サンリオSF文庫好きにおすすめ
2023/11/28 10:45
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投稿者:天使のくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
主人公の「僕」はタイムマシンの修理工。はずみで未来からきた「僕」を殺してしまう。そこで未来の「僕」から渡されたのが、「SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと」という本。書いたのは未来の「僕」。
とまあ、そんな設定だけれども、話は線形には進まない。いろいろと考えをめぐらし、「僕」が書いた本の一部がはさまる。もう一つのポイントは、過去の中の父との和解。
タイムマシンSFといえば、時間パラドックスがつきもの。それを逆に考えると、タイムマシンが存在するような世界では、どのように暮らせば安全なのか、という問いでもある。そのおかげで、過去とも向き合わなければいけないけれど、そのことを乗り越えることもできる。そんなセンチメンタルなことにもなる。
過去に折り合いをつけながら、過去の「僕」に撃ち殺される時間も近づいてくる。その中で、何をしなきゃいけないのか。
SFがSFであることによって、クリアにすることができる、孤独と内省、家族への想い。最後に「僕」を支えるパートナーはAIだけれども、それもすんなり受け入れられる。
思弁小説としても、しみじみと読める傑作。30年前だったら、サンリオSF文庫として刊行されていてもおかしくないと思う。
最初から自分自身を撃てばいいのさ
2015/08/25 15:29
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投稿者:sin - この投稿者のレビュー一覧を見る
ひきこもり型タイムマシンに閉じこもったおたくの独白、もはやタイムマシンである事すら疑わしいが…SF世界というYOUの私的空間。同じ表現を繰り返す傷がついて針が飛ぶレコードのような描写は読書のタイムループ。親子の物語?いや親離れしていない主人公のモノローグに共感は無い。
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アメリカの新人作家による第一長編であり、円城塔の初翻訳作品でもある。
解説によると、著者であるチャールズ・ユウは、本国では『一般文芸の世界で活躍する、SF的な小説を書く作家』と見られているようで、確かに作風も所謂『SF』とはかなり異なっている。本作にしても、父と子の相克や己の内面を見つめ直す、という、寧ろ文学的な主題をタイムマシンを始めとするSF的なガジェットを用いて描き出している。
SFジャンルで内的宇宙というと、バラードに代表されるニューウェーブ運動をどうしても思い出すが、時代が異なるせいか、かつてのニューウェーブ的な印象は余りない。逆に強く感じられたのは恩田陸的なノスタルジー、郷愁であるというのも不思議なものだ。
『円城塔の翻訳である』ということで一部で話題になっていたが(作家的なポジションには共通点がある)、そういうものを抜きにして面白かったので、新作が翻訳されるならまた読みたい。円城塔ではなく文芸翻訳家が訳したらどうなるか? というのも気になるところ。
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邦題がまず良い。
そして読み進めると「これは本当にユウさんが書いたものをトーさんが訳したのだろうか、トーさんが書いたものではないのか。もしくは『松ノ枝の記』のような書かれ方をしたものではないのか」という疑念が頭をよぎる。
少し物悲しく、しんみりとした空気が漂っているのがまた好みだった。(ある種の)引きこもりからの脱出。過去との決別のお話。
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予想以上に円城塔だった。何回か間をおいてよんだのでラストで何が起こったのか正直よくわかってないのでもう一度読み直した方が良いかもしれない。
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これを読み始めたとき、チャールズ・ユウの実在を疑い、円城塔の自作自訳なのではないかとちょっとでも思った人。やあ、兄弟。
“継時上物語学”とか日本語でうまいこと言うから疑いがより強まる。
でも、読み進めると結構違う。円城塔よりもっとウェットで、ちょっとだけ温度が高くて、地味な家族の話。
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SF脳持ってないので、読むのに時間はかかるのですが、後半以降の、あの日を思い出す父と子が苦しくて気に入りました。でも構造的には、理解できてないな…。
円城塔も読んだことないので、気になりました。
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タイムマシンものは読みにくい。更に訳者が「円城塔」ときては、読み易くなる筈が無い。
自分を殺してしまうというタイムパラドックスを解決するため1冊の本を頼る。果たしてパラドックスは解決できるのか?
論理的な部分を読み込もうとするも途中で断念。その部分を理解せずともストーリーは面白かったが、読みにくい。
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科学は理解することはできないが、心を理解することは可能ではないだろうか。この小説はわたしたちの物語です。円城塔さんの翻訳が柔らかく受けとめやすく、その分突き刺さった。もし過去の過ちや後悔していることやその時にすべきことに気付くことが出来たとして、果たしてそれを行う決断がその時の自分にできるのか...いやできないだろうなあ。わたしはわたしでどこまでも繋がっているのだから、繰り返してしまう気がする。願わくば、これから先のある時点ですべてを失うまで少しでも後悔をなくすようにしよう。今を楽しもう。
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僕(チャールズ・ユウ)は電話ボックス大のタイムマシンTM-31で、OSの少女タミー、非実在犬のエドと、タイムマシンの修理工として暮らしている。
タイムマシンを開発した父は失踪、母は一番幸せな1時間をタイムループし続ける生活を送っていた。
ある日、僕は未来からやって来た自分と遭遇し、光線銃で撃ってしまう。
TM-31でその場から逃げ出した僕は、未来の僕から託された本「SF的宇宙で
安全に暮らすっていうこと」を手にタイムパラドックスから逃れる方法を探っていく。
久々に本格SFを読んだ。
module αは面白いけど読みづらくて、どうなるかと思ったけど、それ以降はスイスイ読めた。
予想外な話の展開も◎
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うーん、これは何と言ったらいいのか、タイムトラベルもののSF小説であり、同時に、家族(特に父子)小説でもある。前者としては非常に面白く読んだのだけど、私はどういうわけか後者はきわめて苦手で、サーッと気持ちが引いちゃうんだよね。クールなSF部分に比して、家族部分はかなりベタに語られるのがつらい。そこがいいという人も多いだろうけど。
出だしはまるきり円城塔。チャールズ・ユウって、円城氏の英語でのペンネームでは?という疑惑が頭をかすめるほど。シャープで、でもどこかとぼけていて、好きなタッチだ。いったいこれってどこまでが原文の味わいなんだろう。合わせ鏡の中にいるような自己言及の連続や、物語のメタ構造がとても刺激的だ。
時間って本当に不思議だ。「未来」を私たちは知らない。「現在」はつかもうとしたときには既に過去になっている。じゃあ「過去」は確かか? そうじゃないのは、次の独白の通り。
「時間は装置だ。痛みを経験に変換し、生データはコンパイルされてより理解しやすい言葉に翻訳されていく。あなたの人生における個人的な出来事は記憶と呼ばれる別の物質に変換され、その変換過程では何かが失われることになり、あなたは決して、それを復元することができなくなる。あなたは決して、オリジナルの瞬間をそれがまだカテゴライズされていない未処理の状態として取り戻すことはできないだろう。その過程はあなたに先へ進むことだけを強制することになり、この件についての選択権があなたに与えられることはないだろう」
本筋ではないが(いや待て。もしかして重要な要素かも)、始まってすぐに主人公の容姿(と言うより体型)が明らかになるところで、「は?」と目が点に。表紙の朝倉めぐみさんの手になる繊細そうな青年とは全然違うじゃん!あの絵をイメージするから、現実の時間の流れから切り離された電話ボックス大の空間で、非実在の犬とコンピュータプログラム相手に何年も過ごし、父を探す青年の姿が切なく感じられるんだけど。本文通りに思い描いてみると…、うーん、また別の切なさがあるかなあ。
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『すなわち、原理的には万能タイムマシンを構成するにはこれしか要らない。(i)記録媒体の中で、前方と後方、二方向に動かすことのできる紙切れ。(ii)そいつが、叙述と、過去形の直接的な適用という二つの基本操作を果たせばよい』
この小説は納め所の難しい小説だ。特に前半と後半の印象ががらりと変わる。ただ解説にあるようなSF か家族小説かというような二者択一を迫られているとは思わない。この小説はあくまでもSF であると思う。ただ、SFとしての印象の落とし処が見えにくいという気がしてならないのだ。
単純化を恐れず言えば、SFの楽しみは想像力の喚起、ということに尽きるのではないかと思う。しかもそれは一見途方もない嘘のようでいて言葉の一つひとつには科学的に証明された概念が用いられ、それらを組み合わせて行けばその途方もない嘘が実現しそうな気になるのが醍醐味ではないか。例えば最初の引用は知らない人にとっては、物語の中での意味を見出だしかねる文章かも知れないと思うけれど、これはロジャー・ペンローズが展開した万能チューリング・マシンのことを下敷きにしていると気付けば(奇しくもどちらも略号はUTM)、不可能性は可算的に証明できないということに繋がる話だなと頭の中で思考がぐるりと回転して物語の次元を拡張する。一つのエピソードの背景に別のエピソードがきちんと流れているように感じられる。それがSFの楽しみの王道ではないかと思う。前半にはそんないわゆるSF好きを刺激する言葉使いが多用されていると思う。
『失敗は容易に測定できる。失敗は出来事だ。無意味さは測定し難い。非出来事なのだ』
それが後半になると急に哲学的な言い回しが多くなる。それはそれで物語に深みを与えるとは思うけれど、思考が哲学的になる時、物事の因果関係は必ずしも明瞭になるとは限らない。つまり、物語の筋はもつれて(tangled)くる。一つの思考を俯瞰したメタ思考があるかと思えば、更にその思考を俯瞰したメタ思考があり、その連鎖は永遠に続くように思われる。その永遠に続く連鎖を俯瞰した思考、例えばε-δ理論のような思考も考え得るけれど、人は無限を取り扱う術を完全に心得ている訳ではなく、そこに容易に不完全性が忍び込む。
その混沌とした世界を叙述することがひょっとしたらこのSFの真の狙いなのかとは思いつつ、指輪物語が終わった後にホビットの冒険があったといわんばかりの短いエピローグが添えられているのを読むと、それならばもっときちんと閉じて完成した世界を描いて欲しいとも思うのである。究極的には量子力学的世界観を受け入れることが出来るか、それとも古典物理学的世界観に留まるのかが問われているのだろう。しかし、SFを読むときにそこまでの覚悟をして読むことは稀であるに違いない。まあ、円城塔の翻訳ならそこまでの覚悟が必要なのかも知れないけれどね。
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『SF的な宇宙で…』という題名とタイムマシンという語句で勝手にワクワクするような冒険物としてのSF小説を想像して手に取りました。が、何といえばいいのかはわかりませんが、その手の話ではないことだけは確かです。
タイムマシンの設定も“継時上物語学”というちょっと不思議なもので、過去を「想起する」ものから「認識する」ものに捉え方を変えてタイムトラベルする(と解釈しましたが違うかも)というもの。
設定も難しいし、独特な言葉遊びをしているかのような文章に揺られてるような感覚を味わい、内容を理解できた気になったり、さっぱりわからなくなったり、読むのにも時間がかかりましたが、ちょっと曖昧なままの世界を読み進めるのも楽しいものでした。
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解説にあった、作者の第一短編集Third Class Superheroがちょう読みたい。水分でちょっとしっとりさせることしかできない三流スーパーヒーロー・モイスチャーマン。円城さん訳してくれないかしら。
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科学的な部分はちんぷんかんぷんでしたが、
わからないままでも無理矢理がんばって読んでみたら
結構楽しく読めた。いいお話だと思いました。
装丁がおしゃれ。