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初めて読んだ。
すごーーくよくわかる。
まさに、このことが企業内で起こっている。
ジョナサンを神格化しても意味がないと気づいたカモメは、気づかないふりをするか、自分が誤っていたと考えを変えるか、もしくはその組織から身を引くか、のいずれかの行動を取るのだろう。
しかし、組織側がそこに疑問を投げかけたり、自ら変革することは不可能に近い、そんな気がした。
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青春の邂逅でした。ゆっくり思い出し、反芻し、今一度来た道を辿らなければ、ジョナサンとは本当の再会を果たせない気がしています。
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最終章が追加され、作後40年を越えて完成版となったことを知り、今さらながら初めて読んだ。素晴らしい本だと思う。論理社会にうまく馴染めず、サリンジャーやヘッセを夢中で読み、現実と精神世界のバランスと両立が今より全然とれず、二者択一でしか考えられなくて苦しんでいた若い頃を思い出した。
達観というのが相応しく、本来の平安、真理は自分の中にしかない。
禅や仏教思想がもろで、西海岸のヒッピーたちから火がついたのも頷ける。
訳者の五木寛之は40年経って理解が深まったというか丸くなったというか、合わせてつけられている1974年版のあとがきは訳者として大丈夫かというほど誤認識が激しい。
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今回のバージョンは第4章も含まれているとのこと。
この第4章がないとはっきりいってこの話の良さが一気に減るのではないかと思う。
本当に本質をついているような気がする。
その通りだなと思う。でもいつの時代もジョナサンやアンソニーのようなやつを待っている。
そんな気がした。
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最終章の展開が意外でびっくり。でも、これがあるのとないのでは話の意味合いがだいぶ違うなあ。大人になってから読みなおしたから、余計にそう感じたのかもしれないけれど。誰もが自由だ、ってより強く感じたな。
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たしか10年近く前、第4章がなかった頃に読んだジョナサンの物語に私は嫌悪感に近いものを感じ、読むのが辛く、ジョナサンは頭のおかしくなったカモメだとしか思えなかった、はずなのだけど、今回は違った。今回、まず第3章までを読んでも、辛くない。あれ?こんな内容だったかな?と自分の記憶を疑った。何があんなに辛かったのだろう。あの頃こだわっていたことから少しは自由になれたんだろうか。(だったらいいんだけど)
第4章は、あって然るべきだと思った。人生だとか悠久の時を見つめるような物語で、また10年経ってから読んだら違う感想になるのかもしれない。また読みたい。
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つい最近、知りました。こんなに読みやすい作品を読んだのは久しぶり。こ難しく考えることなくスッと入ってくる感じが良いですね。多分、また時間が経ってから読むと感じ方が変わるんでしょうね。
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宗教において教祖が偶像化されていく過程を描いているような物語。
後に教祖と呼ばれるようになる人達も最初はただの人。
シンプルによりよく生きる方途を探し求め、自分が至った境地やその過程を弟子に伝える。
やがて教祖は亡くなり、教徒は直に教祖を知る弟子に教祖の人となりを聞き崇拝する。
作者は第4章を加えることでそれを強調したかったのではないか。
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4章が追加された完全版。ジョナサンが神格化されると聞いていたのでどんな結末になってしまうのかと恐る恐る読んだけれど、読んでよかった。
自由の本当の意味をずばり突き付けてくる4章でした。
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4部目が新たに付け加えられた「完全版」です。
20年以上前に、「かもめのジョナサン」を読んだのは、兄のオススメだったからだったと思います。
まあでも、面白いけど胡散臭い話だなあというのが、そのときの正直な反応です。
解説の五木 寛之の感想と同じ感じです……というか、モヤモヤとした気持ちが、五木解説を読むことでいくらかスッキリ考えられるようになった感じです。
これは、今、モヤモヤした感想があると、岡田 斗司夫の解説聞いてある程度スッキリさせているのとよく似ているなぁ。
この20年、あんまり成長はしていないのかもしれません。
今回、4部目がはいって、あぁ、これは必要だなぁと感じました。
モヤモヤの原因も分かりました。
「かもめのジョナサン」っていう話は、あくまでも、大乗を否定する話なんですよねぇ。
でも、そのときのわたしの思いとしては、どこかに大乗的な考え方が正しいという思いがあった。それが、最近は、ちょっとわたしも大乗的な考え方から離れつつあります。
そして、4部ば入ることで、それがさらに明確になっています。
うーん。
大乗からだんだん離れつつあるのは、大乗がどうしても人を支配する思想だということに気づいてきたからでもあります。
それが、自分の課題でない限り、他人の責任を誰も背負うことはできないし、背負うべきでもないと思うのです。
そして、今も昔もかわらずに、カモメの写真は、かわいい。それでいいのかも。
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第4章は元々あったが収録されず、後になって発表されたらしい。読んでみると第3章で終わるか、第4章で終わるかで読了後の印象が大きく変わると思う。
個人的には第3章で終わって、まるで英雄譚ような形でよかったような気もする。その先のストーリーは読者に任せるみたいな。
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1974年にパート3までが発表され、今、満を持してパート4が発表となった意図は自分なりに理解できたと思う。ある時代に勝ち取った成果(例えば自由など)も、時が流れ世代が変わると、やはり色褪せ、変質してくるものなのだろう。形式的になり、角張ってくるということか。
本作は紛れもなく寓話である。解釈の仕方は人それぞれであろうし、こういう作品の感想にこそ、その人の教養の差が顕れてくるのではないか。私はまだまだ、薄っぺらい読み方しかできないようだ。
「人生は冥途までの暇つぶし」(島地勝彦氏の言葉)である。でもだからといって、自堕落になるべきではない。いかに有意義に「暇つぶし」をするか。本作によれば、「自分が一番やってみたいことを追求し、その完成の域に達すること」、それが「素敵なこと」であるという。これもひとつの答えであろう。
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遅ればせながら、「かもめのジョナサン」の完成版を読みました。
歴史上の偉人、国民的アイドル、カリスマバンド。
フォロワーや取り巻き、ファンによって神格化されていく人たち。
本質は変質し、それ自身ではなく偶像崇拝する者まで生み出される。
アイドルやバンドは商業的に、そういう目的をもって計画的に売り出されることもあるので、一概に同じとは言えないが、似たような感じもする。
ジョナサンは、ただ「飛びたい。」その一心で研究し、鍛錬に励んだ。やがて認めてくれる者が現れ、慕われる立場となり、彼らを正しい道へと導き、決して自分を奉ることはするなと残して去って行った。
最終章は、そんなジョナサンが去った数年後の話。
訳者の五木寛之が述べているように、「リチャード・バックは、この最終章を書きたくて、『かもめのジョナサン』を作ったのだな、と納得するところがあった」のかもしれない。
個人的には、第一章のジョナサンが好きだけれど笑
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図書館にあり、名前は知っているけれど読んだことはなかったなと、借りた。
こんなにスピリチュアルな本だとは思わなかった。
「至高の存在」
むこうの人は好きだな…。
「もっと飛びたい」を追求するジョナサンの姿も良かったけれど、そんなジョナサンを「追放」したり、今度は「崇拝」したり(でも新しい飛び方を試そうとはしない)する群の描写が風刺がきいて面白かった。
日々の単調な行動にばかり捉われていて、「〜したい」を忘れてはいけないなと思う。
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本の名前だけは聞いたことがあったが、図書館で見つけて借りて読んでみた。
人の世の中(人生)をカモメのジョナサンの生き方に重ねて描いた物語。
生きることをただ食べることで過ごすカモメと、早く飛ぶことをひたすら追求するジョナサンの生き方が、人間の社会や宗教のあり方にリンクする。
生き方を考えさせられた。
もともとは3章までだったが、4章が追加された完全版。3章までより4章まであったほうが良く感じた。