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大学生のときに読んだ「かもめのジョナサン」に続きがあったとは聞いていたが、なかなか読めずにいた。
今日、新たに付け加えられたPart 4だけを立ち読み。
なぜ作者が最後の章を削って完成としたのかよく分からん。
と、いうくらいPart 4で面白くなっていた。
宗教なんかではこういうことが当たり前に起きているよね
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カモメの群れから離れて飛行をきわめ、さらに上をめざして神聖化され、それを否定する。
自分もおなじであるということ。
C0097
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「かもめのジョナサン」の完成版。
大昔に本を読んで、映画も観に行った。
どこがいいのか、正直、全然分かっていなかった。
今、読むとなんとなく言いたいことが分かる。
そして、今回、追加されたPart 4がこの物語がまさに必要としていたエンディングであると確信できる。物語は作者の意図を超えたそれ自身の必然性をもっているわけだ。
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著者は、元米軍の戦闘機パイロットで、そのバックグラウンドを基に描かれた小説です。
自分には、無限の可能性がある。
可能性を信じて行動することの力、信じることの大切さを、物語を通して再確認できました。
経営者として、自身だけでなく、仲間の可能性もとことん信じで関わっていこう、そう強く思いました。
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わたしには、これが超ベストセラーになったのかよくわからない。
よく似た内容の本は、たくさんあるのに?
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学生の頃に父から1974年版の『かもめのジョナサン』を貰い、生きる目的を自ら見出した愛あるかもめに痺れた。
続きの章があったらしい。お蔵入りになっていたその章を改めて加え出版された完成版。
読み終えて、個人的にはない方がよいと感じた。
ただし「完成版の序文」を見ると、なぜ当時入れなかったのか(この理由については大賛成)なぜ今改めて加えようと思ったのかが何となく分かる。
生存の欲求に従うだけのかもめの群れから、生きる目的を見出すかもめが現れる。神格化した偶像を崇めて安心するかもめの群れから、本質を求めて抜け出すかもめがいる。どんな状況でも、前に進もうとする力が確かに現れることが強調されている。
読み物としては完成版じゃない方が断然いい。Part FourではOneでもあった考えることをしない群れの描写が繰り返されているように感じて、お腹いっぱいになる。気持ちが悪いとさえ思うのはあまりにリアルだからだろう。そういうものと勝手に信じて疑わず、おかしいことをおかしいと言えなかった自分(もしかしたら今も)を思い出す。
『かもめのジョナサン』を読むと、自分にとっての飛ぶことは何だろうと考える。次に読み直した時は、また違う感想を持つかもしれない。今は完成版に星3つ。
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中学時代に読み、ご多分に漏れず胸を熱くしたものだ。30年ぶりの最終章を加えた完全版ということで懐かしく読んだのは確かなのだが。
既存の第三章まで読み返すとかつての自分の青さや未熟さに照れたり恥じたりすることしきり。中二病の典型症状の一つ「ここではないどこかへ」症候群をまさに具現化したもの。さらに第三章における神聖化、権威主義の発露に至っては、とてもじゃないが現代この時点で手放しに感動できる代物ではない。
「一杯のかけそば」の偽善性、「幻魔大戦」でのうさん臭さや同調圧力や権威の神聖化の危うさなどのように、つまり今であれば忌避すべき作品であったのだ。残念ながら。当時のあとがきで五木寛之がすでに指摘しているとおりであり、五木寛之自身の危惧観そのままに世界的なベストセラーになってしまうのも興味深いし、恐ろしい。
しかしファウンド・フッテージだったという最終章は、現在でも、いや現在だからこそ既成作品、第三章までの欺瞞性や大衆の醜い神聖化による権威主義などを相対化し、みごとにひっくり返す。みごとすぎるほどに。
完全版の前書きで著者は、当時は第三章ですべてを語った、という理由で「すでに執筆済みだった」最終章をあえて外したとのこと。これも奇麗すぎる。
賭けてもいいが、この最終章を足したエピソードはかなりの確率で虚偽ではないか。そもそも完成した原稿を、これだけ現代的に回収している内容の最終章を除いて出版するなどということができるものか。
まだしもビジネスマンとして非常に優秀な編集者の強い要請によって余儀なくされたとか、自由という概念や個人という確立がもっと切実な時代であった、もしくは単純にそのほうが売れそうだったなどの理由ならば納得はできる。
欺瞞性や、ジョナサンそのままに神聖化崇拝化されたままで生涯を終えるにはあまりにも「恥ずかしくて」、現在の価値に合わせて近々リライトしたのが真実ではないか。つまり、若気の至りで書いちゃった分かり易いが、浅く愚かしい物語がこれだけ売れちゃったんで、死ぬ前に言い訳がましいが補っとこうと焦って、最終章を書いた、というのが真相ではないのか。
対して当時あれだけ大ベストセラーに辛辣かつ正鵠を射るあとがきを付す熱く勇気をもった文学者としての五木寛之は、老境を通り越し、変に落ち着いた完全版の解説で好々として流してしまったのが、残念というか味わい深くもあったのだった。
メタ的な世代論でも楽しめる。なかなかない。
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こちらも明日の図書館イベント「持ち寄り本カフェ」に向けて再読。
2014年にpart4を加筆して完成版として五木寛之の訳で発行された作品。
1970年代に大ヒットし映画化までされたなぁ。
高3の時、諸事情により校内図書館で自習してた時にふと手に取りなんか凄く共感したのを思い出します。
ラッセル・マンソンの写真も印象的で
後々、その時の共感は全くぼくの思い上がりで
今はジョナサン・リビングストンに勝手な思い上がりを心からお詫び申し上げる次第でございます。
そして今でもジョナサンに憧れてます。
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ただ好きでやっていたことや、必要に迫られてやっていたことを、何かとても偉大なことのように言われ、話だけが膨らんで、いつの間にか神格化みたいな事態に陥る。
そしてこの小説も。
ただの本が、よく読まれている本になり、良い本になり、読むべき本になり、偉大なる傑作となっていく。
それは別に悪いことじゃないけれど、どんな本であれ、1冊の本であることには変わりない。
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ただ単純に、純粋にやりたいことを一生懸命やろう。
その先は自然とつながっていくという事を教えてくれたと感じた。
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不思議な本である。
若田光一宇宙飛行士が宇宙に行く時に持っていったと知り、読了。
ジョナサンを通じて、何を感じたか、非常に表現が難しい。しかし、何かを感じずにはいられない作品だ。
五木寛之氏のあとがきが、少し自分の感じた読後感に近い。パート4で加えられた神格化の否定は、歴史が繰り返す事を的確に示唆している。また、本書で食べることと異性間の性が注意深く排除されていることは、興味深い指摘だ。
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カモメのジョナサン
【完成版】
リチャード・バック著
五木寛之創訳
ラッセル・マンソン写真
新潮社
2014年6月30日発行
私の世代だと1974年に出た日本版「カモメのジョナサン」を読んだ人は多いが(英語版を読んだ人も多い)、私はついでにパロディ版のような小説「にわとりのジョナサン」(青島幸男訳)も読んだ。高校生の時だった。こっちを読んだ人は少ないかも。
カモメのジョナサンは、アメリカで1970年の発表後、まるで反響がなかったが、数年後から爆発的に読まれ始めたという。全世界で4000万部以上、日本でも260万部を超える大ベストセラーに。長い歳月ののち、著者が自家用飛行機の事故で九死に一生を得たことをきっかけに、新たな最終章(Part Four)が加えられ、「完成版」が刊行された。
著者は1936年米国イリノイ州生まれ、元米空軍の戦闘機パイロット。除隊後、曲芸飛行家や整備士として働いた経験を持つ。
こう書かれると、バックが最近、最終章を書き加えたと思えるが、今回の本人による「序文」を読むとそうではなく、当時、すでに書かれていたとのこと。しかし、3章までで書き終えていると感じたので、4章はカットした。ただ、理由は分からぬが焼き捨てはしなかった。そして、妻が、紙くずに挟まった、タイプの消えかかった第4章を最近引っ張り出したことで思い出し、「完成版」として付け加えられたとのこと。
どうでもいい章だったのか、と思ってしまうが、いやいや、正直、この最終章は素晴らしい。少し漫画チックなところもあるが、今の時代に付け加えられるべくして付け加えられたような気がする。
「カモメのジョナサン」の中身、そんなに覚えていなかった。とくに印象に残る本でもなかった。映画も、まあ別に、という感じだった。
しかし、今回、3章まで読み返した時点で、巻末についていた「1974年版あとがき」を読んだが、そっちの内容は覚えていた。訳者、五木寛之が書いているものだが、「創訳」とはという説明で、まず原文をちゃんと正しく訳してもらったものをいただき、それを元に創作翻訳した、とある。カットした部分や、原文にない表現を付け加えたところが多々ある、とのこと。この説明、覚えていた。
久しぶりの小説で癒されました。たまには小説も読まないと。
ここからネタ割れ注意。
1.旧「カモメのジョナサン」も「完成版」も読んでいない人、注意
若いカモメ、ジョナサン・リビングストーンは、スピードを出して飛ぶことだけに興味があり、毎日、一人で訓練をしていた。捕食することに興味がなく、親は心配して注意をするが、食べることに興味がない。
海面に激突してケガをおいながらも、ある日、ついにコツを見つけて342キロのスピードが出せた。ジョナサンは、われわれは無知から抜け出して自己を向上させることもできるし、知性と特殊技術をそなえた高等生物なのだと自認することも可能なのだ!われわれは自由になれる!いかに飛ぶかを学ぶことができる!と確信した。
それを見た群れの長老は「不名誉だ」として彼を群れから追い出した。彼は生涯、1人で生きていく��とになった。しかし、相変わらずスピードアップのトレーニングに励む。そこへ、彼と同じように飛べるカモメが2羽現れ、彼をあるところに案内する。そこでは、あっという間に高速飛行を会得したジョナサンと違い、長いことかけてやっとここまで到達したというカモメたちに対し、さらなる飛行訓練が行われていた。
ジョナサンはそこで、「もっと他人を愛することを学べ」と言われ、訓練に励むと、瞬間空間移動のような技をも身につけた。思った瞬間、その思った先に体が移動しているという究極の高速飛行だった。しかし、長老はさらにいう、過去、未来をも自由に行き来できるようになる、と。
ジョナサンはまた1人になったが、そこへ、元々いたカモメの群れから追放された若いカモメがやってきて、ジョナサンの一番弟子となる。結局、弟子は8人に。訓練を積み、元いた群れに全員で戻る。群れでは相手にされず、無視される。それどころか、4千羽の彼らは、ジョナサンたちを「悪魔」と呼び、大変な数で彼らを襲ってきた。しかし、彼らは空間移動のような技で逃れる。死んだはずの一番弟子がまだ生きている・・・
ジョナサンは教える。特別な能力ではなく、カモメである以上、みんな出来るようになるのだ、と。
やがて、ジョナサンは去っていく。8人の弟子たちが次の弟子を取り、教えていく。
2.ここから「完成版」のみ読んでない人、ネタ割れ注意
(すでに読んだ人、読む気のない人はどうぞ)
第4章は、ジョナサンなき後の話。
次の世代の弟子たちは、自分たちがいないジョナサンがどんなカモメだったのかを気にかける。そして、直接指導を受けた8人の直弟子たちに、どんなカモメだったのかを盛んに聞く。飛行とは関係のない、生活しぐさなどを聞いてくる。その内、ジョナサンを神聖化し、聖ジョナサンと唱え始める。さらに、飛行に対して興味を失い、飛ばないカモメが“ジョナサン信仰”を始める。
直弟子たちは嘆くが、次々に死んでいく。世代交代である。
ついに8人の直弟子が世を去った。200年以上たった。そこに、一人の若いカモメがいた。飛ぶことに意欲を持ったカモメ。すると、そこに1羽のカモメが現れて彼を勇気づける。最後に、ジョナサンと名乗って去っていく。
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うーん、想像していた話とかなり違った。
哲学?なんの隠喩?
こんなにもシンプルで、物語のなかに必要そうな要素がたくさん欠けているような印象。
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ジョナサンは誰よりも「飛ぶこと」が大好きなかもめです。その所為で、「食べるため」に飛ぶかもめの群れから追放されてしまいます。追放されても大好きな「飛ぶこと」への研究を続けるジョナサンは、どこへ向かっていくのでしょうか?40年以上の時を経て、最終章が追加された、かもめの物語。昔読まれた方も、もう一度いかがでしょうか?
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ぼくの中でこの本と↑THE HIGH-LOWS↓の「十四才」https://youtu.be/Hu_w-0dwbBU
がセットになって、一つの解釈となっています。
周りとは考え、意識が違うかもめのジョナサン。それを気にもかけず、音速を、その先を求めて何度も飛ぶジョナサン。傷つきながらも止めようとせず、飛び続けるジョナサン。
ハイロウズの十四才もかもめのジョナサンから影響を受けての歌詞になっている。
リアルよりリアリティ という言葉のリフレインがサビの一節である。
この言葉の解釈をぼくは、リアル(今、現実)よりもリアリティ(今より少しだけ高みを目指すこと)が大事だと言っているんじゃないかな、と受け止めている。今より少しだけ高い目標をイメージして、何度もチャレンジして。それに慣れたらまた少しだけ高みを目指して。
ぼくは摂食障害という診断名を付けられた女の子にかもめのジョナサンと↑THE HIGH-LOWS↓の十四才を薦めたことがあります。女の子はどちらも「よかった」とだけ教えてくれました。
ぼくは、周りに理解されなくてもいいんだよということと、将来的になりたい自分をイメージしてチャレンジすることの大切さを伝えたかったんだと後になって思いました。
周りから見て、変な飛び方でも、変な考えでもいいんだよ
自分なりの発想と方法を大事にすればいいんだ
ちゃんと伝わってたらいいなぁ