紙の本
ファンはぜひ。
2015/07/17 00:39
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投稿者:オオバロニア - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本は帯文にもあるように、伊藤計劃が作家になる前に書いた文章を集めた記録です。「虐殺器官」や「ハーモニー」を読んだ方は、伊藤さんの普通っぷりに驚くと思います。この中の文章はあまりにも普通の映画フリークのコメント集でした。もちろんエンタメSF作品を書く上で、豊富な映画の知識は必要だったかもしれませんが、やはり病気と向き合ってきたことが作品の重厚感と世界観を生み出していたのかな、と考えさせられました。
もちろん、これを読んで何を思うかは人それぞれだと思いますが。
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生前に書き続けられていたblog『伊藤計劃:第弐位相』と、ゲーム『メタルギアソリッド』についての論考3本を収録。
『作家以前』と副題が添えられた本書では、2001年〜2005年のものが収録されている。
映画の話題が大半を占めているが、それ以外のものも多い。まぁ、詳しいレビューは下巻と纏めて……しかし多忙につきさらっと流すことになるかも。ううむ。
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メタルギアに関する考察の短文と、ブログをまとめた散文集。
自分が大変な病気にかかっているのを、ここまで客観視してブログに書けるというのが、もう尊敬してしまう。
映画については、B 級が割合多く取り上げられているけれど、趣味は合いそう。(^^;
結構、レンタルとかで見た作品が多く、思い出して愉しめましたし、紹介されていて観ていないものについては、かなり観てみたくなりました。
あと、メタルギアの考察にポリスノーツも出てきているんだけれど、そっちもやってみようかなって気になりましたね。
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今年はようやく伊藤計劃の「虐殺機関」と「ハーモニー」のアニメ映画が発表される予定であり、リリースに向けた様々な動きが見られているが、ふと思い立って彼の生前のブログをまとめた本作を手に取ってみた。
本作は、彼が「虐殺機関」で衝撃的なデビューを飾る前に書かれていたブログがまとめられており、特に彼が愛する映画の話や、読了した本についての話が多い。幾つかは明らかに「虐殺機関」に影響を与えたであろうネタも含まれており、そこを読み解くのも面白い。
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自分を取り巻く状況を稚気を持って観察する姿勢と,世の作品群を観察する冷徹さとのギャップに萌える.紹介する作品が分からないと,読んでいてもちんぷんかんぷんだが,一筋思想的骨子が通っていて揺らがない姿勢も冷徹さに一役買っている.勿体ない方を亡くしてしまったと改めて感じる.
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【内容】
筆者による文章のうちフィクションでないものを2001-2005年で抜粋その1。
3点の記事以外は全て下記URL(a)筆者の現存するブログからの抜粋です。
また、本書の約8割がブログからの抜粋に当たります。
【類別】
随筆、日記、映画評論の要素。
【着目】
扱われている話題は主に(1)罹患している癌及び医療との関わり(2)当時公開されている映画(3)趣味嗜好です。
本書は筆者の人となりやそのSF的発想を知りたい人にお薦めしたい著書ですが、先に述べた通り現存するブログがあるのでそちらだけでも充分かもしれません。
【構成等】
経時順。口語寄りです。
【備考】
(a)「伊藤計劃:第弐位相」
http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh
(b)『伊藤計劃記録 II』のレビュー
http://booklog.jp/users/70x20/archives/1/4150311870
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伊藤計劃のブログをまとめたもの。内容は映画と病状についてが多い。
伊藤計劃映画時評集とは違ってシステマチックに並べ書かれているものではなく、その時に見たものを流れるままにラフに書かれている。ラフとはいっても伊藤計劃の文章なので、言葉の端に物語を見通す慧眼が光る。映画についての詳しい説明は時評ほどは無いので、ブログに出て来る映画本編を見ていないと意味が分からないものが多いが、ブログに書いている気軽なものなので、それは仕方がないかなと思う。
病状についても書いてあり、転移の恐怖を感じている著者の文章は、こちらも怖くなる。その後を知っていることもあり切ない。
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悪性腫瘍しゅよう 5年生存率 窓からの光の筋が見えるようなリドリー・スコット部屋 コロンビア号 チャレンジャー号爆発事故の調査報告 原因はOリングの弾性劣化ではないという話もあるけれど 科学技術の粋すい 消費を中心にした幸福な生活モデルの最後の時代だったと言えるかもしれない 怠惰さが切実さを圧倒した 愚かさというのはこういう精神的に便利な特典もついてくるので 基本的に猥雑で下劣な裾野なのである それともエログロ込みで引き受ける覚悟を固めているのだろうか そしてPSGは今も叫び続ける 原作のパッチワーク感 二次創作としての フォレストガンプのスマイルマークシャツ誕生の件 えんえき演繹 卑近さを 阿部和重の語りをえらくアナクロなものに思わせてしまう ふせって臥ってます 出会い系を装った文学 趨勢すうせい ぺ・ドゥナたんの御尊顔を拝してくることであるわけで 誰にでもやってくるのは死だけだ。死が暴力的なのは有無をいわさず誰にでもやってくるからだ。 回避不能を宣言されたわけだから 「もののけ姫」はそんな宮崎作品の中にあって、唯一宮崎駿がヤバいところまで行った「狂気」に限り無く近いものが、ある種の逡巡と傲慢さが同居した結果落とし所がまったく不明なまま物語が暴走する、「手に汗握る絶望」が全編を覆っている凄い作品だと思う。 彼岸と此岸しがん 其れは一言で言って死が怖い映画であり、死に脅かされる人間達の寂しさを扱った物語だ。「バレット・バレエ」からの塚本映画は、常に「終わりの刻」を見据えながら、その虚無に怯えながら撮られているように思う。 その衝撃は「メメント」など比較にならぬほどの衝撃の結末と化し、そして我々の心に生じる静かな怒りは、貧乏人が金持ちに対して抱く殺意のそれであるだろう。 とうじん蕩尽ぶりが 称揚された残酷なファンタジーのキャラクターは 技芸を駆使さした 宿業にに囚われざるを得ず 言うなれば畜生としての腕っ節のみであり 作り手が「怪奇」の近似値として南部の田舎という、悍ましさの残り香がまだ有効な土地を(日本でいえば近親婚がまだ続いてそうな横溝的田舎に相当します)選ばざるを得なかった、という理性的な思考の結果です。 本田美奈子の死と、宇宙戦争という映画は、僕の体に起きた理不尽な出来事を経由して繋がっている。あなたは、体と心中するしかない。叙事的な映画というのは、そういう事を嫌でも感じさせてくれる。あれは、容赦ない。あれは、人を選ばない。あれは、突然やってくる。出来事というのは、そういうものだ。死んだ事のある人はいない、と誰かが言っていた。 山田風太郎『人間臨終図鑑』
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ぼくらのまわりを見てごらん、自然物がどれだけある?人間の手によって植えられた草や鉢植えや街路樹や、駐車場の雑草が「自然」かな?近所を流れている川、それは自然の川かね。何か最近になって出来た用水路は論外としても、実は昭和、明治、さかのぼって江戸時代につくった農業用水だったりしないかね。
ぼくらは人工物に囲まれて生きている。ぼくらは人間が思考してそう望んだ環境に囲まれて生きている。人間の思考の結果に囲まれて生きている。なぜ大地震で5000人の人が死ぬことにみな驚きながら、年間の交通事故によるものすごい数の死者には驚かないのかな?それはすなわち、自然は「降ってわいた災害」で、予測できないファクターだったのに対し、交通事故は「社会的に予測の範囲内であり、許容できる副産物」に過ぎないからだ。自身は自然の災難だけど、交通事故は人間の思考の守備範囲なのだ。道路も、ビルも、家も、食料も、すべては人工物にすぎない。
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ゲームデザイナー小島秀夫の作品に関するエッセイと伊藤の個人ブログに掲げられたテクストから主に映画評と闘病に関する記述を抜粋。言い尽くされた言いまわしだが、抗がん剤治療の苛酷さを淡々と綴っていくくだりには、胸が苦しくなってしまった。「わたし」の身体が自己の思う通りには決してならないという現実を生きながら、伊藤は小説を書いていたわけだ。
「1」の中心は映画評だが、伊藤が'90年代~'00年代のぶろっくばすたー商業映画を(くだらないもののくだらなさをふくめ)徹底的に渉猟していたことがよく分かる。批評もじつに的確で、博覧強記ぶりにも舌を巻かざるを得ない。「映画狂人」蓮實重彦の暴走ぶりを見つめる快楽や、東浩紀批判の部分で「イノセンス」のイメージ一元論を「嘘っぱちだと思う」と記したところは、伊藤の作品世界を考えるうえでも重要なコメントだと思う。