紙の本
「赤川次郎」の一面
2017/04/17 03:01
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投稿者:安堵 玲 - この投稿者のレビュー一覧を見る
学生時代によく読んだ「赤川次郎」をひさしぶりに読んだ。三毛猫ホームズ氏は こんなことを考えていたんだ。ニッポンをかんがえているひとに是非読んでいただきたい。ナニもかんがえられないひとは、本書はとばして ただ「赤川次郎」ファンでいていただければよい。「赤川次郎」って、読みやすくて。おもしろいですもんね。
紙の本
赤川次郎さんの社会評論
2023/05/16 13:31
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
2012~2014年の「図書」への連載をまとめたものに、信州での講演録もついている。
新聞コラムや投書で政治的な問題を避けずに騙る筆者の姿に感銘を受け、読んだ。
どれも至極まっとうなことが書かれている。しかし、これも(こうした思い切った発言)ベストセラー作家だからこそできることなのかもしれない。
文化的造詣の深さにも触れられる。
若き日に読んだ、ライトなミステリーの印象とは違う作家の顔を知ることができる。
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軽くないエッセイ集
2016/01/21 21:22
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投稿者:あつこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
しばらく積んであったのを一気読み。小学校高学年のころから読み慣れた字面なのでするすると読めるが、内容は軽くない。難しくはなく、平易な文体を痛快に読んですっきりしたはずなのに、将来に対する漠然とした不安のようなものが、読む前よりも重たく積みあがったように感じる。
アイドルグループの人気投票を社会面で大真面目に取り上げる時代である、には時節柄、ニヤリとさせられた。
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「図書」でも読んでいる。
この時期は、橋下さんと安倍さん、震災と保護条例などに特化されている。
ごく一般的な一般人であることがわかる。
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赤川次郎を「発見」したのは、2014年「図書」四月号だった。ここに書かれている安倍政権や石原や橋下への本質的な批判にビックリした。私はずっと赤川次郎が嫌いだった。本屋にずらっと氏の著作が並び始めたのは、「セーラ服と機関銃」が大ヒットした頃だから、大学生の私は、もはやジュブナイル作品には目を向けなくなっていた頃で「読まず嫌い」をしていたのだ。軽めの著作で読むべき本を駆逐しているとさえ、思っていた。
感動することを知らずに育つことは恐ろしい。ヘイトスピーチのデモなどに熱狂する人々を見ていると、「興奮」を「感動」と取り違えているとしか思えない。周囲と互いに興奮をあおり立てることは、自己の内面に湧き出す感動とは全く別のものだ。かつてナチスドイツはユダヤ人作家の本を焼き捨てた。「アンネの日記」の裂かれたページから、「反政府的な本を焼く」ことまでは、ほんのわずかな距離でしかない。(130P)
それでも、まだこの時までは偶然書かれたエッセイかもしれないと思っていた。「図書」の定期購読を真剣に考え始めて、それが実現したのはなんとこの連載が終わる一号前だった。氏は毎号、作家らしいユーモアとペーソスを交えて、「社会」を批判していたと気がついたのは昨年の10月である。
30回の連載を一括掲載したこの本が早くも出たことは嬉しかった。改めて赤川次郎を誤解していたことを驚きをもって確認した。
紹介したい文はいくらでもあるが、一部のみ。
(民主党の惨敗が目に見えていたのに解散総選挙をした野田政権について)私がポリティカルフィクションを書くなら、野田首相は経団連から「民主党を潰せ」と、密命を受けていたという話にする。(43p)
(また、この時期の北朝鮮のロケット打ち上げについても)これも私がフィクションで書くなら、不審船もロケットも、実は密かに日本の保守勢力が北朝鮮に依頼しての「やらせ」で、当然多額の謝礼が先方の幹部の海外口座へ振り込まれる。そのやりとりのメールを誤って受信してしまった男が、日本と北朝鮮双方の秘密機関から命を狙われて、というお話はどうだろう?(46p)
(いやいやながらも講演を引き受けてしまうのだが)ただ、若い人々に話をするとき、私はたいていこういうたとえ話で話を結んだ。
生きていくということは、砂漠の真中に1人放り出されるようなものだ。いつか目指す場所に向かうためには、目印になる高い星を常に見失わないこと。そしてもう一つは日々、命をつなぐための「水」を見付けることだ。その二つのどちらが欠けてもいけない。
目的地に向かってただ真っ直ぐに歩けば、途中、渇きで倒れてしまう。たとえ脇道にそれ、道草をしても、一日一日を活き活きと送るための「水」が必要だ。しかし、それだけたとえ遠回りをしても、目的地がどこかを忘れてはいけない。
高みの星は「見果てぬ夢」、理想であり、日々の「水」は人を愛したり、何かに打ち込む喜びである‥‥。(75p)
赤川次郎の作品を何か読もうとして、この前「鼠小僧シリーズ」の第一巻を買ってみた。作者は「なぜ鼠小僧なのか」に答えてこう言っている。
もとより���鼠小僧」は反体制の闘士ではない。しかし、「権力に守られていない」主人公であることで、見えてくる庶民の辛さ、下級武士の哀しさがあるだろう。およそ「時代考証」には無頓着な作者だが、「抵抗する者」の思いを、主人公にはこめたつもりである。TVがどう描くはわからないけれど。
この視点に、私は共感する。
この前氏は映画「セーラ服と機関銃」新作の発表記者会見で元気に登場していた。連載終了は健康の問題ではなさそうだ。ならば、ぜひ再開して欲しい。今こそ言わねばならないことが、ごまんとあるはずだからである。
2015年6月26日読了
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エッセーなのでちょっとうだうだしてた。音楽について知識をひけらかしてるかと思ったら思いがけず(音楽の楽しみは難しい顔してあら探しをする事ではない)というくだり良かった
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随筆形式での現代評論
作者の作品の熱心なファンではないが
その偏狭さにはげんなりせざるを得ない
想像力がないといって批判するが自分こそ想像力がない
なぜ自身のいいかげんで聞きかじりで調査もろくにしていない思い込みを
絶対の社会的正義でいつの時代にもどこの世の中でも通じる常識と思い込めるのか
他の人のことなる意見にいくばくかの正義がないと想像してみることができないのか
現代政治のたいていを不快に感じてそれを衒わず表現するのはけっこうなことだが
自身の正義に適わないから気に入らないといっているだけで
なぜそうなるのかは政治が悪いからで
どうしたらよいかは政治の責任で
自分で想像してみようとはしない
そんなだから作家は作品だけ作っていろといわれるのではないか
情けない
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全部が全部共感できるわけではないが、作家でちゃんと政治に物申せる人がいることは救いだと思った。それも「社会派」の作家ではなく、赤川さんということが心強い。面白い作品はきちんと届けつつ、でも言わなきゃいけないことは言うという姿勢。