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なんと息子の愛読書(笑)…どうしても読んで欲しいというので読みはじめたが、むしろ私らの世代の子供時代が、非常に純粋に、だからこそある意味卑近に描かれていて、懐かしい匂いがした。こういうシーン、どこかで見たって思った。しかし辻くん、キミなかなかおませな少年だったようではないか(笑)年ごろの男の子の考えることって、もうソレしかないよな…息子よ、ハハはあんたが子供の作り方を知ってるかどうかも定かではないが(笑)気に入ってるのは「ゴワス」の「コンダラ」のトコでしょ?(笑)
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辻仁成の短編集。小学校からはじまり高校卒業にいたるまで、自身の成長と周囲の人々との関わりをつづっている。
僕がこの本を買ったのは、学校の国語の教科書に掲載されていた「そこに僕はいた」という短編(この本にも同名で収録されている)に魅力を感じたからだった。今でも、具体的にどの部分が、どの描写が心を打つのかは説明できない。ただそのストーリーが、心の動きの描かれ方が好きだったのである。
決して分厚い本ではないが、著者の青春が詰まっている。ここに描かれる多くの友人達との様々なドラマに満ちた著者の10代に思いを馳せる。つい自らのつまらない半生と比較してしまうが、その充実度の差にもはや自嘲するしかない。
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10年以上前に呼んだエッセイ集。『僕は彼らのことを憶えている』がとても印象的で今も、僕はそのことを憶えている。
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作家の傍ら音楽活動も展開している辻仁成が、自身の幼少期から学生時代までの出来事を綴ったエッセイです。まるで小説のような出来事や個性的な友人たちがとても魅力的。転校の多かった彼にとって、「友達」という存在は私たちが感じているそれとはまた異なる大切さがあり、その想いを感じるたびに、温かいような切ないような気持ちになる内容です。「一度でいいから何かを逆に追いかける夢を見てみたい」「友達は作るものではなく、自然に出来るものなのだと思う」…心に響く言葉と沢山出逢えます。
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昔、進研ゼミの読み物かなにかで連載してた気がする。
辻仁成の自伝的エッセイですね。自身が保険会社勤務の父親の影響で全国津々浦々を転校して回っていたので、あちらこちらの土地が出てきます。
ただねぇ。なんというか、昭和30年代の、「三丁目の夕陽」的な物語がはまるか、はまらないか、評価の分かれるところでしょうね。ま、文体も読みやすくて軽く読めるし、いいんじゃないでしょうか。
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小学校6年生の時に読んだ本。本屋に並んでいて懐かしくて買ってしまった。昔読んだ事があるから、自分の過去の思い出が描かれているようで懐かしい気持ちで読めた。
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最初に読んだ辻仁成の本で、今でも一番好きな本。
著者の小学校〜高校生の時のおもしろ話がつらつらと。両親の影響で、方言としらずに使っている言葉「いぼる」や、転校を繰り返した「自分」は友達を強烈なストーリとともに覚えているのに、そこでずっと暮らしていた友達は「自分」を覚えていない、通過してった出来事なんだ。といった内容が忘れられない。
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友達は作るものではなく、いつの間にか出来ているものだ。確かにその通りです。友達について色々考えさせられました。辻さんの小学校から高校までのエッセイです。
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辻仁成さんのエッセイというか自伝的小説というか、小学校から高校時代を振り返った作品です。
辻さんは父親の仕事の都合で、子ども時代に福岡、帯広、函館を転々とします。
辻さんは子ども時代を振り返って、一番最初に仲良くなった奴とは喧嘩友達になるか、一番嫌いな奴になるものだと言っています。
自分ことを振り返っても、これは分かるような気もします。
休んでいる同級生に給食のパンを届けたりしますが、これはわたしにとっても懐かしい記憶です。
今では考えられないことです。
その一家が突然姿を消し、家がもぬけの殻になっていたという話もやるせないです。
辻さんは20年ほど経って、福岡を訪れます。
筑肥線は埋め立てられ、地下鉄になっています。
街の姿は容赦なく変容しています。
友達を懐かしんで連絡をとろうとしますが、相手は覚えていないといいます。
転校して歩いているものは一時期のことを良く覚えていますが、一カ所にとどまっているものにとっては一時期を通過していったものは忘れられやすいということです。
子ども時代の記憶というものを考えるとやるせない話です。
辻さんは子どもの頃、ガキ大将でした。
広場に穴を掘ったり、車の排気管に石を詰めたりしたといいます。
この頃の子供たちは良く石を投げます。
顔を狙わないというルールはあったようですが、石投げは今なら大変なことになります。
わたしも子どもの頃、石投げをしたされたという記憶はあります。
新聞配達をする少年との出会いもあり、自分も新聞配達をしようと決意しますが、父親に激しい剣幕で叱られます。
「おれはおまえにそんな苦労をかけさせているのか、貧しい思いをさせているのか」
これもわたしに似たような体験があり、親に止められましたので、共感できるところです。
新聞少年は帯広でも出てきます。
いつも一番早く登校している少年がいて、早起きして自分が一番乗りしようとしますが、その少年は教室で早弁していました。
彼は母子家庭で新聞配達をしていました。
辻さんは小5の時に福岡から帯広に転校します。
福岡は夏は30度を超え、帯広は冬はマイナス30度以下になります。
高校時代にバンドを組みますが、そのボーカルだった子が駆け落ちしてしまいます。
辻さんは、追いかけられる夢を見るといいます。
わたしも見ます。
辻さんの高校卒業時に野心を持っていた友人がいました。
彼は「最高の自由を手に入れてやる」といいます。
10数年後に彼と辻さんは再会しますが、彼は落ちぶれています。
サラ金の取り立てにいって、その相手が首を吊ってしまいます。
この他にも、高校時代の仲間が暴力団に入ったり、両親の離婚があったり、色々な辻さんの体験が語られます。
「巨人の星」の星飛雄馬、ヘッセの「車輪の下」、Xへの手紙、などの想い出も語られます。
辻さんの読書体験も描かれています。
辻さんは色々なことを手がけている方なのですが、普通の人のように共感しました。
同時代人として、福岡県民として、面白く読むことができました。
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この本はエッセイであり、作者の辻仁成の少年時代の出来事が思い出形式で綴られているものである。
作者の辻仁成の少年時代の出来事が面白く描かれているので、何度読んでも笑える本だ。
この本の続編というか、また別の話が描かれている本で「そこに君がいた」がある。
そちらもあわせて、ぜひ読んでほしい。
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作者自身の体験談がつらつら書かれている。
小学生の時に、とっても感性を刺激された「ミラクル」という作品の作者が出していた本だったので、昔買ったまま読まないでいた。
改めて読むと、なんか、違うw
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これは本当にエッセイなのだろうか、と途中で疑ってしまった。それほど人物が生き生きとしていて、一つの物語として成り立っているように感じた。私は自分の小学校の頃をこんな風に鮮やかに思い出せない。
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始めはただの物語かと思ったけど、エッセイだったんですね!
“友達は出来るものじゃなくて、いつの間にかなっているもの”
この言葉に目から鱗です。確かにそうですもの。
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学生時代のエピソードのエッセイ。イマイチだった。
ただ、学生特有の悩みとかはすごく明確に描かれていてすごいなぁ、と思った。この記憶力、感性はすごいと思った。
子供のころ特有の悩みとかすごく共感できた
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浦野所有。
この本を読んで、辻氏に対するイメージが変わりました。この作品は素直におもしろいと思えるものでしたよ。同氏の芥川賞作品『海峡の光』の救いようのないつまらなさとは、まったく無縁の作品です。
そうはいっても、内容はそれほど濃くないし、陳腐です。文章の巧さという点でも、太宰治なんかの足元にすらおよびません。それでも、「いい」と思ってしまうんですよね~。辻氏が思い出語りに終始しているのではなく、努めて客観的に回顧しているからこそ、一抹の虚しさ、わびしさ、切なさが強調されているのです。だからこそ、私のように、普段から昔を懐かしみ、後ろばかり振り向いて生きている人間の中に、スーッと入ってくるんですよ。
印象的だったのが、子どものころの辻氏のマドンナ、キャサリンを回想する場面。思い切ってキャサリンの実家に電話をし、母親から結婚・出産したことを告げられ、「僕には僕の時間が流れているように、キャサリンにはキャサリンの時間が流れていた」。
ああ、この一文のなんと哀しいことでしょう!
別れた人たちは、その別れの日ののちも変わり続けていくというのは当たり前なのに、「昔のままであって欲しい」と思ってしまうのは、とんでもないエゴということになりましょう。でも、そんな思いを抑えきれないのは、どうしてなのでしょうか。
ともかく本書にはそういった表現が散りばめられており、久しぶりにいいものを読んだと思わせてくれるものでした。