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ジョナサンは餌を取るための手段として飛ぶのではなく、飛びたいから飛ぶ。
低速飛行法、垂直緩横転、超音速飛行法、分割横転、逆宙返り、そして…瞬間移動!
彼は自由を得る。
飛行術はかもめにとっての坐禅なのか?
従来の第1章~第3章に第4章が追加された完成版が出たとのことで、手に取った。
10年振りに第1章から第3章まで読んで新たな感慨を覚えたのは歳を取ったせいか。
さて、前作出版の1970年当時の著者が切り捨てた今回追加の第4章。暗喩に富み、この作品に深い味わいを加えている。完成版を読むと「未完成版」は少しもの足りなく感じるに違いない。
「ああ、たのしく飛んでただけだよ…」
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本編を新潮文庫版で読んでいたので飛ばし読みして、新章および解説を読んだ。
原著者いわく、この最終章はあえて削ったらしい。「わたしたちが選びとった自由な生き方が、やがて規則と儀式によって殺されていく物語」と自称しているが、まさにそのとおり。
食べるためではなく自由に気高く飛ぶことのみに命を賭けるジョナサン・リヴィングストン。彼は両親からも呆れられ、やがて群れからも追放されてしまう。しかし、同じ意志をもった仲間たちに迎えられ、やがて、弟子たちを率いるように。
その愛弟子のひとりフレッチャーに別れを告げ、ふたたび孤独のうちに消息を絶つのが旧版のラスト。増補された第四章では、ジョナサンは神格化され、フレッチャー含む弟子たちによる教団ができあがる。これは宗教へのアンチテーゼなのだろう。
戒律に違和感を覚えはじめた若カモメのアンソニーは、硬直した儀式儀礼にとらわれた退屈な日々に嫌気がさし、死を望もうとする。海のなかへまっ逆さまに落ちようとしたとき現れたのは…。
ジョナサンはキリストになぞらえているのだろう。五木寛之はブッダの例えで話しているが、いずれにしても同じこと。旧版の解説で映画「イージーライダー」を持ち出して自由を求めて規範から抜けだそうとするヒッピー的思想を、この名作に言い当てた訳者だが、あながちその指摘も間違ってはいないように思われる。
「神秘的に神秘化を否定する」こと。教祖がそうであっても、権威にすがりたい弟子たちがそれを許さない。人間の世に常にある姿ではないだろうか。
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高校の同級生がいつもカモメのジョナサンで読書感想文を書いていた。
そしてあたしもとうとう読む日がやってきた。
書き加えられたPart4
かなり象徴的というか…
宗教的なものの的を射てると思った。
考え方ではなく、人を崇拝し始める。
占いなんかもそうじゃないのかなってあたしは思っちゃうんだけど。
まぁおもしろかったです。
五木寛之訳。
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何度も読み返したし、原書も読んだカモメのジョナサンの完成版が出たと言うことで、手に取る。
既に書かれていたが公開されていなかったPART4が40年経った今、加えられたとのこと。
頭からゆっくりと読み、慣れ親しんだPART3までを読み終え、ドキドキしながらPART4へ。
カモメのジョナサンは、私の好きな本には上がらない作品で、好きか嫌いかと言われたら、好きでも嫌いでもある、と答えるだろう作品。
でも、PART4が最初からついていたら、きっと何度も読み返さないし、好きじゃないと答えるものだったと思う。
何度も読み返し、愛着を持ってしまった今、付け加えられたPART4にあざとさを感じてしまう…
PART4があるとないとでは、全く違うメッセージの作品になってしまう。
でも、ジョナサンが飛行を極めた時、師に言われた言葉
「もっと他人を愛することを学ぶことだ。」は、毎回、私の心に刺さる。
この機会に久しぶりに手に取れたことには感謝。
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ただひたすら、ひたむきに、ひとつのことに全力をかけて挑戦したい。多くの人が、そんな思いを抱き、もしくはそんな思いが頭をよぎったのではないか。
そして、その思いを自分自身が作る壁で閉ざしてしまう。
弱い自分を静かに冷静に鼓舞し、そして元気づけてくれる本。
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初めて読んだ。
すごーーくよくわかる。
まさに、このことが企業内で起こっている。
ジョナサンを神格化しても意味がないと気づいたカモメは、気づかないふりをするか、自分が誤っていたと考えを変えるか、もしくはその組織から身を引くか、のいずれかの行動を取るのだろう。
しかし、組織側がそこに疑問を投げかけたり、自ら変革することは不可能に近い、そんな気がした。
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青春の邂逅でした。ゆっくり思い出し、反芻し、今一度来た道を辿らなければ、ジョナサンとは本当の再会を果たせない気がしています。
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最終章が追加され、作後40年を越えて完成版となったことを知り、今さらながら初めて読んだ。素晴らしい本だと思う。論理社会にうまく馴染めず、サリンジャーやヘッセを夢中で読み、現実と精神世界のバランスと両立が今より全然とれず、二者択一でしか考えられなくて苦しんでいた若い頃を思い出した。
達観というのが相応しく、本来の平安、真理は自分の中にしかない。
禅や仏教思想がもろで、西海岸のヒッピーたちから火がついたのも頷ける。
訳者の五木寛之は40年経って理解が深まったというか丸くなったというか、合わせてつけられている1974年版のあとがきは訳者として大丈夫かというほど誤認識が激しい。
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今回のバージョンは第4章も含まれているとのこと。
この第4章がないとはっきりいってこの話の良さが一気に減るのではないかと思う。
本当に本質をついているような気がする。
その通りだなと思う。でもいつの時代もジョナサンやアンソニーのようなやつを待っている。
そんな気がした。
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最終章の展開が意外でびっくり。でも、これがあるのとないのでは話の意味合いがだいぶ違うなあ。大人になってから読みなおしたから、余計にそう感じたのかもしれないけれど。誰もが自由だ、ってより強く感じたな。
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たしか10年近く前、第4章がなかった頃に読んだジョナサンの物語に私は嫌悪感に近いものを感じ、読むのが辛く、ジョナサンは頭のおかしくなったカモメだとしか思えなかった、はずなのだけど、今回は違った。今回、まず第3章までを読んでも、辛くない。あれ?こんな内容だったかな?と自分の記憶を疑った。何があんなに辛かったのだろう。あの頃こだわっていたことから少しは自由になれたんだろうか。(だったらいいんだけど)
第4章は、あって然るべきだと思った。人生だとか悠久の時を見つめるような物語で、また10年経ってから読んだら違う感想になるのかもしれない。また読みたい。
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つい最近、知りました。こんなに読みやすい作品を読んだのは久しぶり。こ難しく考えることなくスッと入ってくる感じが良いですね。多分、また時間が経ってから読むと感じ方が変わるんでしょうね。
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宗教において教祖が偶像化されていく過程を描いているような物語。
後に教祖と呼ばれるようになる人達も最初はただの人。
シンプルによりよく生きる方途を探し求め、自分が至った境地やその過程を弟子に伝える。
やがて教祖は亡くなり、教徒は直に教祖を知る弟子に教祖の人となりを聞き崇拝する。
作者は第4章を加えることでそれを強調したかったのではないか。
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4章が追加された完全版。ジョナサンが神格化されると聞いていたのでどんな結末になってしまうのかと恐る恐る読んだけれど、読んでよかった。
自由の本当の意味をずばり突き付けてくる4章でした。
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4部目が新たに付け加えられた「完全版」です。
20年以上前に、「かもめのジョナサン」を読んだのは、兄のオススメだったからだったと思います。
まあでも、面白いけど胡散臭い話だなあというのが、そのときの正直な反応です。
解説の五木 寛之の感想と同じ感じです……というか、モヤモヤとした気持ちが、五木解説を読むことでいくらかスッキリ考えられるようになった感じです。
これは、今、モヤモヤした感想があると、岡田 斗司夫の解説聞いてある程度スッキリさせているのとよく似ているなぁ。
この20年、あんまり成長はしていないのかもしれません。
今回、4部目がはいって、あぁ、これは必要だなぁと感じました。
モヤモヤの原因も分かりました。
「かもめのジョナサン」っていう話は、あくまでも、大乗を否定する話なんですよねぇ。
でも、そのときのわたしの思いとしては、どこかに大乗的な考え方が正しいという思いがあった。それが、最近は、ちょっとわたしも大乗的な考え方から離れつつあります。
そして、4部ば入ることで、それがさらに明確になっています。
うーん。
大乗からだんだん離れつつあるのは、大乗がどうしても人を支配する思想だということに気づいてきたからでもあります。
それが、自分の課題でない限り、他人の責任を誰も背負うことはできないし、背負うべきでもないと思うのです。
そして、今も昔もかわらずに、カモメの写真は、かわいい。それでいいのかも。