紙の本
メタフィクションに隠れた糸
2018/05/22 22:08
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:病身の孤独な読者 - この投稿者のレビュー一覧を見る
円城塔の代表作であるが、「円城塔」と聞くと小説好きの人も避ける傾向がある。みんな声をそろえて言うのが、「円城塔の小説は意味不明でわからない」という意見である。確かに、円城氏の小説は難解である。メタフィクションを駆使し、他の作品でも数学的思考を小説に取り入れるなど、先駆的であるが非常に理解しにくいところはる。しかし、円城氏の小説には、やはり一本の糸があり物語は一見わけが分からないようにみえるが、小説として成立している。本書は、まさに「蝶」がキーとなる言葉であり、物語をつなぐ一本の張りつめた糸である。メタフィクション自体が抽象性が高く、難しいものが多い。それゆえ、メタフィクションの中には駄作があまりにも多いが、本書はその部類ではないことだけは言える。
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芥川賞をみなおした
2019/05/08 21:30
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投稿者:かんけつ - この投稿者のレビュー一覧を見る
よく受賞させたなと。二編目のA’=f(A),A”=gf(A)なのでA=g(A)が成り立つという彼女の説明がりかいできない。そんな感じ理解していないながらも読めるのがこの作品、円城塔のおもしろさ。
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第146回芥川賞受賞作品
2018/05/01 05:29
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
世界的な実業家と無名な小説家の、奇妙な関係性に惹き込まれていきます。随所に散りばめられている詩的な言葉や、古今東西の名著に関する造詣の深さに驚かされました。
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芥川賞受賞作。表題作の他、1篇を収録。
円城塔というと言語実験的な手法を多用しているイメージがあったが、この本では『語る』方によりウエイトを置いたような印象がある。
鴻巣友季子の解説も良かった。特に同時収録の『松ノ枝の記』については頷けることが多い。
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文庫化されたので再読。
表題作は氏の作品としてはかなりわかりやすい構成で読みやすいように思う。入れ子がぐるぐる回っているところに、ひらひらと蝶が舞う。やはり三章の手芸や料理に例えられたやわらかい表現が好き。
「松ノ枝の記」は以前読んだ時よりしっくりきたように思えた。あと三回くらい読めばもっと馴染んで理解が進むかも知れない。折を見て再読したい。
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私の読書力では完全には読み切れなかった感じがします。186ページしかない文庫としても薄い本なのに、何か特殊な技法で文章が無理矢理詰め込まれてるんじゃないかと思えるくらい、内容が濃いです。
何気なく読んでいると、物語としては当たり前の「わたし」という人称が心許なくなっていきます。ともすると煙に巻かれている感じすらありますが、うっかりすると現在位置すら見失う、そんな感じがあります。
この本は、いつかじっくりと再挑戦したいです。
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多層的な(あるいは円環する)物語。「道化師の蝶」も「松ノ枝の記」も一筋縄ではいかない構造をもっているがどちらも最高に刺激的でした。またこの二篇が一冊にまとめられていることもなんだか感ずるところはあります。かんぺきな一冊だと思います。面白かった。
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わからない、けれど心地よい。
→http://ameblo.jp/sunnyday-tomorrow/entry-11977947322.html
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文庫化を待ってました。芥川賞受賞の時は難解そうだとスルーしていたが、円城作品にある程度慣れた今ではとても面白く読めた。表題作より「松ノ枝の記」の方が好みかも。中編小説なのにSF大作を読んだかのような余韻が残った。
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祝文庫化!
久しぶりに美しくて、知的で、楽しい読書の時間を持てたと思った。
こちらに納められているものは中編が2つ。『道化師の蝶』と『松ノ枝の記』どちらも書くという行為の意味を問いかける内容だ。特に『松ノ枝の記』はある小説を翻訳してみるという行為から始まる物語の冒頭が秀逸である。
小説を読む為に語学を学んでいる私にはとても面白い展開であったし、物語が段々と入り組んでいく模様が読んでいてわくわくした。物語は物語をかたり、新たな物語を作り上げる。
まさに彼はこれからの日本文学を背負う人物になるであろうと私は思う。
蛇足ではあるが、どうも彼が芥川賞を受賞した時は同時受賞の田中氏の貰ってやる宣言ばかりが取りざたされて、作品そのものへ目が行っていなかったようで(苦笑)
昨今のこうして出版界のイベント化傾向は本を売るための戦略ではあるのだろうが、本を愛する読書家としてはとても不愉快なものだ。
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何を言ってるのかよく分からないのに文字を追うのが気持ちいいのは、
やっぱり言葉の一つ一つを、音の一つ一つを慎重に選び取っているからなのだろう。
それでいてそういう過程を少しも感じさせず、むしろ
自らが自動筆記プログラムそのものであるかのように振る舞って見せているあたりが、人間業とは思えない。
いや、もしかしたら本当に、そういうプログラムなのかも。
もう、その人が実際に小説を書いているところを見なければ、
「円城塔」という人間の存在すら僕は信じられない。
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無活用ラテン語(ラティーノ・シネ・フレクシオーネ)で書かれた小説『猫の下で読むに限る』で道化師と名指された実業家のエイブラムス氏。その作者である友幸友幸は、エイブラムス氏の潤沢な資金と人員を投入した追跡をよそに転居を繰り返し、現地の言葉で書かれた原稿を残してゆく。幾重にも織り上げられた言語をめぐる物語。〈芥川賞受賞作〉
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受賞を機に読んでみる。
読んでいて響きが美しいと感じるのに、
驚くほど自分の中に理解を構築していけない。
言葉を楽しむラップを理系感覚で文学に詰め込んだ漢字と言いましょうか?
理解するのでなく、言葉を味わう感覚で読む一冊なのかな?
読書会ならず、鑑賞会を開いてみたいと感じる一冊。
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翻訳。
日本語の文章なのに意味がわからない。
それでも癖になる言葉選びのセンス。
自動文章生成機感。
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小さなムラを形成していく時代に逆行するのかなぁと考えさせられた。距離ではなく、興味というくくりで。
何か特定のことをしてる時にだけ分かる本て、特定の興味を持つ人間にしかわからないという風に解釈したからだ。
それを解釈しようとする行為は、日本語で書かれていても異文化交流のような気持ちだ。
あと、オブザベースボールを以前読んだけど、円城さんが万人受けしないような書き方をするのがこの本を通じてわかった気がする。