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本書は、住民自治の大切さと難しさを、東久留米市、狛江市、小平市の具体事例を取り上げつつ掘り下げていく。市民一人ひとりの具体的な行動こそが重要であることが度々強調されるが、特別な「処方箋」は提示されていない(為政者への処方箋は狛江市の事例によって部分的に示されている)。ただし「なぁんだ、結局どうしたらいいのか書いてないじゃん」というつもりはさらさらない。むしろ著者は「あなたもこうするべき」というお説教にならないよう細心の注意を払っており、自身も地域社会への関わり方を暗中模索している旨を吐露している。
愚生を含め多くの読者にとっては、直接の関わりはない地方政治史が大半を占めるが、その問題の普遍性から、随所で「そういえば、うちの区(市・町・村)ではどうなっているのだろう」と考えさせられる。
また「ローカルな政治の延長線上にこそ国政があり、自分の地域の政に無関心でいて民主主義もないだろう」(ざっくりいうとそんな感じ)という指摘にギクリとするのは愚生だけではないはずです。
一つだけ気になったのは、
『東久留米では、通年予算が成立しないという状況のなかで、国民健康保険料や下水道料金などの値上げはしっかりと可決されている。市民はそれで構わないのだろうか。経済的な余裕があって、「多少の負担増など気にならない」という人なら行政任せでも良いのだろうが、少しでも自分の納税分のよりよい活用を望むなら、厳しい目で行政を診ていかなければいけない。そうしないと、納得がいかなくなるからだ』という本書の後半の指摘は、正論だが—いや、正論なだけに、ちょっと危うい気がします。
なぜなら、余裕がない人、地方自治のサービス低下や料金の値上げによって打撃を受ける人ほど、「貧乏暇無し」だからあるいは情報へのアクセスが悪い、このことこそが住民自治(あるいは政治への市民の参加)の永遠の課題だからーです。