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面白かった。歩さんのこれからが楽しみ。感動しました。サトラコヲモンサマ意味が深い。信じるものを見つけなさい。あなただけが信じられるものを。サラバ!
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長かったなー。
成長、人生、拠り所、挫折、達観、受容・・・
んもう、色々考えさせられた。
思い浮かぶ情景が濃いのは西加奈子さんの技なのか。
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なんだろう。物語の終わりに近づいて涙が止まらなくなった。早く寝なくちゃと想いながら頁をめくる手が止まらなかった。 背中を押してもらえた感じです。 いまも、どこかで、物語の主人公が 頑張って生きている姿 が浮かびます。
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お父さんもお母さんもお姉ちゃんも歩もおばさんも別れた彼女もみんなの気持ちに思い当たる部分があって、物語の中で人を役割じゃなくて、みんながひとりの人物として生きているのがすごいと思った。すごいと思いました。
出てくる人たちを、予期せぬところで“この人は自分だな”って思えて、そこ泣くとこじゃないでしょってところで泣きそうになりました。
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基本他責にして受け流して生きているイケメン男子が
人生をこじらせる物語。
自分のことを振り返らされる結構ツライ小説だった。
力がある小説ってことで。
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見た目がカッコ良くて、存在は派手じゃないのに行く先々で女性にモテてた男性(歩)が30代になって頭髪がどんどん薄くなりはじめるって想像以上に恐怖なんだろうな。
歩は沈みはじめた頃、姉の貴子がアメリカ人の伴侶と出会い、すくいぬしを見つけどんどん穏やかに母親との関係も良好になっていく対比。
でも、あのさっぱりとした魅力的で強い母親が、父親とのなれそめから恋愛に至るまでのあれやこれやで、自分達が裏切った仲良くしてた先輩上司(父の婚約者)が日本で癌にかかり会いたいって手紙がきて、それに反対して猛げんかになっるってどうも解せない。
矢田のおばあちゃん、いつも受身でも、多分一番強い夏枝おばさん。魅力的な人に囲まれて貴子も歩も一歩を踏み出せたんだね。
もちろん、ヤコブの存在なしには語れないけど…。
サラバ この小説の書き出しが下巻のラストなんて、気がきいてる。
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上巻を読み始めた時「自伝的小説?」と思ったものの、であれば西さんは恐らく歩ではなく貴子なのだろうし、それではあまりにエキセントリック過ぎ、結局これはあくまでも物語なんだろうと(自分なりに)結論付けながら読んだ。
流れる時間と大いなる距離、それらに伴う、また成長による自らと周囲の人々の移り変わりが、月並みに言うと「ダイナミックかつ繊細に」描かれていたと思う。
信じるもの、がキーワードのひとつであり、それが宗教を指すわけではないだろうと思ってはいたものの、実はもっとベタな想像をしていたので、このラストは良かった。人は自分の力で変われる、というか、根本的には自らの力でしか変わることはできないという事実が爽やかに迫った。
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父の出家。母の再婚。サトラコヲモンサマ解体後、世間の耳目を集めてしまった姉の問題行動。大人になった歩にも、異変は起こり続けた。甘え、嫉妬、狡猾さと自己愛の檻に囚われていた彼は、心のなかで叫んだ。お前は、いったい、誰なんだ。(BOOKデータベースより)
感想を一言で述べると、「衝撃的」でした。人間として生きるのはいかに難しく、またいかにドラマチックなものであるのかを思い知らされました。
かつて自分は、何かに固執したり、憧れを持ったり、一箇所に留まったりすることは「ぬるいこと」「危険なこと」だと思っていました。所詮他人は他人だし、物事は移り変わっていく。だから絶対の信頼を置けるものなんて存在しないんだと考えていました。
しかし、就職・結婚・その他諸々…大小様々な選択を迫られる機会を何度も経験するうち、拠り所とすべき一つの大きな「基準」のようなものを決める必要があると感じるようになりました。それは言わば盲目的に信じることができる絶対的なもので、それに全力で寄りかかることで満たされた、納得感のある(と少なくとも自分自身が感じることができる)人生を送ることができる、と。固執しすぎることは危険なこと、でもそういうものを探していくことも大切なんだと思えるようになりました。一方で「基準」を探す作業というのは難しいもので、それは自分自身で身をもって経験したものの中にしか隠れていていないと思います。だからできるだけ若いうちにいろいろなことに積極的に関わって、考えて、失敗して、他人と想いを分かち合って、自分の中で昇華していくということが必要なのだと考えるようになりました。
この本を読んで、この「基準」を探す作業こそが「一生懸命生きること」なのだと感じました。だから、その作業を産まれた瞬間からスタートできた貴子の生き方がすごく羨ましい。ああ、自分はだいぶ出遅れてしまった。ショックで頭をガンと殴られたような気がしました。
でも、まだ遅くはない。自分自身にも30年余りの人生で積み上げてきたものがあり、その中から「基準」となるものを見つけることができるかどうかが重要なのだと思います。さあ、私も一生懸命生きてみよう。
余談ですが、この物語を最も端的に表した一言「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ」と、私が敬愛する中島みゆきさんが作詞した『宙船』の一節「お前が負けて喜ぶ者にお前のオールを任せるな」って、すごく似てるなと思いました。
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イラン、大阪、エジプトで生まれ育った主人公。その主人公の経歴が作家の西さん同じ。年も同じ。生まれた月も同じ。この主人公は西さん自身なのかなあ。
生きていることに絶望する歩が、自分が信じるものを見つけ出し、再び力強く生きることを決意するんだけど、西さんもこんな思いを抱えて生きているんだろうか。
「あなたが信じるものを誰かに決めさせてはいけないわ」
あの変態の姉の助言を受けてカイロに向かった歩は、ヤコブに会い、かつてナイル川でみた白い化け物「サラバ」と再会する。そして、歩は、自分が生き続けることを信じ、サラバを陣し、今まで自分がたどってきた奇蹟を小説に残す。
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サラバ!下 - bookworm's digest
http://tacbook.hatenablog.com/entry/2014/12/18/071134
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周りの目や相手に振り回されて、信じるものを決めるのではなくて、自分がいたからこそ、だから信じるのだ。
以前より、世界には、宗教、文化、生活圏、人種など様々な違いがあり、そして、今ではパソコンなどにより、様々な情報が収集できる。とてもシンプルで当たり前のことだけれど、今の世の中で、自分の考えを信じて、進んでいくことはとても難しいと思う。
圷歩は、自由奔放に生きる父や母、また自己顕示欲の強い姉などに囲まれて成長していく。一見、要領よく器用な人間かと思うけれど、大人になっても、自分の軸が定まらない歩はどんどん振り回され、不器用にもがいていく。父母の離婚の秘密も、姉の存在にも、すべてに立ち向かい始めて初めて、動き始めた歩。不器用な歩に自分を少し重ね、姉の言葉に、はっとさせられました。
西さんの10周年の集大成ですが、自分が信じるものは自分が決めるということに、改めて考えさせられ、勇気づけられました。西さんの描く、個性豊かな登場人物に、これだけのびのびと自分らしさを出しても大丈夫なんだよということを教えられる。先日テレビで光浦さんが「西さんの作品で、こんな自分でもいていいんだと励まされる」とお話されていたことに、改めて共感しました。
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こんなに読んで泣いた本なんてなかった。
上巻は何度が読むのが止まったが、下巻はスラスラ読めました。
この小説は私の中でずっと生き続けると強く感じた。
毎年一回は再読したいと思いました。
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罪の告白にも似た一人称の語りは、藤谷治「船に乗れ!」を彷彿とさせ、久々に揺さぶられた。
しかしながら、物語は優しく、打ちのめされているのと同時に救われている気持ちになった。
拠り所のある人間のなんと強いこと。
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父の出家。母の再婚。サトラコヲモンサマ解体後、世間の耳目を集めてしまった姉の問題行動。大人になった歩にも、異変は起こり続けた。甘え、嫉妬、狡猾さと自己愛の檻に囚われていた彼は、心のなかで叫んだ。お前は、いったい、誰なんだ。
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上巻が姉の奇行を糧に歩が自分の立ち位置を測る時代だとすれば、下巻は、圷(今橋)家の激動の時代だとは言え、歩にとっては手痛いから緩やかな下降の時とも言えるように思う。何もかもが思うようにはいかず、頭髪までもが徐々に30代の自分を見離し始め、幼いころから容姿にだけは自信があった歩の自我をさえ崩壊させるのである。下巻の後半では、姉は自分なりの信じるものを見つけて彼女なりに安定に向かっているが、歩自身はそれとは裏腹にこれまでの人生すらガラガラと音を断てて崩れていくような思いから抜け出せない。良かれ悪しかれ姉の存在の大きさを思わされる。そしてカイロへ……。「サラバ!」が歩の心のお守りになったのだと涙が出る思いのラストである。圷(あえてそう言いたい)一家がしあわせでありますようにと願わずにはいられない一冊である。