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戦前において唱えられた日本の詩の「厳密な定型詩」の運動は、結果から云えば失敗だったらしい。しかし、その日本文学史においての位置をわたしは、検討する能力がない。
それら同人たちの中で、福永・加藤・中村が巣立っていることの意義も、わたしは検討する立場にない。
ただ、長い間この詩集は絶版状態で、その全貌は不明なままだった。ここに重要な詩評を併せて復刊成ったことの意義は大きいだろう。
福永武彦の詩の厳密さは理解出来る気がするが、加藤周一や他の人の定型具合は、わたしにはわからない。その効果、または詩の全体的な素晴らしさも、よくわからない。
ただ、加藤周一の「さくら横ちょう」などを読むと、未だに昭和歌謡として歌われているらしい、ことなどを聞くと、韻を踏む定型詩の日本の歌詞に与えた影響の幾ばくもあったのかもしれないと思うだけである。
その加藤はマチネ・ポエティクについて、その始めた理由をのちにだいたい以下のような理性的な分析を施している。
一つ、何人かが「万葉集」の読書会に参加していて、規則化された詩の押韻の可能性に興味を持った。
一つ、幾人かがボードレールたちの反ロマン主義、反自由詩の方法論に興味を持った。
一つ、九鬼周造の日本語押韻の理論と試作を頼りにしていた。
一つ、戦中の時代に「おそらくのこり少ないと思われた人生の最後の時」を神に祈ることの代わりに、クロス・ワード・パズルを解くように「他にすることがなかった」。(「中村真一郎、白井健三郎、そして駒場」より)
マチネ・ポエティクのほとんどに、いやすべてに、理論的な詩群がない。それは偶然なのではなく、死を意識した青年たちの死ぬ前に人のとる道だったのかもしれない。
あの理論派加藤周一でさえ、全てこんなにも少女趣味的な詩ばかりを残している。
「さくら横ちょう」
春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう
想出す 恋の昨日
君はもうここにいないと
あゝ いつも 花の女王
ほほえんだ夢のふるさと
春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう
会ひ見るの時はなかろう
「その後どう」「しばらくねえ」と
言つたつてはぢまらないと
心得て花でも見よう
春の宵 さくらが咲くと
花ばかり さくら横ちょう
2015年3月20日読了