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死者は生者が生きている限り、共に生き続けるのだろう。
静かな緊張が少し居心地悪く読みづらさがある反面、映像のような臨場感があり、香辛料の色やにおい、トリーガンジやロードアイランドの風景をそこに感じる。この圧倒的な描写に彼女の良さが凝縮されている。
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暫く新作の噂を聞いていなかったジュンパ・ラヒリの最新作。
インドとアメリカを舞台に、ある家族の破綻と再生を描いた本作には、政治運動がきっかけに命を落とした主人公の弟の影が色濃く漂っている。
作中では長い時間が描かれており、様々な問題が起こりながらも雰囲気は静謐で、非常にラヒリらしい作品となっている。
『訳者あとがき』で軽く触れられているラヒリ本人のインタビューも、この先の作家性を伺う意味で興味深い。是非読んでみたいのだが何処かで翻訳されることはあるのだろうか……。
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時間というのはびっくりするくらい伸び縮みする。ある出来事はいつまでも「きのう」であるのに、ある年月はほんの数ページくらいの印象で過ぎ去ってしまう。
許すことができないまま、その希望を娘に託して、先送りする。そんな消極的で未来任せなやり方でも、私たちは将来を信じることができる。そんな救いが最後に残っていた。
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なんで、どうして、この作家の作品はこんなにしみじみ心に沁みるのか…私は純日本人だが、家族との折り合いがそれほど良くはなかったので、居所が定まらないような疎外感や孤独感にこれほど共感できるのだろうか。
植民地支配を脱したものの、貧困層の人々の食うにも困窮する、現代の日本人たる私には想像を絶するような状況に、義憤を感じて立ち上がり、革命を目指したインドの若者。ただ、暴力的な活動に手を染めるに至ったために当局から過酷な取り締まりを受ける。そして、双子のように育った兄弟の弟が殺される。弟の妊娠中の妻を放っておけなかった兄は、その女と結婚し、留学中のアメリカに連れ帰る。
インドとアメリカを舞台に、何世代にも渡る家族の物語か描かれる。
彼らの人生は喪失の連続だが、淡々と、そして丁寧に描かれる彼らの心の軌跡が本当に心に迫る。死ぬまでに何度も読み返したい、そんな一冊。
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同じように丸く明るく空に輝いても太陽と月はちがう。遍く人を元気づける太陽に比べれば、月の恩恵を受けるものは夜を行く旅人や眠れず窓辺に立つ人くらい。健やかに夜眠るものにとって月はあってもなくてもかまわないものかも知れない。カルカッタ、トリーガンジに住む双子のような兄弟、スパシュは月、ウダヤンは太陽だった。よく似た顔と声を持ちながら、独り遊びの好きな大人しい兄に比べ、一つ年下のやんちゃな弟は人懐っこく誰にも愛されて育った。
時代は1960年代。アメリカがベトナムを爆撃し、チェ・ゲバラが死に、毛沢東が文革路線へと走り、紅衛兵の叫ぶ「造反有理」のかけ声の下、世界中に学生運動の嵐が吹き荒れた。二人が住むカルカッタの北方、西ベンガル州ダージリン県にあるナクサルバリという村でも共産主義の活動家による武装蜂起が起きた。何が人の運命を左右するかは分からない。その地方にも稀な秀才として市内の大学に通っていた二人の運命はそれを境に二つに分かれ、二度と出会うことはなかったのだ。
海洋化学を専攻する兄はアメリカ留学の道に、弟は教師となり家に残ったものの、家族の知らぬ間にナクサライトの一員として革命の道を歩いていた。ロードアイランドの下宿屋に弟の死を告げる電報が届いたのは1971年。アメリカに来て三年経っていた。身重の妻を独り残し、弟は官憲の手により殺されていた。帰国した兄は弟の子を身ごもったガウリをアメリカに連れ帰り、自分の家族とする。やがて娘ベラが生まれるが、妻は頑なに心を開かず、育児より自分の研究を優先する。ある日、妻は娘を残し家を出、そのまま帰ることはなかった。スパシュはベラを男手一つで育て、困難もあったがベラは逞しく育つ。ベラが身ごもったのを知ったスパシュは今まで秘していた事実を告げるが…。
ジュンパ・ラヒリの最新長篇小説である。それだけの情報で、読む前から期待が高まる作家というのも、そうはいない。その名を一躍有名にした『停電の夜に』以来、『その名にちなんで』、『見知らぬ場所』と、短篇、長篇という枠に関係なく、どの作品も期待を裏切ることはなかった。そして、本作。両親が生まれたカルカッタと、作家自身が育ったロードアイランドの地を主たる舞台にとり、双子のようによく似たベンガル人兄弟と、その家族の半生に渡る人生を描いている。喪失とそれによる孤独からの回復を、静謐な自然描写と精緻な心理描写で描いてみせ、長篇小説作家としての資質を今更ながら明らかにした。著者の代表作になるといっていいだろう。文句なしの傑作である。
すぐ下に誰にも愛される弟を持った兄の気持ちが痛いように分かる。両親の愛も周囲の賞賛の声も弟の方に集まることを、兄は羨むでもなく自然に受け止め、自分ひとりの世界にふける。誰も追わず、入り江のように孤独に、波が運ぶ漂流物のような人や愛を受け容れる。弟の愛は分け隔てなく、恵まれぬ者、貧しい者にそそがれるが、かえって自分の近しい者はなおざりにされる。兄はそれを拾うようにして自分の近くに置くが、相手は弟の喪失を嘆くあまり兄の愛に気づかない。なんて哀しいのだろう。いちばん弟を亡くしたことを悲しんでいるのは兄なのに。
淡々とした筆致で綴られる文章は、章が変わるごとに母や妻の視点が現われては、魅力的な弟の在りし日の姿を回想し、読者の前に広げてみせるので、読者がスパシュの傍に立って相憐れむことを許さない。社会正義は弟の側にあり、母親から見れば故郷を捨て、望まれもしない弟の嫁と再婚をする息子など弟の比ではない。すぐ近くにいて、ウダヤンの思想と行動力に影響を受けた妻にしてみれば、善人ではあるけれど、自分と家族のことしか念頭にないスパシュは物足りない。
疾風怒濤のような時代に、西欧の地図で見るごとく大西洋を真ん中に挟み、東のカルカッタと西のロードアイランドを行き来しながら、主人公の眼や耳がとらえるのは、日没の入り江に立つ鷺の姿であったり、屋根を打つ雨音であったり、とあまりにもデタッチメント過ぎるようにもみえる。二人の兄弟はコインの表と裏。二人で一つだった。いつも弟に付き従うように行動していた兄は、独りでは半身をもがれた生き物のようなもの。喪失の重さを人一倍感じていたにちがいない。物語の終盤、事態が一気に動き出す。喪われたものは、贖われることで、報いをもたらすのだろうか。余韻の残る終幕に静かに瞑目するばかりである。
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あとがきより。
「では、最新の『低地』はどうなのかというと、アメリカにわたる家族のドラマという点では従来の延長にあるのだが、それより前にインドにおいて家族の崩壊があったという意外な発端から話が始まる。ラヒリの作品世界が時間をリセットして、いままでの読者が知っていたラヒリ・ワールドの始まりよりも前に戻ったと言えるだろう。この最新作を着想したのは1997年だと著者自身が言っているので(サロン・ドット・コムとのインタビュー)なんと作家としてのデビュー以前から16年も温めていたことになる。」
「いままでに訳した四冊の中では、今回が最も吹っ切れた作品という感想を私は抱いている。読後感ならぬ訳後感というようなものだ。親世代から受け継いだ話の種を、大きく自由自在に育てている。ここまでくれば「翻訳家」の性質が薄らいで、もはや「フィクション・ライター」としか言いようがない。過去に取材をするくらいは作家としては当たり前で、たとえ親から仕入れたコルカタ産の種を使ったとしても、だからといって「インド系作家」というような分類をすることには、たいして意味がなくなったと思える。」
うん、確かに!
親と自分の人生をなぞる物語の延長線上にありつつも、創作的な部分が増したというか、フィクションとしての、小説としての読み応えがある。
現代の、家族の物語。
愛し合って結婚したのに、子が生まれる前に夫が殺される。
その兄と形だけの結婚をする。夫と娘をおいて一人家を出る。
娘は親を反面教師として結婚という形を選ばなかった。しかし娘を生む。
男が死んだり去ったりしても、女が生き残れば命の連鎖は続いていく。そのことに改めて思い至り、妙に感動した。
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ジュンパ・ラヒリを読む継ぐということは、待つ、ということだ。「停電の夜に」から十五年。十五年で四冊は寡作と言ってよい程に少ない。しかし数年毎に出るフランス綴じの持ち重りのする一冊は、本の佇まいが凛々しく感じられる程に存在感があり、頁を繰る前から読むものを自然と引き寄せる。一気に読んでしまいたいとの欲求も一瞬頭をもたげるが、一頁、一頁、ゆっくりと捲り、一文字、一文字、丹念に言葉を拾って読みたい気持ちが勝り、いつまでも厚手の本の中程をうろうろすることになる。期待は裏切られることがない。
これまでも一貫して描いてきた移民とその家族の物語。故郷を離れた親の世代が新しい約束の地で感じる疎外感と、その子供たちが感じる二重に切り離された思い、そんなものがこれまでのジュンパ・ラヒリの描いて来た世界だが、それは作家の中に生まれつき存在する視点、つまりは子の世代から見た家族の物語であったのだと、この本では改めて気付かされる。子から見て、親の世代の疎外感は仮の住まいに於ける、いわば借り物の疎外感であり、祖国に戻れば解消されるものでしかない。彼らには戻るところがある。一方で自分たちには帰属する場所や否応なしに受け入れなければならない慣習すらない。そんな葛藤がこれまでの作品には常にくすぶっていたように思う。しかし「低地」における主人公はそんな二世たちではなく、移民となることを選択せざるを得なかったものたち。親たちの世代もまた母国と異郷の地の二つの強い陰影の中でやはり二重の葛藤をしてきたのだということが語られている。
ひょっとしたらジュンパ・ラヒリの創作活動の原点には、押し付けられた疎外感の理不尽さに対する強い思いがあったのかも知れない、と思う。それを言葉にすることでそれを押し付けた親の世代に対して間接的に抗議する思いが幾らかはあったのではないかと。一方でその矛先には真に打ち倒すようなものは存在しないことも解っていた筈だ。「低地」で描かれたものは、そんなある意味での自分のルーツ探しの答えのようなもの、完全解決は出来ないけれど、答えは過去にではなく未来にあるというメッセージ、あるいは赦しであるように思う。それ故に、幾つかのエピローグ的な文章は、どこかしら予定調和的であるのだろう。
十五年で長篇と短篇が各々二冊。但し「停電の夜に」の印象が強烈過ぎて、ジュンパ・ラヒリはどうしても短篇の人という印象が拭い切れない。この「低地」も長篇との位置付けだけれど、むしろ連作短篇の趣があると感じるのは穿った見方だろうか。もちろん、全体を繋ぐ関係性は強く、長篇小説を読み通す時の面白さは充分に感じられることも確かだ。しかし心地の好い分量の文章毎に切り分けられた一つひとつのエピソードは、自己完結することを志向するようにも読める。一つのエピソードをそう読んでしまうと、エピソード間の関係性は必然ではなくなり、語られなかったエピソードの背景を別の章で読んでいる、という位に、文章の塊の間の関係性は緩くなる。そのように読めば、やや曖昧で予定調和的なエピローグにも過度に違和感を覚えたりすることはない。
あとがきに、ジュンパ・ラヒリの次回作はこれまでとは趣の異なるものになりそうだとある。どんな物語が紡がれるのか、旨いものを出す店で次の一皿にどんな料理が盛られているのかを期待をしながら想像するようにして、待つ。
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激動の時代が背景だ。呑気に幸福であればいいという生き方(今の自分のように)を封じられた人生ということか。
たとえ小さい子供を抱えていても、自分なりの真理を追究したいと思う気持ちは自然だと思うし、気持ちが高じて子供や家庭の存在が疎ましく感じることもあると思う。これは現代に生きる人間の性として否定できないものだ。
男尊女卑、女性の人格否定が平然と存在する世界から、自由の国アメリカへ逃げ出すことができても、さらなる自由を目指し、行動に移してしまう。これも否定できない。ガウリの生き方も自己責任において肯定できる。
自分は、ウダヤンだろうか、スバシュだろうか、それともガウリだろうか。まちがいなく、ガウリだ。ウダヤンのように社会の変革のために身を投じる意志も覚悟もないし、スバシュのような懐の深さもない。
どうも自分は、暗めの、硬めの本をセレクトしてしまいがちだ。最近職場で嫌なこと(どうでもいい些細なことだ)があったことが重なり、この週末は気分も体調も落ち込み気味だ。このあたりで、痛快で気分の晴れるエンターテイメント小説でも読んでみたい。池井戸潤のシリーズをいくつか読んでみようかと思う。honto書店の「読みたい本」にもアップしている作品があったはずだ。
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淡々とした文体を味わいながら、とても濃密な時間を過ごすことが出来ました。ラヒリの作品は、特に読後感が他の作者と違って、何とも言えない満足感、充実感を残してくれます。ラヒリ中毒とでも言いますか。
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まるで映画を見ているよう。視点を変えて繰り返し語られることによって、立体的になってくる場面場面。スローモーションのようでいて、二度とやり直しのきかない人生の厳しさがひしひしと伝わってくる。翻訳も相変わらずいい。ドライでもウェットでもない距離感が。
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丁寧な感情の表現、読みごたえがあった
歴史的事件が大きく関わっているので
それについても知りたいと思った
また読みたい
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登場人物を一人ひとり見れば、決していわゆる悪人は居ないのに、誰一人として普通の幸せに辿り着けない、少なくともこの話の終わりの時点では。
ここは次世代のホープ、メグナに期待するしかないか…。
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最後にざああっと分かるんだよ、彼女がどうして子供に愛着を持てなかったのか。(レビューちゃんと書きたい)
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読んでいて映像がふっと浮かぶ。やんちゃな双子のような兄弟、列車で別れ手を振る青年、写真の少女、海岸、鮮やかな野菜、髪に日差しがかかる…鮮烈な印象を残しつつ、柔らかくしっとりと物語が心にしみいってくる。はっとする文章に出会う。いつまでも読んでいたいと思った。タイトルのLowland(低地)はカルカッタでの故郷、アメリカの故郷はロードアイランドと、響き合っているのだろうか。自然な文章でありながらよく練り上げ熟成されていた。まだ作者は40代。これからも、もっと新しく深みのある作品をどんどん書いてもらいたい。素晴らしかった。
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3世代にわたる長篇の物語。淡々と進むようでいて、登場人物の微細な心の動きまで丁寧に描写されていて、とても沁みます。ここ数年ではベスト1。