紙の本
明哲な知性が日本”思想”のいかがわしさを解明する
2006/02/28 19:35
16人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:hisao - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦後日本最高の知性とも言える丸山教授(1914年—1996年)の啓蒙書です。
講演録「思想のあり方について」から見ていきます。
あの有名な“ササラ型”と“タコツボ”型文化比較です。ササラとは今の人には解らないかも知れませんが、竹の先を細かくいくつかに割ったもの、手のひらのように元の所が共通していてそこから指先が分かれる、そう言う形です。タコツボ型は文字通り孤立したタコツボが並列している状態です。
日本に西洋近代文明が導入されたのが明治の開国期、西欧歴史の長い共通の文化伝統としての根っこがが切り捨てられて非常に個別化した専門化した形態で近代の学問が入って来ました。西欧の学問の根底にあって学問を支えている思想或いは文化から切り離され独立に分化し技術化された学問の枠の中にはじめから学者がすっぽりはまってしまったのです。その為に日本の近代社会構造が“タコツボ”型になりました。日本の社会がそれぞれに一定の仲間集団を形成し、その仲間集団が一つ一つの“タコツボ”になったのです。
それぞれの集団は組織の内と外が峻別され偏見の塊“クローズド・ソサエティ”を形成します。しかもその事で各集団は一種少数者意識を持つ事になり、被害者としての強迫観念に駆られるようになる。保守勢力・進歩主義者・自由主義者・民主社会主義者・コミュニストそれぞれが精神の奥底に少数者意識、被害者意識を持つという非常にいびつで奇妙な状態にりました。戦前はまだ“天皇制”という結び目でそれぞれの“タコツボ”が結ばれていましたが、戦後はそのタガもはずれてしまいました。
丸山先生の観点はただに組織の閉塞制を批判するのでなく、そのよってきたる所を“根っこにある思想性”の無さから捉えています。社会と社会を結ぶ共通言語がないのです。そこの所を本書の巻頭論文で先生は日本独自の“開国”の仕方=“思想の雑居性”として捉えています。
「明治の開国期に輸入された西欧思想も既存思想と対決する事もなく、その対決を通して伝統を自覚的に再生させる事もなく、ただ無秩序に新しい思想として埋積される事によって近代日本人の精神的雑居性をさらに甚だしくする事になる」
「異なったものを思想的に接合するロジックとしてしばしば流通したのは何々即何々あるいは何々一如と言う仏教哲学の俗流化した適用であった」
共通言語がないから“理屈を言わず黙って俺に付いてこい”=「無限抱擁」は絶対拒絶の半面です。”いかがわしい”のです
この様に物事の二面性を把握して切り込むのは先生の特徴です。
第2論文「近代日本の思想と文学」でプロ文学論争を対象に“実感信仰”の虚妄性を批判しながら逆に“理論信仰”の非生産性を論じておられます。今ひとつの講演録「“である”ことと“する”こと」では伝統主義、官僚的保身主義を“である”論理として批判する一方では現代社会に於ける場違いな効用と能率原理の恐るべき進展にも警鐘を鳴らしておられます。
戦時下軍国主義の横暴と闘い、戦後も又全共闘など極左の暴力に傷つきながらも決して妥協しなかった先生のお姿が思い起こされます。
さすが現代では学際的学問も盛んになり、経済界でもかって無かったビジネスが生まれています。但しその現象も根っことなる“思想”を持たない社会では、逆に単なる高度専門化の現れかも知れません。横溢するセクショナリズムと保身のための組織擁護の精神は、いくら“改革”だなんだと言っても相も変わらず健在です。良い例が“規制緩和”“経済改革”の象徴であった“ホリエモン”の“理念”はただ“自分のライブドアを世界一大きな組織にする”に過ぎなかったのです。官僚的資本主義への反攻と現代もてはやされている“投機的資本主義”に活路は有るのでしょうか。
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第4章の「である」ことと「する」ことを学校の教科書で読んで以来、
この人がちょっぴり好きになりました。
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「BOOK」データベースより
現代日本の思想が当面する問題は何か。その日本的特質はどこにあり、何に由来するものなのか。日本人の内面生活における思想の入りこみかた、それらの相互関係を構造的な視角から追究していくことによって、新しい時代の思想を創造するために、いかなる方法意識が必要であるかを問う。日本の思想のありかたを浮き彫りにした文明論的考察。
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とりあえず、正典。その問題意識とモデル構築のすばらしさもさることながら、出版され50年くらいたった今もなお同じ問題の構造が指摘できるのは悩ましい。
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「転向」に関する記述は予備知識がないためピンとこなかった。勉強が必要。後半の講演をおこしたものは分かりやすい。名著といわれるだけある。
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「『である』ことと『する』こと」を読みたくて買った。本書の中の「日々、自由であろうとすることによって、はじめて自由でありうる」という「永久革命」が彼の思想の根幹にあるのだろう。
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買った本。難解だが2度目読み始めたら少しずつ頭に入ってきた。日本人の考え方についての指摘は、今読んでもまったく古くない。思想の雑居性や、学問の各分野のたこ壷化など。
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やべえそろそろ読む気なくしてるなあ。3,4章から読んだけど、ここは一言で言えるようなことしか書いてないから一瞬で読めるのに、1章に戻って読んだら何が言いたいのかがよく分からない。書かれていることは理解できるのに、入っていけなくない。そのまま放置してもうかなり経つ。ということで一旦打ち止め。読み終えたら感想を更新する。
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言わずと知れた丸山真男の日本の思想。
私の出身大学には、丸山真男文庫なるものがありました。寄贈してくださったんでしょうね。学生時代はほとんどお世話にならなかったけど…。
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1月?
文系大学生が読むべき本といわれる本の第一弾。まず、私のおすすめの読む順番として、?→?→?→?だ。丸山真男は恥ずかしながら初めてであった。最近書店で、丸山真男に関する書物を目にする。
[内容]?日本の思想:本章は、日本の思想の流れ、特徴そして、近代天皇制に求められた役割、マルクス主義のあたえた影響という構成である。日本人の『精神的雑居性』に対処しようとしたのが、近代天皇制を権力の核心とすることと同時に、精神的な『機軸』にしようとしたことであるという。そしてそのことはどのような状況をもたらしたかがつづられていく。?近代日本の思想と文学:この章は、『文学と政治の馳せかけくらべの意味転換』と『文学に対する「論理的構造を持った思想の」切込み』という二軸で内容が構成されている。まず、前者に関する言及として、明治末年ごろは、『政治と文学』というものは、『ほとんど接触のない場でそれぞれのコースを走ってい』たという。しかし、このような状況を一変させるのは、第一次世界大戦後の労働運動・社会運動の勃興、マルクス主義であったという。その結果、政治の走路が文学に寄り添ってきて、これに対応するように文学ではプロレタリア文学の流れが勃興してくる。また、マルクス主義が文学へ与えた影響を小林秀雄の批評を引用しつつ説明を加える。そしてこの2つの軸からなる台風はどのような影響をもたらしたのか説明がなされている。?思想のあり方について:我々が作るイメージというものは人間が自分の環境に対して適応するために作る潤滑油の一種であり、そのことは社会が複雑する中においては、現実と環境の間に介在するイメージを厚くし、潤滑油のはずがそれらが固定化し厚い壁になってしまうと指摘する。その延長で『ササラ型』と『タコツボ型』の有名な議論がなされる。?『である』ことと『する』こと:本章では、生産力は高まり、社会関係が複雑になるに従い、『である』論理から『する』論理への推移ということに注目して進めている。『である』論理とは、徳川時代を例に上げ、この時代は、何をするかということよりも、何であるかということが価値判断の重要な基準になっていた。大名は、身分的な属性ゆえに当然に支配するという建前になっている。そして、日本が『する』価値への転換が進む中で、筆者が指摘していたのは、近代の『宿命的な』混乱である。すなわち、『する』価値が猛烈に浸透する中で、他方では、強靭に『である』の価値が根をはり、そのうえ、『する』原理を建前とする組織が、しばしば『である』社会のモラルによって、セメント化されてきたところにあるという。そして、この矛盾乃至、倒錯が政治などに与えた影響、そしてどうすればいいかそれに関する筆者の考えが述べられている。[感想]かなり私にとっては、難解だった。自分自身の無知を自覚させられた。?、?の内容に関してはある程度の理解ができたが、前半の?、?に関しては、内容の要約を考えるのも大変であった。内容が筆者の意図しない方向でまとまってしまっていたらそれは、私の無知ゆえによるものである。
しかし、読んでいて特別古いという印象を受けなかったのは本書のすごいところではないだろうかと僭越ながら考えてしま���た。本書の初版は1961年であり、今から46年前である。その間多くの社会システムが変化し、人々の考え方にも変化が生じてきているはずである。だが、読む中で、『タコツボ』化の指摘など、現在でも通じると感じる面が多々あり、驚きであった。改めて、読む続けられていく本には理由があるのだろうと感じ、そういった本を1冊でも多く読みたいと感じた。
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前半は難しくて、よく分からなかった。後半は講義形式で分かりやすく、教科書にも取り上げられているほどだ。古い本だが、内容は古くなっていない。名著と言われる所以だろう。
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日本の戦後民主主義的思想を支えた人物である丸山眞男の代表作
理論の美しさに感動。
いままで読んだ本の中で、一番ショッキングだった本。
かつては、この本が『大学生の読むべき本』とされていた時代もあったらしいです。
この本の書評を書ける、知性と教養と論理的思考力を身に付けたいです。
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一二章と三四章のギャップがすごかった。前半はさっぱりわからなかったけど、後半はわかりやすくて面白かった。なるほどなあと納得できるところもたくさんあった。こんなにわかりやすくかけるなら前半も柔らかく書いてくれよーと思いましたが、書き分けられるのはすごいと感心しました。
四章の「であることとすること」が、どっかで聞いた事あるよなーって思っていたら、読み覚えのある文章でした。なんだっけと考えたら、現国でやったんだな。教科書にも出て来るとはこの人やっぱりすごいんだー。と納得。
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前半はマルクス主義や文学と日本の思想に関するもの、
後半は講演調の文体で日本の文化をササラ型・タコツボ型という観点、
更に「である」こと・「する」こと、という観点から分析する。
前半が特に難しかった。
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西欧におけるキリスト教のような思想的機軸を持たず、常に抵抗なく思想の雑居状態を受け入れ、思想を伝統として蓄積してこなかった日本人。明治憲法下、統治のための思想の機軸として「国体」を据えてみたものの、当時の支配層はその中身の明文化を避け続けたまま敗戦を迎えてしまう。
この国の伝統なき思想状況を明らかにし、さぁ、我々はこれから何を選び取って行きましょうか?と投げかけた50年前の名著。
・・・それがそのまま21世紀の我々の社会の分析として生き続けてしまっている皮肉。いまだに我々は、この本から歩みを始めないと、どこにも進めないのかも。必読。