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やはりこの人の本はおもしろい。昔の探検家の話しもいいが何より作者自身が体験している現実の記述がすごく生々しく、その風景の中に入り込んでしまうような錯覚を覚える。
どこかに行きたいと思わせる本。でもこんな冒険は私にはできないとも思わせる。
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自らの北極探検を書いたノンフィクションであるのだけれど、そこに物語を見出して、物語を書こうとする作家さんだなというのを強く感じた一冊でした。
彼らが今回の旅で追いかけているフランクリン隊のこともかなりページ数を割いて書かれており、また現地の研究者に直接話を聞いた内容なども書かれています。カニバリズムにまで走っていた彼らの話は、読んでいてもかなり苦しいものがあります。
その彼らの旅をなぞるようにして旅するのは、最新の装備を持っているとはいえ、過酷の一言。北極圏を歩くというのはどういうことなのか。暖房の効いた部屋で、下手したらあったかいコーヒーにお菓子までつまみながら読んでいるのが、申し訳ない気持ちになるほどの、辛さ。飢えるってどういうことなのかが描かれ、そしてそこから伝わってくるのは人間だって生き物だというあまりにも基本的すぎることで、それは生きるってどういうことかということをすごく考えさせられるのでした。
自分たちの旅と、フランクリン隊の旅を重ね合わせながら、自身の経験に、角幡さんの考えるフランクリン隊の物語を重ね合わせていく、という方法を取っています。それはそれで完成された形ではあるのですが、個人的には探検しましたという事実から少し踏み出しすぎているようにも思えなくもなく…。合う人と合わない人がいるということでしょう。
ともあれ、この旅をやり遂げた角幡さんと荻田さんのお二人は尊敬の一言に尽きます。
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1845年イギリス人ジョン・フランクリンに率いられた129人の北西航路(欧州からアジアへの北極ルート)探検隊は全員が死亡するという悲劇の結末を迎え、その消息は未だ不明です。彼らの消息の手がかりを得ようと、当時と同じ方法(人力で「そり」を引いて進む)で、同じルートを辿った著者による探検記。
北極圏というエリアに90日以上滞在するということが人間にどういう影響を与えるのか、最低気温マイナス40度、最高気温マイナス10度という数字以上に伝わってきます。食料の確保のために巨大なジャコウ牛を銃で仕留め、自身で肉を捌いて食料とする著者。「生きる」という事が「食べる」ということに直結し、人間の営みが他の生物の命を奪うことで成り立っていることを改めて認識させられます。著者がジャコウ牛を仕留める情景の描写だけでも一読の価値ありです。
ただひたすら「そり」を引いて歩き続けるという単純作業が本書の対象であるにもかかわらず、読者を飽きさせずに引き込ませるのは著者の筆力の賜物でしょう。第35回講談社ノンフィクション賞受賞作。
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過去の話と自分の探検が交錯するお得意のスタイル。とても面白い。極地探検は日常とあまりにもかけ離れていて、驚くことも多かった。
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1800年代ヨーロッパは大航海時代。多くの海洋冒険家が未知の大海へ船を出し、新海路の発見に挑戦していた。そんな時代、数々の冒険から生還し、時には靴を食べて飢餓から脱した男、ジョン・フランクリンはスーパースターだった。
そして彼は59歳という高齢でありながら、新たな冒険に挑む。イギリスから北極経由で太平洋を目指す「北西航路」の開拓だ。129名の部下と当時では最高水準の船2隻を率いて、北極へ向かうが、誰も生還することがなかった。遺体や遺品もほとんど見つからず、人肉を食べた痕もあった。全滅の理由や経路などが謎に包まれている。
そんなフランクリンの冒険の真相に迫るには彼と同じ道をたどり、彼の心情を推測するしかない。それが著者の北極冒険の動機。
本書は歴史ミステリーでもあり、北極冒険記でもある。
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「空白の五マイル」や「雪男は向こうからやって来た」で力量を見せた角幡唯介氏のノンフィクション第3弾。19世紀半ばに北極北西航路制覇の探検に出て、129名が全滅した英国のフランクリン隊の足跡を追い、自ら橇を引き乱氷隊を越え、ツンドラの不毛地帯に踏み込む。
イヌイットからアグルーカと呼ばれた白人が誰で、どこを目指したのか、著者自らの旅の進捗と、フランクリン隊を捜索した様々な探検隊が残した記録に見える、フランクリン隊の痕跡や、イヌイットの証言などを織り交ぜながら緻密に検証していく手法は、これまでの作品を継承した著者独特の持ち味。
小学生のころアムンゼンや白瀬矗の伝記で読んだ、極地探検の話を思い出しました。悲劇の主人公はスコットでありフランクリン隊ではありませんでしたが。
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読ませる。文章がうまい。構成も実に巧みで、エピソードの選び方も的確。こういう書き手がいたんだなあ、ととても嬉しくなる。
特に印象に残るのは、麝香牛をしとめるエピソード。
このエピソードは最後にも回想してて、文章全体のテーマの象徴的役割になってるんだよなあ。その辺の構成はほんとうまいと驚嘆する。
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冒険家であり、ノンフィクション作家の角幡唯介さんが1845年ヨーロッパとアジアを結ぶ航路を発見するためイギリスを出発し、総勢129名が全滅するに到ったフランクリン隊の足跡を辿るため、北極冒険家の荻田泰永さんと共に3ヶ月に渡って北極を旅する探検記。
始めはそら大昔に北極旅するんやから全滅することもあるやろう、と思っておったのですが、少なくともフランクリン隊が出発した1845年当時は18世紀の劣悪な条件のもとでの探検ならいざ知らず数十人単位で死亡したりすることはなかったらしい。船は当時の最先端技術を詰め込んだ立派なもので、5年分の食料を備え、図書室や温水暖房まであったらしい。何か思ってたのとだいぶ違う感じ。しかも、隊を率いるフランクリンはかつての北極探検で極限の飢餓に襲われながらも“革靴”を食べて生き延びたといわれる北極探検界のスター、これが何で全滅したん???2人の旅と交互にちょっとずつ明かされるフランクリン隊の話がミステリを読んでいるみたいにドキドキして面白かった。
そんな絢爛豪華なフランクリン隊とは対照的に2人の旅は重さ100キロの橇を飢えに悩まされながら延々引きながら歩く、というかなりストイックなもの。一日に5000キロカロリー摂っても食べた瞬間にお腹がすくらしく、飢えに苦しんだ2人が麝香牛を射殺して食べるところは圧巻やった。
そして苦労の末、ジョアヘブンの村へ着き、氷の上を歩く旅は終わるんやけど、さらにその先フランクリン隊の生き残り「アグルーカ」と呼ばれた男が旅したかもしれない南へ再び出発。ここから先は詳細な地図もなく、ただ河をボートで渡れる場所を探してツンドラの湿地帯を歩くのみ。ただただ氷と飢えに格闘していたそれまでとは違い、湖で魚を釣ったり旅に彩りがでてきて面白かった。
角幡さんのこの本も面白いけど、クレイジージャーニーという番組に出演された旅の相棒である荻田さん、「コラ〜ッッア」と叫びながら熊を撃退したり、ボコボコの氷の上で橇を引く様子なんかが映像で観れてまた違う面白さがあった。つぎは荻田さんの「北極男」を読んでみたい。
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129名の隊員が全員死亡した19世紀の英フランクリン隊の足跡をたどり、北極圏を100日以上かけて徒歩で走破する冒険の記録。真夏の読み物として読むには最適の非現実的な本だった。
著者は早稲田大学探検部出身1976年生まれ。
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おもしろかった!
小心者の僕にも、冒険の素晴らしさを感じることができた。
氷点下30℃環境で一日歩き回るためには5000kcal/日必要ということに驚き。
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1845年、イギリスを出発して北極航路の探検へと向かった129人は戻ってくることはなかった。
その後、数々の調査がなされて彼らの痕跡から129人全員死亡という判断がなされた。
しかし、調査の中では何名かのイヌイットは「アグルーカ」という人物が南を目指したという証言した。
アグルーカ、イヌイット語で歩幅の大きい人という意味の言葉は転じて「勇敢で果断な男」を意味する。
その痕跡から人肉食すら起きていた極限の状況において、アグルーカは部下二人を連れて南のツンドラ地帯を目指したという。
はたして129人のうちに生き残りはいたのか。150年前のフランクリン隊の足跡を追い、彼らが見た北極を追体験する。
冒険家という連中は日本にも生き残っている。本作はその道では有名な作者の出世作だ。
現在の自らの極限状態と、150年前のフランクリン隊の探検とを重ねながら旅をする。
乱氷帯の橇越え、飢餓状態で麝香牛の狩り、つかの間の休息の後に濁流と化したツンドラ地帯の踏破。
「探検は土地の物語、冒険は人の物語」と筆者は別作品で語っている。
この旅は冒険だ。アグルーカは隊長亡き後、生存者を率いた副長のクロージャーだったのか。
真実は全て北極の雪の下だ。雪原に消えた最後の三人が最後に見た風景は何だったのか。
失われた真実にこそロマンを感じる。
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1845年に、英国を出発したジョン・フランクリン大佐が率いた総勢129名の北極探検隊。イギリスの国威をかけた大冒険の目的は北極圏を通り、アメリカ、そしてその先にあるアジアへの航路を発見することだった。イスラム圏を通る陸路では、イスラム商人に払う関税が馬鹿高い。喜望峰周りの航路はスペイン・ポルトガルなどの先行国に利益を占められていた。既得権益国の干渉がない新たな航路の発見は、海洋国イギリスの悲願だった。
しかしフランクリン隊は経験したことのない極寒の環境に行く手を阻まれ、まず船が氷に閉じ込められ船での探検ができなくなる。徒歩や橇での探検は思うようには進まない。加えて食料は十分にあったにも関わらず、缶詰ばかり食べていたので、おそらくは缶を密閉するために使われたはんだによる鉛中毒になり、倒れていくものが続出。彼らは保存食料を放棄して、食料を求めて狩に出なくてはいけなくなった。
食を求めてさすらううちに彼らは離散を繰り返し、そして一人減り、二人減りして、全員が帰還できなくなってしまったと考えられている。
しかし彼らの中にも生き残った者がいるとの伝説がある。それが”アグルーカ”だ。イヌイットの言葉で「大股で歩く者」を意味するアグルーカは、果たして本当にフランクリン隊の生き残りなのだろうか。アグルーカの足跡を追った過酷な追体験の冒険が始まった。
当時とは格段に向上した防寒装備と食糧事情、そして何よりGPSによる現在位置の特定が可能になったことで、極地探検での遭難のリスクは減っていると思われる。なんたってもうだめだと思ったら天候さえ大丈夫ならヘリで救助を呼べばいいんだから。ツアンポー渓谷の探検と同じように、アグルーカの足跡を追って探検する意味なんて、たぶんない。もう完全な冒険バカである。
でもやっぱり面白いから読んでしまう。
氷がぶつかり合い、せりあがったてのこぎり板状に切り立った氷塊を橇でのりこえる大変さ。極地で口唇ヘルペスに罹患したことにより起こる激痛と血のつらら。ホッキョクグマにテントを襲われため銃で抵抗したり、麝香牛を仕留めてその肉を食ったり。生命を維持することってこんなに大変なことなんだ、と思う。
氷点下の世界ではぜったいに服を濡らしたままにしてはいけないらしい。そこから凍傷になり、体力が消耗し、死にいたるから。人生で役立つ日が来るかわからないけど、覚えておこう。
フランクリン隊は人肉食をした形跡もあるという。食わなきゃ死ぬだけだから極限状態では仕方のないことだったのだろう。
最終的にはアグルーカと呼ばれた人物がいたかどうかはわからないので、結末として不完全なのかもしれないけれども、これは追体験の過程を楽しむノンフィクションなので、そこは気にならなかった。フランクリン隊に関しても相当詳しく書いてあるので、極地探検の歴史ノンフィクションとしても読むこともできる秀作だ。
もっと著者の探検物が読みたい!
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「ヨーロッパとアジアを結ぶ航路を発見せよ」。19世紀に大英帝国の
期待を背負ったフランクリン隊は、北極探検中に全員が死亡した。
フランクリン隊は北極で何を見たのか。冒険家・荻田泰永氏と著者が、
フランクリン隊の足跡をたどった記録が本書である。
著者たちの探検の行程とフランクリン隊が辿った運命が交互に記述さ
れる手法は以前に読んだ『空白の五マイル』と一緒。
どこまでも雪と氷。そこを北極での生活に必要なすべてを乗せた橇を
引き引き、ひたすら歩く。しかも同行者とずっと一緒。
ひとりで黙々と歩くよりはいいんだろうが、どんなに仲が良くても一緒
に旅行などで長い時間を過ごすと相手の嫌な部分が目に付いて険悪に
なるっていうのは女性同士に限るのかな。
氷に阻まれて思ったように距離が稼げない日々が続いていても、著者と
荻田氏が交わす会話がどことなくのんびりしているのが印象的。
フランクリン隊の最後の生存者たちの命が尽きた「飢餓の入江」を越え
てふたりの旅は続く。それは、イヌイットたちが「アグルーカ」と呼ぶ
生き残り隊員の足跡を追う為だ。
イヌイットの言葉で「大股で歩く男」を意味する「アグルーカ」と名付
けられた探検家は何人かいた。自分こそ、イヌイットが言うアグルーカ
だという探検家だと主張する人もいるが、著者同様に私も隊長であった
フランクリン亡き後に隊の指揮をとった男こそ、イヌイットたちの間に
伝わるフランクリン隊の「アグルーカ」だと思いたい。
仲間のほとんどが死んでしまった後に、帰国する為に不毛地帯へ足を踏み
入れてのち、消息の分からなくなったアグルーカは確かにいたのだと。
現実の冒険の合間に描かれるフランクリン隊に関した考察は非常に参考に
なった。しかし、著者たちの冒険の行程で私には何か所か引っ掛かること
があって、心底楽しんで読めたかと考えると複雑なんだよな。
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129人が全員死亡というフランクリン隊の伝説はどこまでも人を引きつける
やっぱり思ったのは角幡唯介氏は文章が上手いなぁと言うことでひたすら変わり映えしない(?)氷原を歩く体験をよくここまで面白おかしく書けるものだと感心させられた
角幡氏の本は空白の5マイルに続いて2冊目だが過去の冒険家たちの物語はやはり面白く、もっと読みたいという気持ちになった
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エンタメノンフ作家・高野さんとの対談を読んで気になった本。トリッキーな主題よりも副題が読者の心に響いてくる。1800年代、世界の中の日本は幕末に、欧州ではポルトガルとスペインが主要航路を押さえてしまったがために、過酷な北極圏を航行する北西航路を開拓する必要性に迫られたことがフランクリン隊の悲劇を引き起こした。極寒の極北、乱氷帯を踏破する辛さ、ツンドラの不毛な大地を進む描写に、自分が安全な場所に居ながらも、旅をしている気分にさせてくれた。