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はしがき
Ⅰ歴史家と事実
Ⅱ社会と個人
Ⅲ歴史と科学と道徳
Ⅳ歴史における因果関係
Ⅴ進歩としての歴史
Ⅵ広がる地平線
原注
(目次より)
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難しい内容だけど、読みやすい。ただ、事例が古いから、感情移入はあまりできない。
いまの自分には、この本を読み解く教養はまだないな。悲しいけど。
それにしても、会計やファイナンス、社会保障にしろ、日本は思想そのものまで輸入しないなと、感じた。
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内容(「BOOK」データベースより)
歴史とは現在と過去との対話である。現在に生きる私たちは、過去を主体的にとらえることなしに未来への展望をたてることはできない。複雑な諸要素がからみ合って動いていく現代では、過去を見る新しい眼が切実に求められている。歴史的事実とは、法則とは、個人の役割は、など歴史における主要な問題について明快に論じる。
目次
1 歴史家と事実
2 社会と個人
3 歴史と科学と道徳
4 歴史における因果関係
5 進歩としての歴史
6 広がる地平線
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『歴史とは何か』のストーリーの中で“難解”と感じたのは問題提起に対して必ずしも答えを提示しているとはいえない箇所があることではないかと思います。
本書は1892年生まれのE.H.カー氏が、1961年1~3月にケンブリッジ大学で行った連続講演を中心に、BBC第3放送での講演を加えて発刊されたものです。
当時の歴史学のトレンドへのカー自身の考察を基調としながら...
【開催案内や作品のあらすじ等はこちら↓】
http://www.prosecute.jp/keikan/047.htm
【読後の感想や読書会当日の様子などはこちら↓】
http://prosecute.way-nifty.com/blog/2009/03/eh47-855a.html
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[ 内容 ]
歴史とは現在と過去との対話である。
現在に生きる私たちは、過去を主体的にとらえることなしに未来への展望をたてることはできない。
複雑な諸要素がからみ合って動いていく現代では、過去を見る新しい眼が切実に求められている。
歴史的事実とは、法則とは、個人の役割は、など歴史における主要な問題について明快に論じる。
[ 目次 ]
1 歴史家と事実
2 社会と個人
3 歴史と科学と道徳
4 歴史における因果関係
5 進歩としての歴史
6 広がる地平線
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ものの見方とそのもの自体、学ぶにはその両面が必要だ。自覚的であること、騙されないこと。真実を知り得ない歴史に対してはそういう視点が必要。進歩という言葉には違和感。読みたくなった本 ダーウィン・種の起源 マルコポーロ・東方見聞録 失敗の本質
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読むことは、書くことによって導かれ、方向を与えられ、豊かにされます。書けば書くほど、私は自分が求めているものを一層よく知るようになり、自分が見出したものの意味や重要性を一層よく理解するようになります。p37
➡︎インプットはアウトプットがあって、はじめてインプットになる。
http://ryohsblogtakk.blogspot.jp/2014/04/2.html
〈Ⅰ. 歴史家と事実〉
歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。p40
マルクス「歴史は、何も行わず、莫大な富も所有せず、戦闘もしない。すべてを行うもの、所有するもの、戦うもの、それは人間、現実の生きた人間である」p68-69
トルストイ「人間は意識的には自分のために生きながら、人類の歴史的な普遍的な目的を達成するための無意識の道具になっている」『戦争と平和』p71
【歴史の二重機能】
歴史というのは、この言葉の二つの意味で―すなわち、歴史家が行う研究という意味でも、歴史家が研究する過去の事実という意味でも―一つの社会過程でありまして、個人は社会的存在としてこの過程に入り込んでいるのであります。社会と個人との架空の対立は、私たちの思考を混乱させるための陥穽に過ぎません。歴史家とその事実の間の相互作用という相互的過程―これは前に現在と過去との対話と呼んだものですが―は抽象的な孤立した個人と個人との間の対話ではなく、今日の社会と昨日の社会との間の対話なのです。ブルクハルトの言葉を借りますと、「歴史とは、ある時代が他の時代のうちで注目に値すると考えたものの記録」であります。過去は、現在の光に照らして初めて私たちに理解出来るのでありますし、過去の光に照らして初めて私たちは現在をよく理解することが出来るのであります。人間に過去の社会を理解させ、現在の社会に対する人間の支配力を増大させるのは、こうした歴史の二重機能にほかなりません。p77-78
歴史家は事実と解釈との間、事実と価値との間に立たされているものです。彼はそれを切り離すことが出来ません。静止した世界なら、みなさんは、事実と価値との分離を宣言する義務があるかも知れません。しかし、静止した世界では、歴史というのは無意味なものです。歴史はその本質において変化であり、運動でありー古風な言葉に御反対ならー進歩であります。p197
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かの有名なE.H.カーの著作。いつか読みたいと思っていたが、とうとう読み終えた。歴史とは何か、というより歴史家とは、歴史学とはどういうものなのかを考えさせられた。近年、実学重視の風潮があるが、このような人文的教養は、歴史学を専攻する人だけでなく、およそ人間社会に関する学を志す人に不可欠だと思う。
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歴史に興味を持っていた小学生であった私が、子供の小遣いでも買えるほどに安価であることから買ってしまった一冊。いや、実は大変なバイブル。一応は読んだけれどチンプンカンプン。なんとなく5年周期で読み返し、史学科を卒業してしばらくたってからようやく実感が湧いてきました。
ブログ
http://r24eaonh.blog35.fc2.com/blog-entry-499.html
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あるメルマガで、「歴史を考える人であれば例外なく読んでいる古典」と紹介されていたのが気になり購入。
「歴史とは現在と過去の対話だ」という著者の「歴史」というものに対する思想、哲学が、全体を通して展開されています。
久しぶりに難解な思考の文章に触れて、正直自分がどれくらい理解できたかは疑問もありますが、「歴史的な事実とされるものは歴史家の主観で採用されたもので、『客観的な歴史的事実』というものは存在しない。歴史とは解釈のことで、まずその記録を残した歴史家を研究しないといけない」ということと理解しました。
普段、疑問に感じてない何気ないことも、掘り下げて考えてみると奥が深いもので、必ずその道の思想や哲学が存在するんだなぁと改めて感じさせられた次第です。
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「歴史哲学」について触れたのは初めてで、目から鱗がぼろぼろ。内容が濃すぎて、読み落としだらけ・・もったいない。すぐにでも再読したいくらい。しっかし、どうやったらこんなに博学になれるんだろう。
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初めて手に取ったのは、大学生時代(1990年代)での最初の概論でのテキストにて、
確か、1961年のカー氏の、ケンブリッジ大学での講演録を基調にしていて、
日本での初版が1962年ですから、訳語としての言い回しはやや古めで、
正直とっつきにくい部分もありますが、内容としてはよくまとまっているかと。
- 歴史家の機能は、(中略)現在を理解する鍵として過去を征服し理解すること
その上で、、
- 歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、
現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話
との点は、私にとって非常に肚落ちのする内容で、今でも(2020年代)、
各種の物事に対しての考え方とか、立ち位置への基礎になっていると思います。
自分なりに解釈すると、歴史とは、一つの「事実」と、その「事実」に対する解析や、
議論の積み重ねの結果としての、様々な「真実」の集合体、であって、
その事実とは人の行為の積み重ねで、真実とはその行為への、
「真の動機(原因)」に直結するもので、多様性が前提となる、くらいでしょうか。
そういった意味では、とある寄稿のなかで塩野七生さんが述べられていた、、
- 歴史とは学ぶだけの対象ではない。知識を得るだけならば、歴史をあつかった書物を読めば済みます。
そうではなくて歴史には、現代社会で直面する諸問題に判断を下す指針があるのです。
なんてことも思い出しながら、、「知識」を集約しただけでは生きていく上ではさして役に立たない、
「生きた学問」として活用していくためには、今現在への「社会的有用性」の模索も必要、なんて風にも。
そしてこれは何も「歴史学」に限った話ではなく、
科学するを前提とする学問すべてに求められていくのかな、とも思います。
そう思うと「歴史的な事実(事象)を今の価値観で裁断する」のには懐疑的で、
- 今日、カール大帝やナポレオンの罪を糾弾したら、
誰かがどんな利益を受けるというのでしょうか
との感覚も非常に納得できます、、法治でいう「法の不遡及」とも通じるかと、、
日本であれば織田信長による比叡山焼き討ちとかが、一例になりますかね。
(個人的には、信長時代の価値観でいえば、焼き討ちも妥当、と思っています)。
なんてことを、ここ最近のANTIFA(アンティファ)なる無政府主義のテロ集団が、
銅像破壊、言論統制などで過去の歴史を“無かったこと”にしようとしてるな、と見ながら、
これは「人の営みとしての歴史に対する冒とくであり、挑戦である」と、怒りを禁じえません。
たびたびに、歴史学とは私にとっての基礎学問だなと、
そんなことを思い出させてくれる一冊です。
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何らかの形で歴史に触れる者なら必読の書。
そもそも俗に言う歴史とは何なのか、歴史研究の歴史、研究の方法、歴史のあるべき姿について様々な論客の意見を引用しながら筆者の考えを述べている。
内容はやや難しいが、平易な文体で書かれており読みやすい。
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政治学者であり歴史学者であるE.Hカー教授の"歴史とは何か"や"歴史家の仕事は何か"というような問いに対して答えた形の講演を収録した本。歴史哲学の書として欠かせぬ一冊であり、「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」という一節で有名である。
歴史といえば単なる過去のことで、歴史家は歴史的事実を単に蒐集して示すことが仕事と言う人がいる。しかし、単に"本当の事実"を集めて示すだけが歴史家の仕事なら、彼は自分で考える面倒から逃げ、物事の本質から遠ざかっていることになる。思考停止とはまさにこのこと。
歴史の教科書は、歴史的事実の中から歴史家が重要だと認めたことだけをピックアップすることで作られます。そこで、歴史家の仕事の一つは、"選ぶ"ことであると言えます。それも現在を理解する鍵として過去を克服するために。過去に対する歴史家のヴィジョンが現在の諸問題に対する洞察に照らされてこそ、偉大な歴史は書かれます。"現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話"とはまさにこのこと。
また、歴史というものは"偉人の伝記"であると言う人がいる。これを間違いと断定しがたいが、このように考えると「心持ち次第で世界は何とでもなる」という心理主義に陥り、社会的、環境的要因を排除しがちになる。
一般人ならまだしも、個人であると同時に社会のスポークスマンである歴史家には、偉人の精神面だけでなく、その時代の社会的、環境的要因も考慮する必要がある。偉人は偉大な個人であり、一個の社会的現象である。
歴史の研究は過去の諸事件の原因結果の連鎖を研究することである。だから歴史家は、手の届く限りの過去の経験から、合理的な説明や解釈の手の終えると認めた部分を取り出し、そこから行為の指針として役立つような結論を導き出す。ここでは"なぜ"だけでなく"どこへ"(人間社会はどこに向かっているのか)ということが問題である。
後半の歴史とは、「獲得された技術が世代から世代へと伝達されて行くことを通じての進歩」であり、「理性を働かせて、環境を理解しようとし、環境に働きかけようとした長い間の奮闘」であるという言葉には感銘を受けた。こうした営み=歴史は人類が亡びるまで続くこと間違いなしであることを確認する思いである。
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学校の課題関連で。
非常に興味深い内容。訳も読みやすく。
個人と社会は相互に影響を与えあっている。歴史家もまた同様。歴史は意図的な記述になりうるし、それに社会的な影響も加わりうる。しかし歴史は学問としても歴史を持つ。故に社会科学的な科学性を求めるべき。とこんな感じのことを読み取った。
当たり前と言えば当たり前。だけどそれをキレイにまとめてある点に価値を感じる。古典を読むときに、書かれた当時の状況を考えるという視座を貰った。