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バルザックの作品には、かなりえげつない女が登場します。それも貴族階級なのです。『ソーの舞踏会』夫婦財産契約』『禁治産』に出て来る女性は、揃って品がないです。男の方は、賢い男とカモられる男は大抵わかります。
どういうふうにして、どんどんカモられるか、或いは魔の手を逃れるか、この過程がぞくぞくします。
鹿島茂氏がよく述べていますが、当時のフランスの経済を知らなければ、バルザックは難しい一面があります。裕福な貴族と貧乏貴族、これらの規模が具体的にわかれば、もっとおもしろいと思います。
読んでいくうちに、サン・シモン主義というのが浮かび上がってきます。『禁治産』はそれがよく出ていると思います。
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表題作は貴族令嬢エミリー・フォンテーヌが非常にプライドの高さのゆえに、若い美男子マクシミリアンへの恋のすれ違い、そして別れた2年後の再会まで。ドラマティックな展開が息をのむ。著者の貴族階級への皮肉に満ちた姿勢は「夫婦財産契約」のナタリー嬢に対しても同様。そういえばこの著者は何人もの貴族の奥様・令嬢と関係を結んだ人だった!ナポレオン後のフランスの上流社会を垣間見る思いがするが、今も人間の深い深淵は変わらないと思った。最後の解説が大変分かりやすい。
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『ソーの舞踏会』1829年・・・風俗研究(私生活情景)
名門貴族のフォンテーヌ伯爵は、徹底した王党派で、時代の波をうまく利用しながら王の寵愛を受けていた。
息子たちは地位のある堅実な職に就き、娘たちも税務官と司法官に嫁がせたのだが、末娘のエミリーだけはまだ未婚。
フォンテーヌ伯爵夫妻はエミリーを目に入れても痛くないほど可愛がり、甘やかして育てた。エミリーはそれはそれは美しい娘に成長したが、わがままで、気位が高く、結婚相手はフランス貴族院議員かその長子でないとイヤだという。
そんなエミリーは、義兄の別荘の近くのソー村の舞踏会に出かける。
ソーの舞踏会には、庶民たちも参加し、そこでひとりの若者に恋心を抱く。その若者を好意的にみるエミリーは、立ち振る舞いなどから、彼は貴族の御曹司に違いないと思い込むが、身分は彼の口から語られることはない。
パリで、偶然、洋品店で働いてる彼を目撃し、ショックを受けたエミリーは愛よりも貴族主義が捨てられず、70歳を過ぎている自分の大伯父と結婚する。
二年後、貴族院議員の兄が亡くなり、身分と財産を相続した彼が現れ、彼女は自分の過去を呪う。
王党派の両親に育てられ、貴族至上主義に凝固まった気位の高い娘が、自分が感じた愛よりも優先するものをもつことで、後の祭りになってしまう物語。
バルザック自身も貴族に異常なほどの憧憬を持っており、貴族を示す 「ド」をいれて オノレ・ド・バルザック と署名していた。
次々と手を出した女も貴族の夫人が多く、願わくば莫大な財産を持つ貴族の未亡人と結婚し、本物の貴族の称号を手に入れ、自分の負債もチャラにしてくれるのを夢見ていた。
晩年、大貴族未亡人のハンスカ夫人と漸く結婚するが、結婚生活は僅か5ヶ月だった。
『谷間の百合』のモデルとされるバルザックの初恋の相手のベルニー夫人も貴族だった。バルザックの貴族主義は相当なものだが、この『ソーの舞踏会』は、身分だけが大切ではないと警句的な小説に仕上げている。
エミリーの父のフォンテーヌ伯爵は、フランス貴族的なブルジョアジーどっぷりに生きてきた人物だが、フランス革命、恐怖政治、ナポレオン政権、王政復古とめまぐるしく変化するこの時代をもってして、虚栄心の高い娘に、結婚の幸福は輝かしい才能や身分や財産などではなく、夫婦相互の尊敬に根ざしているものだと説く。
この父親は、読者に存在感を残す。
しかし、自分が手塩にかけて育ててきた娘は耳をかさない。
それは凋落しつつあるが貴族のなかの貴族として生きてきた自分の産物に違いないのだった。
人物再現法で、父親が勧めた相手として、『ペール・ゴリオ』などたくさんのバルザック作品に登場するラスティニャックも登場する。聡明といえば聡明すぎるエミリーは、彼をニシュンゲン夫人(ゴリオの次女)の愛人だと心得え、チクリと嫌味をそえて退ける。ラスティニャックなど登場人物の再登場は、人間喜劇を読み通すものにとってチラリ登場でも楽しいものである。
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■小説89篇と総序を加えた90篇が「人間喜劇」の著作とされる。
■分類
・風俗研究
(私生活情景、地方生活情景、パリ生活情景、政治生活情景、軍隊生活情景、田園生活情景)
・哲学的研究
・分析的研究
■真白読了
『ふくろう党』+『ゴリオ爺さん』+『谷間の百合』+『ウジェニー・グランデ』+『Z・マルカス』+『知られざる傑作』+『砂漠の灼熱』+『エル・ヴェルデュゴ』+『恐怖政治の一挿話』+『ことづて』+『柘榴屋敷』+『セザール・ビロトー』+『戦をやめたメルモット(神と和解したメルモス)』+『偽りの愛人』『シャベール大佐』+『ソーの舞踏会』+『総序』 計17篇
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「ソーの舞踏会」1829年、「結婚財産契約」1839年、「禁治産」1836年作。
最初の「ソーの舞踏会」は約90ページ、「結婚財産契約」は約200ページもあるのに、ほとんど章立てがなく、1行空けの段落もないため、読むのに結構苦労する。おまけにヘンリー・ジェイムズと同じくらい改行が少なく、改行の無いまま数ページに渡る場合もある。
しかし、バルザックはやはり、面白いのである。実に様々な人物を、それぞれにリアリティをもって描き分け、多様な場面、多彩な人生を刻んでゆく。彼の執筆はただちに言葉の奔流となり、登場人物の語りはしばしば実際に語ったら何十分にもかかりそうな長広舌を展開する。
バルザックのこの圧倒的な奔流と大量の人物や場面を創出する凄まじいエネルギーは、特異なものがある。そのたくましさはベートーヴェンの強引さを想起させる。
が、改行だらけで言葉が少なく、ひたすらスピード感を競って薄っぺらな情報を追いかけてゆく現代の小説に慣れた人びとには、バルザックは読みにくく苦痛を感じさせられるであろう。これを楽しむには、生の時間に余裕が無ければならない。
本書中では、最初の表題作が比較的ストレートな恋愛ストーリーとなっていて、面白く読めた。長大すぎる2つめの「結婚財産契約」は、結婚に当たって双方の財産をどうするかという、我々貧しい平民には縁のない話で馴染みにくいものではあるが、当時の貴族や上層ブルジョワ階級にあってはこのようなめんどくさい問題が生じていたのだろうと思われ、幾らか興味も湧いた。バルザックがどうしてこのような法的問題にも通じていたのかという点も不思議だ。そのように当時のフランス社会の隅々までに拡張していったバルザックの知のたくましさも凄まじい。