわたしは思う。