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ずーっと前、高校生の頃、先生に勧められて読んだ。
当時は、このお話をどう受け取ったらよいのかわからなかった。
その、わからなさがずっと心にひっかかっていたこの本。
完成版が出た今、満を持して再読。
当時感じられなかった「ロマン」みたいなものを、大人になった今、このお話から感じたし、考えたいことがいろいろ湧いてきた。
大人の人、特に男の人の方が深く味わえる本なのではと思う。
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「人生には、食うことや、争うことや、権力を奪い合ったりすることなどより、はるかに大事なことがあったんだと、そう初めて気づくようになるまでに・・・」というのは、結構ためになった。そういうのを超えたことに僕も気づきたいと思うんだけど、この本だとそれは技術を身につけるということなのかなぁとしか分からなかった。もっと何回も読んだら見えてくるかもしれませんが。
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既成の概念にとらわれず自分の信じるままに生きようというメッセージ。高校生の時に完成版じゃない方を読んだ。完成版を読んでみると、偶像崇拝の衆愚制が表されていて驚いた。
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「人生を変えた一言」的な言葉が多く知的好奇心を高めたい時など、これまで何度も開いてきた本、「かもめのジョナサン」
その完成版。
リチャード・バック氏の序文からもう感激で、手持ちの古い本を一緒にめくり始める。
そしてこの新たなる完成版をまた蔵書の一つに加えることのうれしさに包まれる。
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大昔の若い頃、一作目の
この「かもめのジョナサン」を読んだ.
当時なにが判ったか?
ということさえ、
理解できていなかったかもしれない。
こうして完成版として1から4まで
通して読むことが出来て、
はじめて漠然と
思い当たることがあった。
中年から高年にさしかかる今
読む機会を得たからこそ、
これはまるでキリスト教の
生い立ちから現在までを
言い得ているようだと、
感じた。
しかし
宗教に関わらず、
なにもかもすべて、
革新的な進歩は
ジョナサンのような人々が
今まで荷なって来た。
自分の美をひたすら信じ、
そこに向かって
だれの賛同も批判も
ものともせずに。
そこに問題がでるのは、
そんな追求の苦しい過程から
目をそらした、現実主義者が
真実や理想を
形骸化させてしまうのではないか?
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古典文学はとっつきにくく、また分かり難かったり鬱屈としたものが多かったり、個人的には読むのにかなりの根気と精神力を必要とするものだと感じていた。その概念を覆したのがこのかもめのジョナサン。こんなに爽やかで小気味よいテンポで進む作品はそうそうない。というか寡聞にして知らないだけかも…。兎にも角にも自分にとってはそれなりにセンセーショナルな作品だったことは間違いない。それに続編があったことに驚き、同時に絶対読まねば!という気持ちが沸き起こった。第四章を読む前は、無知の知、自己の追求といったどこか哲学的な要素を強く含んだ作品が、かもめのジョナサンという飛ぶことに没頭した主人公を媒体に具体的かつ分かりやすく書いてあるものだと思っていた。しかし、第四章は面授の弟子の葛藤がメイン。字面通り受け取れば、宗教の浅はかさや怖さが主軸なのかもしれないが、リチャードパックが「次はお前の番だ」という過去の自分からのメッセージを感じるほどの義務感を抱く内容ではない。そうなると、その先(奥?)
にあるもっと普遍的な概念がテーマなはずだ。よし、もう一回読もう。
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Part4については散々言われていて読むのが怖かったのですが、読後感は思ったよりも悪くなかったです。
ジョナサン・リヴィングストンというかもめの生き方を見て、自分はどうだろうと振り返るのもいいですし、結局なんだったのさ? と思うのもいいと思います。
私は好きです。
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寓話の名作ということで、完成版の発売の記事を見て読んでみました。
「飛ぶことは食べるためのこと」というカモメ界の常識に反し、とにかく速く飛ぶことを目指したカモメ=ジョナサン。
群れから追放されながらも境地を目指し、あっちの世界にまで逝っちゃって、最後は瞬間移動までできるようになります。
そこから自分を追放した群れにあえて戻り、後進の育成をし、その常識を超える意志が受け継がれて行くのですが…
今回、書き加えられたというPart4で、ジョナサンが神格化されてしまって、彼の伝えたかったことが堕落していく様が描かれています。
正直よく分からんです!!
「意志さえあれば、この本は可能性を広げてくれる」とのことなので、まだ自分には意志が足りないのかもしれないです。。。
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考え方や、生き方を強く伝えてくる物語。
前半はメッセージが物語にきちんと隠れていて小説っぽかったけど、最終章では社会のあり方を風刺的にストレートに伝えてきた。
伝わる一冊。
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読後の爽快感。
観念の世界に行ってしまった気がする。
その姿勢は憧れるべくしてありながら、実現は誰しもが出来るわけではない。
決して歩みを留めぬようにしたい。
タイトルは知っていたが初めて読んだ。
文学をもっと知ろうとしたほうがいいと改めて思った。
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40年以上前に、世界的なベストセラーとなった本の完全版。最終章は、40年を経過して、新たに書き加えられたのではなく、当時すでに書かれていたが敢えて発表しなかったのだという。
朝日新聞の<売れてる本>の書評欄では「宗教と信仰、根底から問う」(佐々木俊尚)との見出しで紹介され、週刊読書人でも佐藤優が、「マルクスの『資本論』とあわせて読むと、貨幣と宗教・仕事などの物神性についての類比的な読みもできる」と評価しているので、気になって読む。
40年前と同じく、五木寛之が<創訳>している。1974年版のあとがきも収められており、五木寛之は<純白に輝くかもめ>に違和感を表明しているが、最終章が加わったからといって特に作品が優れたものになったわけではない。
宗教における教義が時代を経ることで風化していくというありふれた現実をなぞっているだけの寓話に過ぎず、ありがたがって読む人がいるのが信じられない。文章も文学的感動からはほど遠い代物だが、これは訳者の五木寛之が悪いわけではないだろう。そもそも、原文そのものが薄っぺらな文章に違いない(原文に当たったわけではないが)。
こんな感想を懐いてしまうのは、様々な宗教やイデオロギーの退廃や終焉を見過ぎたからだろうか。
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こんなに観念的な小説だったっけ。
ベストセラーになった当時読んだけど、しかも最近まで本棚に有ったような気がするけど、こんなに薄っぺらい話(量、質ともに)だったっけ。
挿絵多すぎ、30分で読めちゃう。
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「カモメの一生があんなに短いのは、退屈と、恐怖と、怒りのせいだということを発見するにいたった」と言う文章が、心に残った。
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何かを信じている限り自由ではないのだろう。純粋に「いま・ここ」を生きられるか否か。これが結構難しい。一見、宗教(キリスト教)批判のようにも受け取れるが(五木寛之が法然を連想するのも無理はない)、他方「キリスト者の自由」という概念もある。「~からの自由」ではなく「~への自由」(消極的自由と積極的自由)。この辺はまだ考えがよく整理できていない。
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昔、兄が買ったのをパラパラと見た覚えがある。どこまで読んだのか全く覚えていなかったが、今回付け加わった4章含めて全部読んでみて、1章のみ真面目に読んで、あとはジョナサンがだんだん超人(超鳥?)みたいになっていくので読むのを已めたことが判明した。
1章は面白かった。
すべてのカモメにとって、重要なのは飛ぶことではなく、食べることだった。だが、この風変わりなカモメ、ジョナサン・リヴィングストンにとって重要なのは、食べることよりも飛ぶことそれ自体だった。その他のどんなことよりも、彼は飛ぶことが好きだった。(21p)
中学生の私にとっては、その言葉はすんなり胸に落ちる言葉だった。ところが、ジョナサンはやがて天国と見紛うような処に行って、究極の「速く飛ぶ」ことはテレポーテーションなんだと気がつく。出来るんだ、と悟れば彼はそれもやってしまうのである。ジョナサンは師匠から「もっと他人を愛することを学ぶことだ」と教えられると、自分を追放した古巣に戻り、「弟子」を育成し始める。そのくだりにビックリしてしまう。子どもの私が拒否するのも当然である。ジョナサンは何度も何度も否定するのではあるが、それは「神様の誕生物語」そのものじゃないか。
ところが、作者の主張は違う。読者である我々に向けて、そのことは一生懸命に「説得」される。
「群れの連中は、あなたのことを〈偉大なカモメ〉ご自身の御子ではないかと噂していますよ」ある朝、上級のスピード練習を終えたあと、フレッチャーがジョナサンに言った。「もしそうでないとすると、あれは千年も進んだカモメだなんてね」
ジョナサンはため息をついた。誤解されるということはこういうことなのだ、と、彼は思った。噂というやつは、誰かを悪魔にしてしまうか神様に祭り上げてしまうかのどちらかだ。(111p)
読みようによっては、この作品は当時のスーパースターが神様に祭り上げられたりしていた状況を皮肉った物語にも見えないことはない。第3章は、ホントの弟子が見つかった時点でジョナサンが虚空に消える処で終わる。
「やっぱりこれは神様誕生物語だ」と当時はいろんな批判が飛び出たらしい。最も最先端の批判者は訳者である五木寛之だった。わざわざ後書きで長大な批判論文を書く。五木寛之もこの頃は若かったのである。つまりここには性も食も出てこない、生活感を否定した上からの話「冒険と自由を求めているようで逆に道徳と権威を重んじる感覚」なんだと批判したのである。
作者自身はホントは第4章を書いてはいた。しかし、なぜか第3章で止めたらしい。ところが、半世紀が経って妻が「これは何?」と詰め寄る。そこには、その後の世界、ジョナサンが神格化された世界の弊害が事細かに描かれていた。作者自身も「革紐で自由を扼殺しようとしている」21世紀の今こそこの物語が必要だと発表を決意するのである。(完成版への序文)
あれから半世紀、「ヒーローズ」みたいな超能力人間が跋扈するようなテレビドラマを経験した私たちに、この話が改めて必要なのかどうかはわからない。けれども、かなり純粋な(しかし単純な)「自由を求めるアメリ��人」の姿がここにある。
現代アメリカ文学の雰囲気を知るには、面白いテキストである気がする。
2014年8月23日読了