紙の本
頓狂の心、どこへ行く?
2004/02/20 15:48
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:しゃくとり - この投稿者のレビュー一覧を見る
幕末の「花神」となった村田蔵六(のちの大村益次郎)が、蘭学という技術を買われ、求められるままに、その才を磨き、長州藩へと戻っていくまでの生き様が描かれているのが、この「花神」の上巻です。
「花神」と言えば、私が小学生の頃、NHKの大河ドラマで放送されていました。当時は、まだ史実として理解する力がなく、ただ、役者さんの演技に惹きつけられたものでした。本書を読み進めていくにつれて、遠い記憶の中の村田蔵六の顔、つまり、役者さんの顔なのですが、それがぼんやりと浮かんできました。この大河ドラマのテーマ音楽が、林光氏による壮大な曲で、「維新」という革命を象徴するかのようなドラマティックなものでしたので、興味のある方は一度聞いてみて下さいね。
この村田蔵六を評して、シーボルトの娘イネの育ての親の二宮敬作は「お前さんも頓狂な男だな」と言います。この二宮敬作という医師の「人間は頓狂でなくちゃいけないよ」という言葉が、胸に残りました。村田蔵六だけでなく、幕末の一種狂気と見られた「攘夷」という思想も、一種の「頓狂の心」だったのかもしれません。いつの時代にも、いろんな問題点を抱えているもので、その転換期に生きる人間にとって、社会体制の転換という革命は、一歩間違えば狂気となってしまうものでしょう。
司馬遼太郎氏は、「大革命」というものは、まず最初に「思想家」があらわれて、ついで「戦略家」の時代に入り、3番目に登場するのが、「技術者」であると、書かれています。村田蔵六の場合は、「技術者」ですから、時代からの要請が来るまでに、いろいろな経験をします。その、村田蔵六が静かに自分の仕事に邁進している時代のおはなしが上巻で描かれているわけです。
大村益次郎という指揮官としての蔵六は、中巻以降にゆずって、とりあえず、この上巻で、蔵六とともに、幕末の日本を旅してみませんか?
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幕末。誰もが理想を抱いて闘った時代として描かれる歴史小説が多い中、実務家として希有な軍事的才能だけを手に時代の「しあげ」をした大村益次郎。田中芳樹氏の「七都市物語」でも同じ言葉がありましたが、「軍事」というのは芸術と同じで、才能だけが勝負を決する。そういう意味で大村益次郎(村田蔵六)という男には、プロフェッショナル的な凄みを感じます。
ちなみに「花神」とは所謂「花咲か爺」のこと。維新という花を咲かせるため、時代が必要とした時にあらわれ、仕事が終わるとさっと消えてしまった男。この合理主義の無骨なおじさんの話にこんなロマンチックで神秘的なタイトルをつけた司馬先生に脱帽です。
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幕末・維新という狂気の時代で、技術で時代の寵児となった大村益次郎の生涯。時代に媚びるのではなく、自らの技術を磨き光を放つ生き様に、共感を覚えた。
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村医から一転倒幕軍の総司令官となり、維新半ばで非業の死を遂げた近代兵制の始祖大村益次郎の生涯を描く長編。全3巻の一巻目。緒方洪庵の適塾に入塾してから長州藩お抱えとなるまでを収録。
以前大河ドラマでやってた頃、一度読んでいるはずなんだが、さすがに内容は忘却の彼方。
長州ものなので高杉晋作とかもちらりでてきますが、むしろ桂小五郎が思いのほか登場回数が多い気が。
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司馬作品で最も好きなもの
薩長の幕末志士達が精神面を変えたとしても、それだけでは時代は変わらない。変えようとしても体だけが成長してしまい内臓がついていかない状況になるでしょう。そんな幕末、明治維新期の内臓の成長に注目
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幕末。大村益次郎の人生。桂がたくさん出てるのに惹かれて読んだけど、蘭学の世界も新鮮で面白かった。長州好きになるかもしれない。
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「世に棲む日日」と一対をなす大村益次郎(村田蔵六)の長編小説。上中下巻。本の題名は「花咲か爺さん」の意だそうで。読み終わった後、何だかその名前が愛しく思えてきました。 蔵六とイネさんの関係がとても好きです。「夏は暑いのが当たり前です」←笑う
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大村益次郎という人物が主人公です。私も最初はその名前さえも知らなかったのですが、
読み終わったあとは尊敬する
人物になりました。
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当時の学力の高さに驚き。
村医者から翻訳家そして戊辰戦争では作戦司令官。
もっと長生きして欲しかったうちの一人です。
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動乱の幕末期、倒幕派の司令官として活躍した大村益次郎こと村田蔵六の一生を描く大河小説。
面白い。司馬遼太郎作品では、『竜馬がゆく』の一巻と『燃えよ剣』しか呼んだことがありませんが、『花神』の上巻を呼んだ時点で私の中ではこの作品が、司馬作品の中での一位となりました。
何が良いかと言うと、主人公の村田蔵六が良い。
眉の異様に太い醜男で無口無愛想、趣味といえば豆腐で酒を飲むことくらい。カリスマ性が有ったか無かったかというと、多分無かったんじゃないだろうか、と思います。言ってしまえば学問馬鹿、しかしその学問には滅法強い。
彼は無駄だと思うことを全くしない。だからこそ一芸に秀でていた。
彼は別に、時代を切り開こうとは思っていなかった。彼が時代を動かしたのでなく、彼の秀でた一芸を、時代が求めた。
『燃えよ剣』も『竜馬がゆく』も確かに面白い。だが私がそれらを読むたびに思うのは、「もし彼らが現代に生きていたら、ただの変人だったのではないだろうか」ということです。現代に生きる私としては、だから彼らから何かを学び取ろうとは特に思わない。いくら憧れようとも、「でも今は幕末じゃないしなぁ」の一言で終わってしまう。
しかし、村田蔵六は違う。彼なら、もし現代に生まれていても、変人だとは言われるかもしれないが立派な技術者・学者になれるだろう、と思う。だからこそ、村田蔵六にはかなり感銘を受けました。自分も勉強したい、と思わせられた。
文明開化における日本人の技術習得能力は、素晴らしい。ちょっと大げさかもしれないですが、日本人であることが誇らしい、と思いました。
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上中下巻。大村益次郎(村田蔵六)が主人公ということで、ずっと読みたかったがなかなか読めずにいた本。『世に棲む日日』と姉妹編の関係ですが、偶然同時に借りていました。様々な人物が現れた幕末の中でも異彩を放っています。無口・無愛想・無遠慮(西郷や高杉に対しても変わらず!)と三拍子揃ってしまうが、なぜか「大村先生」と呼びたくなってしまう程魅力的(笑)。幕末の軍事実行者としてこの人程の手腕はなかったであろう(高杉とは軍才の性質が違う)。百姓医者ながら適塾(医学)のエリートで、そのくせ軍事でその名を馳せ、その渦中でも「革命」を冷静な目で見るその姿は際立ってます。本文や解説にある「革命における三つの段階」の、その当てはまり方には思わず唸った。余談ですが、桂さんってば本当に蔵六先生が好きだったのね。『五稜郭を落した男』もそうだったけど、桂はユーモアセンスのないところが逆に愛嬌(笑)
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上・中・下巻。内容は、村医の出でありながら、後に長州藩の軍事担当(なのか?)になり、討幕軍の総司令官となる大村益次郎(村田蔵六)の生涯を描いた作品です。
無口。無愛想。でも有能。合理主義(私見)。火吹き達磨というあだ名があったとか。
桂小五郎との強〜い信頼関係は、「そんなに入れ込みますか」と思うくらい深く感動すら覚えます。
ところで、愛弟子だった(はず)の山田市之允が、わずか数行しか出てこないのは何でなんでしょうか。
何冊か司馬遼太郎作品を読みましたが、私はこの本が一番好きです。
初めて読んだ司馬作品だというせいもあるんでしょうけど。
確か、昔にドラマ化されていたはずです。
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【生き方】
ストイックに「理」に殉じた人の話。
今の世ならば研究者もしくは技術屋の一人かもしれないが、当時理解されないなか「自然科学」の道を究め、医者から軍人になってもスペシャリストの道を究める姿は痛快。
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長州藩・大村益次郎が主人公の小説です。恋について書かれている部分で、大村さんに萌を見出しました…。上下巻です。
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2007.12.9 了/
久しぶりの司馬遼太郎.「×はながみ」「○かしん」です.
大村益次郎(村田蔵六)の生涯.上巻は適塾での医学生時代から長州藩に洋学教授として招かれるあたりまで.「胡蝶の夢」同様,幕末の尊王攘夷の騒ぎをちょっと別の視点で見ていた人々の思いが描かれていてあの時代を想像する別の見方を与えてくれます.