紙の本
粘菌の知性は集合知的
2021/12/16 03:12
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投稿者:穴部 - この投稿者のレビュー一覧を見る
粘菌が人間が考えたものとほとんど同じ鉄道路線網をつくり上げたのは凄いと感じた。
本書では粘菌の知性は自律分散システムによって生み出されていると表現されているが、私が自分の言葉で表現するならば、粘菌の知性は集合知的なもので、粘菌は個体(変形体)内で多数決的に行動選択を行う生物であると言えるだろう。それゆえに迷路で最短経路を導き出したり、キニーネ帯の横断で逡巡したりするのだと思う。
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【粘菌の知恵に、今こそヒトは学ぶべき!】単細胞生物と侮るなかれ。複雑な迷路を解く粘菌の賢さに学ぶべし。イグ・ノーベル賞受賞研究者が贈る、粘菌に学ぶ情報処理の極意。
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もっと違う題名付けてたらいい本なのに残念。粘菌について知りたかったから購入したのに、読み終わってみて結局粘菌が何なのかさっぱりわからないまま。題名に騙された感。
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発想とはシンプルこそ面白く深い,を地でいく.単細胞に原始的知性を追う点こそ鍵.こういうシンプルで深遠な発想を追い求めたいもの.
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ここのところ何か生物で割と珍しい分野のものを読んでいた。気持ちが疲れてくるときにはこういうのはよく効く。私にとっての何か大切なものがあるとよさそうと思う
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これからは粘菌を見習って自立分散型でいくべきだ、と後輩に力説してしまった。
組織のあり方にも当てはまると思った。
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副題「人類を救う」という部分は遊んでるのだろうけれど、中身は堂々とした科学読本であり、知的興奮に満ちている。粘菌の鉄道網設計や、粘菌のためらい、の章の面白さは突筆もの。イグ・ノーベル賞受賞の顛末は、他では読めない話でもあり、興味深く読んだ。
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新年最初におすすめする一冊は、単細胞生物である粘菌の知性に迫る
一冊、『粘菌』です。著者の中垣俊之氏は、粘菌の研究者で北大の教
授。粘菌の研究で「人々を笑わせ考えさせる研究」を讃えるイグ・ノ
ーベル賞を二回も受賞したという強者です。
森の中や落ち葉の下にいて、意外と身近な存在の粘菌は、実に不思議
な生き物で、昔から研究者達の心を捉えてきました。奇人で有名な南
方熊楠が、終生の研究対象としていたことでもよく知られています。
この粘菌に迷路を解かせてみると、ちゃんと最短経路で解いてしまう
ということを著者達は発見します。脳も神経細胞も持たない単細胞生
物の粘菌に、なぜそんな「知的」な振る舞いが可能なのか。
著者達の研究によれば、どうやら粘菌の「知性」は、富士山を三角形
と捉えるような大雑把な認識能力(「一次近似を粗くとる」)と、中
枢でコントロールしない「自律分散方式」に秘密があるようです。た
ったこれだけで、意外と早く迷路を解くような問題解決ができてしま
う。おまけに、この「知性」は、突然起こった環境変動に対しても自
在に適応できる「動的最適化」の能力も備えているのです。単細胞生
物にこれだけのことができるなんて驚きですが、逆に言えば、単純だ
からこそ、そこにはあらゆる生命に共通する「賢さの原型」のような
ものがあるとも言える。そういう原型的なものに触れることができる
のが、粘菌研究の面白さだということが本書を読むとよくわかります。
知性だけでなく、不安定性の中から秩序が立ち上がっていく仕組みな
ど、粘菌から教えられることはとても多いのです。そういう粘菌と四
半世紀以上付き合ってきた著者は、人はもっと粘菌に学ぶべきではな
いかという思いで、研究を続けていると言います。実際、「一次近似
を粗くとる」ような、大局をつかむ知性のあり方を保持するのは、プ
ロの研究者として実はとても大切なこと。ともすれば、自分の専門分
野になればなるほど、より細かい部分での間違いに気が行ってしまい、
前提にあるアイデアや現象そのものを否定したくなってしまうのです
が、それでは新しい見方やアイデアは生まれない。まずは一次近似の
レベルで、大きな方向性として意義が見出せれば、相槌を打つ。そう
いう肯定的な態度を保つことが、いかに知的に高度な技なのかを述べ
ているのですが、これは、研究者のみならず、人が生きていく上で、
とても大切な心構えですよね。
粘菌に関する記述より、こういう著者の述懐の部分のほうが、実は面
白く、ためになりました。特に、プロの研究者として生きていながら、
イグ・ノーベル賞のような、いわばキワモノ的な賞でしか自分達の研
究が評価されてこなかった悩みや惑いを率直に打ち明けつつ、それで
も学問をすることの意義や喜びを語る姿勢には打たれました。所詮、
人の評価なんて水物。世の風潮に捉われず、「100年後の科学者に
とっても意味のある仕事とは何だろう」と自問しながら、生きる。そ
ういう大局的な生き方をすることの大切さを本書は教えてくれます。
粘菌という単細胞生物の生き様を紹介しつつ、人の生き様や物の見方
にまで思いを馳せさせてくれる好著です。是非、読んでみてください。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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誰かの論文を読んで思わずうなることがあれば、それがたとえ10
0年前のものであっても、著者に共感を覚えずにいられません。そ
れならば、自分の論文を100年後の誰かが共感を持ってうなって
くれるかもしれません。そう考えると、力が湧いてきました。もは
や世の風潮に捉われる必要はない。逆に100年後の科学者にとっ
ても意味がある仕事とは何だろうと自問するようになったのです。
学問の面白さというのは、究極的には「人と共感する」ところにあ
るのではないかと思っています。
どんな学問にも、どこかで何か全く違うところにいた人と共感でき
る瞬間があるものです。そういう時に「あぁ生きていて良かった」
とか「一人じゃなかった」という感じがします。学問は、人間の孤
独を癒す慰めだというような気がするのです。
粘菌の例が示したように、「単純イコール浅慮」ではなく、「いけ
てる単純さ」もありえるのです。粘菌の単純な行動則は、見事な問
題解決法です。数億年にわたる進化の賜物といえましょう。この世
の生きとし生けるものの成り立ちについて、根源的な共通性を示唆
するかのようではありませんか。
粘菌は生物材料として世界中で使われていますから、粘菌のネット
ワークは誰もが見ていたものです。この皆がいつも見ているものに
対して、「粘菌はあちこちの餌場所をどれほど機能的につないでい
るか」という問いかけを提示しました。そうすることで、これまで
皆がただ漫然と見てきたものに、「意味」が生じました。新しい問
いかけが、ただそれだけのものを「意味あるもの」に変えました。
問いかけがあってはじめて答えを探す——。問と答えの順序は多く
の人がそう思いがちですが、必ずしもそうではありません。粘菌の
エサ経路に関しては、すでに答えは目の前にあって、実はそれが一
体どんな問いかけの答えなのかを見つけたのだといえます。つまり、
適切な「問」を発見したわけです。
一般に学ぶとは、「自分自身が今いる世界から外へ出る」ことだと
思われます。その本質とは自分の限界を超克することですから、自
ら進んで困難に立ち向かう強い気持ちが必要です。好奇心や冒険心
をはじめとして、不屈の闘志が、そして独善をしりぞける謙虚さ
(これを持てる人は本当にたくましい)も必要です。ですから学ぶ
という作業は、予想以上に消耗の激しいものです。心身ともに疲労
します。
しかし、その苦しさの後に訪れるであろう、「ああ、わかって楽し
い」とか、「世界観が広がって愉快だ」とか、「人間に対する理解
が深まってしばしコトバを失った」とか、そんな風に世の中の景色
が違って見えること、それが学ぶことのご褒美です。この時はじめ
て、自分が以前いた世界の外に出たことが、つまりもっと広い世界
の中に入れたことがわかります。こういう風に自分自身の足跡を喜
べる心のあり方、これが学びの駆動力ともなり、幸福感をもたらし
てくれます。これは「知的感受性」とでも呼ぶべきものと思います。
科学では、よく「観察」をします。観察することの本態とは、「何
かを見ること」ではなくて、「何を見たらよいか気づくこと」です。
観察対象のことを、自分はよく「わかっている」と思うと、どうも
よくありません。好奇心が低下してしまうのでしょう。新しいこと
に向かう脳活動が高まらなくなってしまうからかもしれません。
「不思議だなあ」、「なんだろうなあ」、「どういうことだろうな
あ」、という心のあり方が肝要です。そうしていると、脳は何かを
探し出してきて、私たちに教えてくれます。「気づく」とは、脳が
無意識のうちに見つけ出したことが意識に上がってくることです。
科学の最前線で踏み出される始めの一歩もこれと同じように、何や
ら見てくれは良くないし、常識はずれであったりすることが多いよ
うです。何もかもがきちんとしているわけではありませんから、や
すやすと批判されます。食い違う部分をあえて積極的に無視して、
大きい方向性を想定することができなければ、肯定的な意義付けは
できません。細部ばかり目がいくと、全体の方向性などというもの
はなかなか意識できません。必要に応じて物事を粗く見るというの
は、非常に高度な知的能力なのです。
相手の意見に異議を述べることはそれほど難しくありません。新し
いアイデアを表現しようとしているのなら、なおさらです。「それ
はちょっと違う」と思うことは大抵あります。しかし、常に一次近
似の粗さで捉えて、まずそのことに相槌を打ちたいものです。実は、
これがたいそう高度な技なのです。そういう相槌で話は弾みだしま
す。その了解の上でなら、二次近似のレベルで率直な議論をしても
大丈夫。一次近似のレベルで十分面白いとお互いに了解し合えてい
れば、その後の議論は安定します。
この世界の不思議について、科学は小声で語りかけてきます。何を
意味するのか、すぐには解せないことばで。
一般的に単純なルールに基づいて物事を時間発展させると、思いも
よらない複雑さや驚異的な秩序が現れることがあります。逆に、一
見摩訶不思議な挙動をとことん突き詰めていくと、すこぶる単純な
からくりに帰着することもまた知られています。
「宇宙万有は無尽なり。ただし人すでに心あり。心ある以上は心の
能うだけの楽しみを宇宙より取る。宇宙の幾分を化しておのれの心
の楽しみとす。これを智と称することかと思う」(南方熊楠)
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●[2]編集後記
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年末にインフルエンザにかかってしまい、寝込みました。40度の
熱が出て身体が動かず、もうただ寝るだけの日々。一体、どれだけ
眠るのだろうというくらい眠った年の瀬で、方々にご迷惑をかけて
はしまいましたが、心身を休める上では、良い時間となりました。
どうやら身体が動くようになってから、障子の張り替えをしました。
子どもがすぐに破いてしまうことを嫌った妻が、障子は全て取り去
っていたのですが、破れたら張り替えればいいじゃないかと思い直
し、今年は張り替えることにしたのです。恥ずかしながら、実家を
出て以来、障子を張り替えるのは初めてでした。
子どもの頃、母親が張り替えるのは見ていたんですよね。なので、
子ども時代の記憶を辿りつつ、わからない部分はネットに頼って、
張り替えに挑戦。なかなかピンと張れず、いまいちの仕上がりでし
たが、それでも、張り替えたばかりの障子を立てるのは、本当に気
持ちが良いものですね。紙一枚なのに、新鮮で気持ちの良い空間を
しつらえてしまう障子の力に、改めて感じ入りました。
で、障子を張り替えた翌日。小二の娘が、泣き叫んでいます。何事
かと思って問いただすと、「ゴメンなさい」と言うではないですか。
何がゴメンなのかと聞いてみると、障子を破いてしまったと教えて
くれました。掃除をしている時、ぶつけて破いてしまったようです。
あーぁと思いましたが、「ゴメンなさい」と娘が泣いていることの
ほうが嬉しかったです。障子の張り替えを手伝ってくれていたので、
またあの作業をやり直させるのだということに申し訳なさを感じた
のでしょう。物の背後にあるものを知ることが、物を大切にする気
持ちを育てるのですね。障子を張り直すのは手間ですが、手間の持
つ教育効果を考えると、手間を惜しんではいけないんだなと改めて
娘に教えられた気分です。
ちなみに、障子紙を買いにホームセンターに行って驚いたのは、プ
ラスチックの障子紙が売っていたことです。破けないのが売りのよ
うですが、こういうのは、どうなんでしょうねぇ。
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別に粘菌が人類を救うということではなく、中央集権的やり方一辺倒ではない、自律分散的(=粘菌的)やり方でも良いのではないか、という提言である。
粘菌の不思議さは、ある意味フラクタルなのかもしれないが、例えば成り行きで整備された首都圏や北海道の鉄道網が、粘菌に作らせた道管網と極めて似ているというように、単純な行動規則により人為的な成果が説明できてしまうことにある。
この本の後半は粘菌についてというよりは、著者が長年の研究活動を通じて体得した人生訓について語られていて、それが非常に興味深い。いわく、適切な問いをすること、ものごとを一時近似で的確に大づかみする、物事は(原理的に)コントロールできない、など。納得。
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単細胞。ひとつの細胞から出来ている生物のことだが、この言葉が
人間に向けられると「考えが単純なこと」と、いささかバカにしたよう
なニュアンスが含まれる。
これまで何度言われたことか。「なんでそう単細胞なんだ」って。ええ、
そうですよ。だって物事は単純に考えた方が楽じゃん。
さて、本書は単細胞である粘菌のお話である。2008年に「粘菌が
迷路などのパズルを解くことを証明した」として。そして、2010年に
は「粘菌で関東圏の交通網を構築した」として、2度もイグ・ノーベル
賞を受賞した著者。
冒頭のイグ・ノーベル賞授賞式の様子が楽しい。本家ノーベル賞の
パロディではあるが、本家の受賞者をはじめ多くの研究者が式典を
心底楽しんでいるのが伝わって来る。
本家の授賞式はよくニュースで流れるけれど、イグ・ノーベル賞の
授賞式の中継をしてくれないだろうか。見ているだけで楽しそうだ。
粘菌には脳も神経もない。ぐで~っとしている粘菌だけれど、迷路
いっぱいに広げてふたつの出口にエサを置いてみると、あらあら
不思議。
半日ほどでエサ場を繋ぐ最短経路だけに管を残して、ふたつのエサ場
を繋いじゃう。
これだけでも面白いのに、関東圏の鉄道網の構築なんて「粘菌って
鉄オタなのか」と思うくらい、現在の鉄道網そっくりのネットワークを
作り上げちゃう。
こういった実験・研究に論考が加えられているんだが、単細胞とは言え、
その能力は奥が深い。脳も神経細胞もない。でも、ネットワークは構築
する。エサ目当てだから本能なんだろうけれど、それは環境適応能力
が高いってことにならないかな。
粘菌の研究が進歩して、いつか人間に向かって発せられる「単細胞」と
言う言葉は、褒め言葉になる日が来るかも。
そうしたら自慢するんだ。これまで何度も「単細胞」って言われたよ~って。
あ…これだから「単細胞」って言わるのかも。
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粘菌といえばアメーバ、くらいしか思いつけないものの、そのネットワークの構築力が首都圏の鉄道網に類似していたり、近似をとる(=おおまかなあらすじ)ことの動物的な知的感受性が高いという点では粘菌も原始的で単純な生物だと侮ることができない。
イグ・ノベール賞の式典の内容をはじめとして、エッセイとしてとても読みやすい文章。
不安定なものから答えを得るには明確な問いが必要、などなど、興味深い論旨が多く、勉強になった。
粘菌研究といったら南方熊楠、名前が出てきたので今度はこの人の本でも読もうかと思う。
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イグノーベル賞を2度受賞した粘菌研究者による粘菌紹介の本。
ただし、本書では研究自体についての解説よりも筆者の研究哲学や、粘菌研究から感じたことについて語る部分が比率として多く、研究自体について詳しく知りたい場合は、同一筆者の「粘菌―その驚くべき知性」を参照する必要があります。しかし、研究の概要のみを簡潔に紹介しているため、要点のみでいい場合はこちらを読むことをおすすめします。
むしろ、本書はかなりのページを割いてイグノーベル賞を受賞した後の授賞式の裏話などが記されていて、イグノーベル賞自体に興味がある人には興味深い話が多いです。
【こんな人におすすめ】
イグノーベル賞に興味がある
粘菌について知りたい
研究者がどんな事を考えているのかのエッセイが読みたい