投稿元:
レビューを見る
モンクの曲は、本当に不思議な魅力を持っている。レコードをかけるときに、ふとタバコをふかした横顔がチラッと思い出されて、思わずかけてしまう。モンクのことを綴る音楽雑誌などから、村上春樹が選んだ言葉たち。ドラッグと、音楽への愛に満ち溢れた、天才の話は、ニューヨークのバップの勃興期にあって、黒人という存在、貧困やいろいろな困難がある時代だったのだろう。
ユニークかつ、繊細は音は、やっぱり時代の寵児なんだろうな、と思わせる。
投稿元:
レビューを見る
このような本を普段あまり(ほとんど)読まない。僕の経験から言うと、小説ほどその世界に浸れないためか、いささか退屈な気がするからだ。
でもこんな本を読みながら1人で夜を過ごすのも悪くないな、と思う。
モンクの良くも悪くもある個性も今までより、「それはそういうものなのだ」と考えるようになった。
セロニアスモンクは何かのメタファー、、、ではないな。なんでもない。
時代のイメージがつくから、グリーンブックって映画観てから読むのがおすすめ。
投稿元:
レビューを見る
ジャズを全く聴かず、モンクというミュージシャンの事も全く知らない私には、全く理解出来ない一冊でした。
おそらくモンク大好きのジャズファンが読めば、非常に面白い一冊なのだと思います。
投稿元:
レビューを見る
帯の惹句曰く: モンクの音楽は、いつも大きな謎だった。
評論家、ミュージシャン、プロデューサーらの著作の一部や雑誌への寄稿文12編(和訳)と、村上さんのエッセイ2編。
巻頭のエッセイ「セロニアス・モンクのいた風景」は、「ポートレイト・イン・ジャズ」(和田誠・村上春樹 新潮文庫)中のセロニアス・モンクの項に加筆したもの。終章にもエッセイ「私的レコード案内」収録。巻末には「あとがき」に加えて、「セロニアス・モンク 略年譜」8ページおよび「索引」6ページ(数百項目!)まで用意されています。みごとです(村上さん自身の制作?)。
そして村上さんの文章、特に「私的レコード案内」は、読者に決して好みを押し付けない配慮に満ちていながらも、ジャズ愛のあふれる暖かい「私的」文章になっています。その内容は、モンクの音楽そのものの特異性に惹かれただけでなく、若かりし時代の村上さんの記憶・心象とモンク音楽が密接にリンクしていることが語られます。
たくさんの人の書いた文章としては、どうしてもモンクの変人ぶりに興味を持っていかれてしまうと思いますが、私の場合、他のモンクに関する本やライナーノーツも読んだことがあるので、それほど驚きませんでした。とはいえ、知らなかったことも多かったです。音楽を文章に表現するのは難しいこともあり、いまひとつピンとこない文章もありますが、これは翻訳ではなく原文のせいです。
一方で、ミュージシャンの友人をかばって収監されたり、自分の音楽が周りに認められなくても、全く(本当に1インチの迷いも無い!)ぶれずに自分を貫く姿に感動します。「世間が何を求めているかなんて考えなくていい。演奏したいように演奏して、自分のやっていることを世間に理解させればいいんだ。」ずばり、言い切っています。
それに天才モンクを支える献身的な妻ネリー、パトロンの男爵夫人、高校教師のマネージャー、モンクの曲だけでアルバムを作ったスティーヴ・レイシーなど感動的です。
少し驚いたこととして、村上さんの翻訳では、一般的なミュージシャン名の日本語訛りが多少緩和されている点があります。本来の発音に寄せて、昔からの一般的なカナ表記マイルス・デイヴィスは、マイルズ・デイヴィス、ビル・エヴァンスはビル・エヴァンズ。ミュージシャンへの敬意と翻訳者としてのスジを通すという意気込みを感じます。
以下ネタバレに近い内容。
興味深かったこととして、今日ビーバップ(bebop)と呼ばれているモンクをはじめ、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピー、チャーリー・クリスチャンによる、それまでのスウィングスタイルのジャズを塗り替えた新しいジャズのスタイルは、本書のバリー・ファレル(雑誌タイム誌のライター)の文章によれば、モンクが bipbop (ビップバップ)と呼んでおり、それが訛って広まったのだと言ってます(Wikipedia 英文を見ると、Robin Kelly という人の著作中で、bip bop というのが 52nd Street Theme という曲の元のタイトルだったと書かれているようです。また、さらに古く、即興の歌中のスキャットに bebop や rebop という無意味な語も使われていたよう)。
面白かったのは、ブラインドテスト、つまり、レコードをかけて演奏者を当てるクイズ。他人の演奏する自分の曲がかかると、すぐそのコードの間違いを指摘しています。モンク、聴音力するどいですね。
テナーサックスの後輩でジャイアントとなったジョン・コルトレーンに対しても、長3度でソロをとると、譜面が「3度の省略されたマイナー(短調)コード」であっても、短調のコード想定して和声が進行している、と諭す証言も出てきます。
ブラインド・テストでは、オスカー・ピーターソン(素晴らしいテクニックでクラシックのピアニストも魅了するジャズピアノの巨匠)の演奏に対しては、まるっきり興味がなく、席を外してコメント拒否してしまいます。モンクとは、いわば正反対のスタイルのピアニストなんですよね。さもありなん。
また、最もジャズらしいモダンジャズの語彙を生み出した、チャーリー・パーカーに対しては、モンクはそれほど評価が高くないのは、ちょっと意外でした。確かにモンクとは方向性が全く違います。
パーカーがいかにもジャズらしい音をジャズ特有のスケール(音階)から選び出して、リッチでかつ高速なアドリブソロを展開することで、後々のジャズミュージシャンに与えた影響は計り知れません。本書中で述べられているように、パーカー以後のミュージシャンは、曲のテーマのメロディーとは関係なく、曲のコード進行に沿ったソロを取るようになった、という指摘は当たっているように思い、ちょっとギクッとしました。それもアリだと思ってはいますが。
また、モンクの女性パトロン(パトロネス)だったニカことコーニグスワーター男爵夫人が、プライベートに録音した音源がたくさん存在するというのを知って、興味がわきます。ニカの子供たちに所有権があるということですが、今も一切公開されていないようです。モンクが曲を完成させようとしている過程の記録、なんて、聞いてみたいですよね。モンクとしては残すつもりもなかった練習風景の記録が多いでしょうが、完成した芸術ではなくても、アメリカ文化の第一級の歴史的遺産として、いずれは公開されるべきだと思っています。モンクだけでなく、多くのジャズ・ジャイアンツも登場しますし。
マイルズとの共演レコード Miles Davis All Stars Vol. 1 中の曲、Bags' Groove について、マイルズのバックでピアノを弾かないのは、マイルズがモンクに「オレのソロ中はピアノを弾くな」とケンカになったとして、ケンカ・セッションなどと呼ばれています。本書によると、マイルズに弾くなと言われてモンクが拗ねて弾かなかった、という感じで、ケンカにはならなかったようです。話は真実とは違う面白いほうに流れてしまった、ということでしょう。本書で複数の証言が述べられていて、改めてケンカにはならなかったと確信しました。
余談ですが、個人的には、このアルバムの The Man I Love のモンクのソロが衝撃でした。まるで、モンクのソロのパートが始まると、恐ろしいくらいスローな音符でテーマのメロディを弾き始め、少しすると全く無音になってしまう。たまらずにマイルズがトランペットで割り込んでくるのです。するとその瞬間からモンクのソロが軽快に再開します。私はこれまで、モンクはこのとき眠たかったんじゃないか、そして眠り始めたんじゃないか、と勘ぐっていましたが、本書を読んで、モンクが拗ねた結果の演奏なのかもしれないとも思っています。それでも、このアルバムの The Man I Love と Bags' Groove のモンクのソロは、数あるモンクの演奏中でもぶっ飛びで感動的です。聴いてみてほしいです。個人的には、Brilliant Corners、Monk's Music というアルバムも個性満開でお勧めです。