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とっても幻想的なSF。あくまで淡々と物語が進んでいく中で、じんわりと緊張感や恐怖、感動が伝わってくる雰囲気が本当に良かった。
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タルコフスキー版の「惑星ソラリス」のチラシを学生の頃部屋の壁に貼ってたけど、映画自体を観たことは無かった。もちろん原作にも初めて触れた。こういう物語だったのか。
頭があまり働かない時に読んでしまって後悔。抽象的な事があまり理解できず。海の描写とソラリス学の歴史についてのくだりが長くて少し眠くなったりしたが(大事なとこなのにな……)、先が気になる感じで最後まで読み通せた。ハリーがかわいそうだな。
うーん、もう一度読まないと駄目なようだ。
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ファーストコンタクトものの名作。『砂漠の惑星』『エデン』と本作で三部作(?)のようになっているらしい……が、『エデン』は品切れ。残念。まぁそのうち復刊される……かな? してくださいw
映画化が2度あったのも頷ける、映像映えしそうな内容。『海』を映画にすると迫力がありそうだな〜。
筋立てとしてはメロドラマではあるが、SFとしては思考実験に分類されるのかな。登場人物同士の議論が楽しい。
『砂漠の惑星』と本作を続けて読んで思ったのだが、どちらも人間と野生動物の関係に似ているような気がする。あちらさんとしては人間のことなんか特に気にしてないんだよ〜的な何かを感じた。
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オールタイムベストSFとか本屋で見かけたので借りてみました。
確かに面白いというか興味深い。所謂テンプレの地球外知的生命体と人類の出会いとは全然違う作品。そしてこれが大分前に書かれた作品というのが面白い。
でもある意味人間は同じ脊椎動物とはなんとなく意志の疎通が出来ているような気がしていますがきちんと分かり合っているかと言われると難しい気もするし。昆虫とか植物も組織構造とかは研究されているけれども生物としてコミュニケーションが取れるかと言われると取れないし。そもそも知的だとか知的でないとかどこで線引きするんだろうとか考えだすとSFって奥が深いなあと思うのです。設定や想像力を働かせて世界を一つ作り上げるってのは大変な作業だろうなあと。読んでいるだけの自分はそれにケチを付けたりしながら読んでいるのだからいい気なものだなあとは思います。
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言わずと知れた名作SFなのだが。
存外読むのが負担だったし、読みきったあとも、それで?というすっきりしない感じ。
そもそも、ソラリスの海が一種の生命体であることが当初から判明しているのは意外だった。それを前提に、予想外の事態が起き、というか、やっぱりお互い理解できないんだよね、ということなのだが、読んでるこっちもやっぱり理解できない。何が起きてるかすら。
少なくとも、私はこういう話は好きではない。
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うーん。なんというか。宇宙の果てに行った人の宇宙船の中の話。
なんとなく、最近、宇宙に行っても
そこには、閉鎖された空間しかなくって、数人しかいないことを考えるとあまり宇宙に行くことに夢を見ないのだが。
地球を外から見る ということに特化するとなれば、面白いのだろうか。
私は、宇宙に関するこの手の本を読むと、どこにいっても誰が誰を殺して、、、っておそらく地球上のどこでも起こっている話を読むと、なんだか覚めてしまう。
自分が、人間であることが変わらないと 改めてつきつめられているような気がするから
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未知の人智を越えた生命体らしきものにであったとき、人類はどうふるまうのか。人間を仮託するか、全く度外視するか。
ハリーとソラリスの二重において、他者性について考えさせられた。
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未知のもの。理解しようとするわけではなく、害をなしたり友好を結ぼうとするわけでもない、無邪気な好奇心とでもいうべきもの。そのあまりに巨大な理解しがたい存在は、どこか癒しでもあるのだな、と思う。名作SFキャンペーン。
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宇宙で人類が出会った知的生命体は、ある惑星の表面を覆う海だった。海そのものがおそらくは巨大な一個の生命体であり、明らかに知能があるとしか思えない反応を見せるが、その一方で意思の疎通がまったくできず、意識と呼べる活動があるのかも不明。なんとか意思の疎通を図ろう、あるいは意識の存在をさぐろうと、人類は研究を繰り返してきた。あるとき研究センターに忽然と姿を現したのは、人の姿をした奇妙な存在。研究員たちそれぞれの中にある、もっとも触れられたくない記憶の中から蘇った、そこにいるはずのない死者たち。容姿も行動も本物そっくりで、記憶さえもっており、触れても生きているとしか思えない彼らは、しかし睡眠も食事も必要とせず、殺そうとしても死なない。「海」が人類のことを理解しようと送り込んできた、つくりものの存在とわかっていても、かつて死なせた恋人にそっくりの「彼女」に、主人公は情をうつさずにはいられなくなり……。意思とは、心とは。どうしようもなくわかりあえないものと出会ってしまったとき、人はどうするのか。
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1970?年代のSFの古典的作品のようですが、そんな昔にこんなSF作品が生まれること自体驚き。
ただ、内容はともて哲学的というか、超自然的というか、こういう物語があるんだ、と感心。
映画化は可能そうで厳しいかな?と思ったら過去に映画化されているよう。でも、かなりデフォルメ?されているような記事をみた。そりゃそうだろうな。
主人公が女性から追われていたけど、結局は追っていた、そのあたり、悲しい。精神と肉体、どちらを取るのか自分でも考えてしまう。
結局何が言いたかったのか、はっきりしないけど、読後は切ない。SFの不朽の名作。
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SFの古典的な名作ですが、これまで読んだことがありませんでした。名作の紹介番組でこの作品を取り上げていたので、興味が湧きました。番組で解説していたポーランド語を直接訳した沼田さんのものではなく、取り敢えずロシア語訳からの飯田さんのものから読んでみました。
読んでみると確かに、SFであるには違いないのですが、様々な味付けで不思議な世界でした。
出だしは、ソラリスに降り立った主人公が目にした異様な光景にミステリーの雰囲気が漂います。しかし、そこから先は単なるミステリーではありませんでした。
当然、宇宙探検の惑星の話なので、物理学や生物学などの専門的理論が駆使されています。ソラリスが何者⁉︎なのか…理解すべく、主人公たちも含め、学者たちがその学説を繰り広げる経緯がかなりあります。どうやらソラリスは一個の巨大な生命体だったという想定外の事態がこのお話の肝です。意思を持った惑星の目的は何なのか…
このわけの分からない"未知との遭遇"は、人間の知識や経験の想定外であり、宇宙ステーションで出逢った「お客さん」に恐怖の感情を抱くのは誰でも同じだろうと思います。まして、自分が恋人を自死に追いやったという自責の念に駆られていたケルビンには、突然現れたハリーは、幽霊以外の何物でもなかったということがいえます。狭い宇宙ステーション内での心理描写や駆け引きは、当にに人間だからこそ抱く様々な感情が渦巻き、お話を展開します。親愛の情や愛情、裏切りや非情、罪の意識、取り引き、絶望と希望…周りは得体の知れないソラリスの海、空には2つの太陽がある世界で。
現在、民間も含めて宇宙旅行の実現に勤しむ人類ですが、やがてはこのようなことにも遭遇するのでしょうか。
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映画『惑星ソラリス』(アンドレイ・タルコフスキー)を驚きをもって観たのが2012年だったのでもう5年半ほど前になる。最近、NHKテレビでも教育番組の題材として取り上げられたせいか、再度光が当たりつつあるところであり、この機会に翻訳本にあたってみた。
原作におけるストーリー展開は、タルコフスキー作品とは重ならないところが多くあり、映画では長い時間を割いていた地球での生活などは一切登場しない。また、どちらかといえば宗教的とも言える映画に対し、クリスやハリーの心理描写やソラリスを科学的に捉えようとする取組が詳述された内容となっている。
『ブレードランナー』のレイチェルが目覚める自我とこれによって抱くことになる不安は本作のハリーに通じるもので、敷衍して言えば『2001年宇宙の旅』におけるHAL9000についてもタイプこそ違え、自ら思考する人工知能を人間ととらえるのか、それともマシンととらえるのか、という哲学的な命題にかかわるものである。
まだ宇宙への進出を果たしていなかった1961年の時点で、この課題に着目し、作品化したレムの力に驚かされる。
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前半は予想外の密室ホラーのノリでどうなっちゃうんだろうと思ってたら、終盤にかけてぐっと切ない展開に。人間同士の相互理解だってままならない現実の中で、この断絶にはリアリティがある。
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旧映画版はご多分に漏れず首都高で撃沈したので
原作もさぞや高踏であらせられるに違いないと
長いこと二の足踏んで
『光の王』くらいを覚悟して読んだら
まったく外れてふつうの未知との遭遇ものSFだった
話の作りは後に対する影響大きさからか
現在ではあたらしみが薄いが
流石に祖と範されるだけあって丁寧
オールディスとかバラードたとの時代のふいんきな味わいがでているかんじ
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難しい。人類には想像の及ばない知性体との邂逅。理解に達するための共通基盤がないなかで、どのように意思疎通するのか?そんな課題について考えさせられた。