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主人公竹鶴政孝のキャラも良いけど、奥さんのリタがイイねぇ。「夕方は何時に帰るのか。夕食は家で食べるのか食べないのか。それをはっきり告げるのが男の礼儀ではありませんか。」日本のウイスキーの誕生やその作り方、竹鶴政孝の偉業は勿論だけれど、何と言っても登場人物の人となりや個々のエピソードが面白い。
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本書は1980年代に出た本の文庫化であるが、輝きは損なわれていない!旧き善き職人という風情も残す、決して妥協をしない、余市では“名物おじさん”的に親しまれたらしい竹鶴氏とリタさんの物語…非常に面白い!!
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今秋のNHK朝ドラ「マッサン」の主人公、竹鶴政孝・リタ夫妻を描いた作品です。
竹鶴は大正時代に英国へウイスキー作りを学ぶ為に渡り、双方の家族から大反対を受けながら英国人のリタと結婚。そして日本に帰国後、一からウイスキー作りを始めます。戦中、戦後と時代の荒波をくぐり抜けながらウイスキー作りにひたむきに情熱を傾ける政孝の姿は熱く、キラキラしています。こんな人を生涯支えた奥さんのリタをほんま尊敬するわ。
政孝が最初にウイスキーを作ったのはサントリーだったり(サントリー山崎工場の基礎を作ったのも政孝!)、その後立ち上げたニッカウイスキーが思ってたよりも早い時期にアサヒビールの傘下に入ってたりと、現代の大手酒造メーカーとの関係も色々あって面白かったです。
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ニッカの竹鶴政孝とリタ夫人の生涯。
ものづくりとは愛ですね。長い時を耐え、努力し、ともに生きる愛! すごい。
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日本のウイスキー史、サントリーとニッカの因縁、ニッカの由来等、興味深く読みました。
それに加えて、竹鶴政孝とその妻リタさんの絆を描かれているので、頭の中に鮮やかに竹鶴政孝の動く姿が浮かび上がります。
ふと気付けば私も父と同じウイスキー党になっていましたが、父にこの本とニッカの“竹鶴”をプレゼントしようかな。
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NHK連続ドラマにあわせた文庫化に乗せられて読了。ニッカの創業者である竹鶴政孝の一代記。変人といわれたそうだが、確かに頑固者だったようである。とにかく〝模造品〟は作らないということで、ウイスキーはかくあるべしにこだわった。奥様のリタもその点はなかなかのもの。ドラマでもそこらへんが描かれるのでは。
スコットランドから帰国後、留学に出してくれた酒造会社がウイスキーを作る経営的体力がなくて、今のサントリーへ入社。竹鶴が気候的にスコットランドに近い北海道に蒸留所を、と考えたのに、サントリーの鳥井社長が「蒸留所は人が見学にこれるようなところじゃないと」と大阪を中心に探させたという話は両者の哲学の違いを感じさせる。その後、竹鶴はニッカを興し、北海道は余市でウイスキーを作り、山崎はサントリーの定番となる。
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日本で本物のウイスキーをつくった竹鶴政孝氏の物語。
日本における洋酒の歴史にも触れることができる。
スコットランドで出会い結婚をした「リタ」の心情にももう少し触れたいと思った。
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日本で初めてウィスキーを作った男、竹鶴政孝氏とリタ夫人の生涯。
小樽商大の先生に勧められて文庫本を購入。余市のニッカの蒸留所のスタンプを押していい気になっていたのだけど、帰りの飛行機で忘れてしまい、これは二冊目><
小樽で学んだアントレプレナーシップと余市蒸留所の風景を思い出し、胸にジンときた。
竹鶴氏は戦後の企業家としてもっと評価されていい。
朝ドラがそのきっかけになればと思う。
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竹鶴政孝の伝記。日本のウヰスキーをつくった男。竹原出身。スコットランド留学中にリタさんと結婚。今度の朝の連続ドラマ「まっさん」の原作?本格ウヰスキーを作るまで順調だったわけではない。どんな伝記もそうだけど,何かしようとするときに困難は起きること,その困難に対してどうアプローチし真摯に向き合うか,そして結果が望む物でなくても打ちのめされずに次に行くこと,その望まない結果が巡り巡って次のチャンスを成功に導くこと,これらの要素が含まれる。人生の原理なのか。
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図書館で借りた時は、『非売品』となっていた。
アサヒビールが、記録として配布してた?
それが、朝ドラになったので、販売するようになった?
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H26年9月29日から始まった朝の連続テレビ小説「マッサン」の原作の文庫版。国産ウイスキーの夢を追い求める竹鶴政孝(ニッカウヰスキー創業者)のウイスキーにかける情熱と夫婦の絆を描く作品。
ウイスキーととても呼べないような粗悪な国産ウイスキーが出回っていた時代を経て、今やジャパニーズ・ウイスキーは世界でも評価が高くなっている。しかし現在に至るまでには相当の苦労があった。ニッカウイスキー創業者竹鶴政孝とそれを支援した人たちがいなければ現在ウイスキーはこれほど日本に浸透していなかったかもしれない。何かを新たに始めようとするものは批判される。それを乗り越え何かを成し遂げることの難しさは言うまでもない。これからはウイスキー片手にテレビ小説「マッサン」を見ながら再び竹鶴政孝さんと夫人リタさんの人生を味わっていきたい。
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リタさんとまっさんの外国人同士でも重なる真摯な心や真面目さや豪快なチャレンジが読めた
こんなにこだわって作ってるウィスキー、日本初のウィスキー、他社のが偽物に思えてきた
まっさんの作品をハイボールでなく味わいたい
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竹鶴政孝の本物への拘り。
武士は食わねど高楊枝?
日本男児の本懐ですね。
ご実家で愛を受け、会社で夢が芽生え、2人で道を切り開いていく力強い物語り。
この本は、政孝氏のご家族への愛、ウィスキーへの愛、リタ夫人への愛、愛が沢山詰まった物語りだと思う。
日本人であることが嬉しくなる本だった。
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特に朝ドラ「マッサン」の原作本というわけではないが、ニッカウヰスキー創設者の竹鶴夫妻を描いた本。
主人公の生い立ちから、スコットランドでの修行、リタとの出会い、寿屋での国産ウイスキー生産開始、寿屋から袂を分かち余市での工場立ち上げ等々、淡々と事実を連ねていく。
メロドラマ的要素は全くないが、主人公の固い信念と行動は読む者に感銘を与えるのに十分である。
それにしてもウイスキーの原酒が1滴も入っていなくても「ウイスキー」を名乗っていた時代が何十年も続いていたとは。
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日本で最初の本格ウイスキーを作った男、竹鶴政孝の伝記小説。ミーハー枠。興味深いことが多くあった。
マッサンとリタののろけ本になっていない。ウイスキーの歴史をきちんと踏まえているので、非常に勉強になる本。
悪いが朝ドラは、話の展開がダラダラしているなー。と思う。しょうがないけどね。
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p25 日本最初の洋酒はジン
日本初の輸入西洋酒は明治三年のジンだった。酒の教養。
p27 一石=180㍑
日本人の年間白米消費量とほぼ一緒。日本酒でも使われるから知っておいてよい。
p40 竹鶴という苗字
広島の竹原の大地主の一角。塩田地主だった。先祖は岸本という苗字だったが、庭の竹林に鶴が巣を作ったという縁起(普通松に巣を作っても竹林には作らない)を担いで改名したらしい。
p43 兄弟
マッサンの兄弟。長兄は早稲田の商科をでてシンガポールでゴム栽培をした。次兄は九州帝大の工科を出て、北海道炭鉱汽船に入社した。弟は北野中学から慶応大学にすすんだ。実家の酒屋を継ごうとするのはマッサンしかいなかった。まぁ、マッサンも継がなかったけど、三男が跡継ぎになっていたのはそういう事情。
p49 池田勇人
マッサンの母校、忠海中学校の後輩には池田勇人がいる。のちにつながる。
p64 え?沈没?
マッサンが渡英した時の客船が途中で漁船に激突して、相手の船コナクリ号を沈めた。乗務員一命を除いて全員死亡したらしい。
なんか、凄いことをサラッと描写していて心に残った。当時は第一次大戦中で客船を出すのも大変だったようだ。ドイツの無制限潜水艦作戦もでていたしね。
p73 ウイスキーの歴史
歴史が書かれている部分。良い知識になる。酒税とともに地酒から世界の酒になっていた。酒税をかけて、大手業者の育成を図ろうとした当局の思惑とは裏腹に、密造者を増やすことになった。しかし、その密造のおかげで地域ごとの個性的なウイスキー文化が発展したともいえる。また、ブレンデットウイスキーにもつながる。1870年代後半にフランスでブドウが病気でワインやブランデーの生産量が落ち、代わりにウイスキーが全英・アメリカや英自治領に広がった。
p100 グレンリベットでの研修
知ってる蒸留所の名前が出てきてテンションあがる。
p141 日本の労働条件
マッサンはスコットランドの職工の姿を見て、日本の当時の労働条件に物申す。当時の日本は休日は月二回、有給もなく、労働者に余裕なんてなかった。それに対してスコットランドでは週休二日で、安息日は絶対働かず家族と過ごす。人として安定したあるべき姿があり、そういう社会を作ってこそ、本当のウイスキーを味わえるのだと感じた。ウイスキーを飲むにふさわしい飲み手を生み出すことも大事だと、先見性のある考えを持った。
p149 マッサン
政孝は大阪の会社では「まぁちゃん」と愛称されていた。それをリタも真似始めたが、日本では旦那をそうは呼ばないとして、せめて、マッサンと呼ぶようにさせた。
��ッサンとリタが日本に来たときは第一次大戦後の戦後恐慌で、戦時景気に浮かれていた企業も軒並み事業縮小をしていた。なのでウイスキー事業も凍結だった。
p167 宣伝効果のため山崎がチョイスされた
政孝がウイスキー造をするために鳥井信二郎の寿屋に入社して、大阪周辺でウイスキー製造工場を建てることになった。その理由は「これからの時代はお客はんに工場見学に来てもらえるようやないと損や。宣伝に不利なんや。」というものだった。他の候補地では、佃、小林、枚方、吹田などがあった。
p177 酒税は租税の三分の一もあった
明治になって日本でも酒税を作り、自家醸造や零細企業を締め出した。明治33年には租税収入の三分の一を占めた。
酒税は造石制度で、作った酒に課税される。しかしウイスキーは貯蔵して、販売するころには蒸発して液量が減少するから損をすることになる。政孝はこの制度改正にも尽力して、スコットランドの制度を役人に教えた。
p184 サントリーの名前
由来は、主力商品だった赤玉ポートワインの赤(太陽)の鳥井から文字った。これを国産初のウイスキー「白札サントリー」につけた。
p192 ビール
寿屋がビールに手を出したのは、ウイスキーの補てん用の商品としてだった。しかし、安さを売りに出してカスケードビール・オラガビールを東京中心に売り出したが、関東は安さよりも高いものを見栄で買う性質だから、予想外に売れなかった。
p196 退社
退社のエピソード。商人と技術者の思想の違いが、鳥井と竹鶴をすれ違いさせたかな。
p201 リンゴの名産地
竹鶴が独立した北海道余市はリンゴの名産地(あと鰊)。竹鶴はウイスキー作りの副業としてリンゴジュースも作った。があまり売れなかった。
p228 完璧症なリタ
リタは日本料理を本格的に覚えたし、努力家の完璧しょうだった。畳職人が目安で二時間で終わるといったのに、あと少しで終わらなかったのを咎めたり、有名な完璧おばさんだったらしい。
p229 塩辛はこう作れ
イカの塩辛はいかの筋が気になる。それはイカの身を縦に切っているから。横向きに切ってつくれば筋がなく作れる。リタの発見、研究努力。
p235 ニッカ
ニッカは大日本果汁からきた。リンゴジュース屋さんでもあったんだもんね。
p242 戦時下の売り上げ
第二次大戦中、ウイスキーは好況だった。酒は生産減少傾向だったから、酒の物価が高かった。ウイスキーは貯蔵するので生産量のダメージをあまり受けなかった。
p244 戦時中の男女関係
戦時中は男女でいちゃつくのは不謹慎だった。そういう不合理な考え方は政孝は嫌いだった。ここでもイギリス留学で得た教養が発揮されている。
p321 勲章
昭和44年、政孝にウイスキー造りの功労者に勲四等叙勲の申し入れがあった。しかし、断った。ビール会社社長は勲三等をもらっている。もし私が勲四等を受ければ
その後のウイスキー功労者も勲四等で決まってしまう。業界のために断るという。
その後、勲三等で再打診を受けて、受勲した。
p333 酒好き��作ったから、良い文化ができた
解説の一節。金儲けのための外国技術の導入はよくあることである。しかし、そこには冷たいビジネスライクな感情しか生まれず、温かみのある文化はできない。
ウイスキーを作ったのが、一日一本のウイスキーを飲んだ竹鶴正孝でよかった。酒好きだからこだわったものを作ってくれた。それに、ウイスキーを飲む風土をつくることも考えていたのも偉い。
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完全にミーハーで読んだ本だけど、本当に良い作品だった。
サントリーのウイスキー工場にはいったので、ちゃんと余市にも宮城峡にも行こうと思います。