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良書である。読み進むうちに、今までの歴史書にはない発見の喜び、語り手や著者への驚き、そして尊敬がひしひしと湧いてくる。
語り手は著者の父上、小熊謙二さん(現在89歳)。北海道に生まれ、子どものころは戦前の東京下町で育ち、終戦間際の満州に駆り出されてシベリア捕虜として3年を過ごす。戦後、職を文字通り転々として極貧生活を過ごし、朝日茂と同時期に結核療養所で5年を過ごす。片肺になって出所後に東京で貧乏生活をするも、経済成長の波に上手く乗ってスポーツ店の社長として安定した生活を得る。90年代から2000年代にかけては、ボランティアで環境を守る会や、元兵士のとしての平和活動に参加する。また、シベリア外国人捕虜の補償を求める裁判を支援した。
と、書けば何か特別な一生のように思えるが、要は普通の「都市下層の商業者」の一生であるに過ぎない。そういう人の、詳しく、時代との関連を明らかにした記録は、しかし珍しいだろう。私には新鮮な記述が幾つも幾つもあった。
戦前下町の地方からやって来てあっという間に、生活必需品が間に合う下町が出来る事情と店の経営者の記録。庶民の戦争の受け止め方。シベリア抑留の実態。戦後の生活。「共産主義は嫌いだが、戦争や再軍備はまっぴらだ」という信条。60年安保時の心情賛成派のデモの見方。昭和30年代の住宅事情。高度経済成長の雰囲気。そして、この辺りから私の体験とも合致する所多いのだが、誕生日ケーキやカラーテレビ導入時期、レジャー・娯楽体験、新築の家。
実は謙二さんは去年亡くなった私の伯母の夫、おじさんと境遇がとても似ている。伯父は歳も一歳上。7人兄弟の真ん中で、早くから家を出て様々な職業についた途端に戦争に出て、シベリア抑留。帰って水道管の工員として地道に生活。バツイチの私の伯母と結婚。その後肺気腫を患い、静かな年金生活。晩年は鬱で食事が出来なくなった妻の代わりに家事をこなしていた。しかし、大の共産党嫌いというのは、違っていた。この本にあるようにシベリアは場所によってかなり民主運動や監督官のあり方は違っていたのだろう。私は伯父から何も聞くことができなかった。著者も言っているように、もっと親や親戚から「聴き取り」をするべきだ。そのためにこの本はかなり役立つだろう。
謙二さんの記憶力の確かなことと、その観察力の鋭さには、驚くばかりである。学問的な裏付けがないのに、言っていることは、例えば加藤周一とあまり大差ない。人間を真っ正面から観察していたから出来たことなのかもしれない。これはもう「人間的な能力」と言っていいのだろう。小熊英二さんのルーツをしっかり見させて貰った。
2015年8月13日読了
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戦前に生まれ、戦争を体験し、戦後日本を生き続けている1人の日本人。彼は特に何かを成し遂げたわけではなく、極貧の生活を強いられたわけでもない。平凡な日本人だ。そんなありふれた人間の人生語りが本になるはずはないのだが、息子である著者はそんな父、小熊謙二の人生を明らかにすることで、日本社会の歴史を再現する。
戦争、敗戦、高度成長、民主運動を経た日本の中で、庶民の生活はしょせん庶民。そんな庶民、小熊謙二が考えることは生きることだけ。彼の人生に映画や小説のようなドラマチックなものはなく、東京オリンピックも復興特需も昭和の終わりも関係ない。そして、それが大多数の日本人だったのだろう。
小熊謙二は20歳で軍に招集され、シベリアで捕虜となる。帰国後は肺結核で数年間の療養生活もあり、職や住居を転々とする生活だ。3畳間に妹と同居することもあった底辺の生活の中で、掴んだ一筋の光明がスポーツ用品の販売業。
いくら父とはいえ、なんでもない平凡な男の人生をインタビューにより掘り起こし、それを歴史社会学術本のような、単なる読み物のような不思議な1冊にまとめた著者のセンスに感動。庶民、小熊謙二が生きた各時代の空気感が伝わってくる。
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社会学者の小熊英二氏が、自身の父親である謙二氏の生い立ちから現在までを描いた作品。
謙二氏は1925年に北海道で出生、母親の死をきっかけに東京の祖父母に引き取られ、太平洋戦争ではシベリア抑留を経験し、帰国後は結核を患い5年間の療養所生活、幾度かの転職を経てスポーツ用品販売店を起業、引退後は市民運動に積極的に参加するなどなど。
たまたま息子の英二氏が執筆活動をしていたために、普段は知る由もない一般市民の人生を垣間見る事が出来た。一見すると波乱万丈の人生にも見えるが、もしかするとこの世代の戦争経験者の方にとっては、珍しくない生き方なのかもしれない。
旅先などで車窓から見える街並みには、きっとたくさんの知らない人達が暮らしていて、おそらく自分とは一生涯すれ違うことも無いのだが、そんな一人ひとりにも必ず人生のドラマがあるのだと思う。本書はまさしく、そんな一人に焦点を当てた作品であった。
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「戦争の記憶を経験者から聴く」必要性がずいぶん語られるが、この本は、著者自身の父・謙二から聴いた戦前・戦中の生活、召集と戦後のシベリア抑留、帰国後の苦労・結核での療養生活、そして高度成長の波で成功するまで。苦しみの人生が詳細に語られ、文章化されている。一人の人生を語りながら、庶民生活の目線を合わせた歴史的な記録、昭和平成の社会史でもある。高揚はなく、淡々とした記述の中に戦争の悲惨さが身近な視線で訴えられている秀作である。この著者の書籍はこれまでもその詳細な調査ぶりに圧倒されてきたが、このヒアリング能力の高さ、賢二氏の記憶の量には驚愕。著者を左翼学者と叩く人は多いが、父親の言葉を通して、著者が左も右も嫌いである!ことが自然と伝わる。著者のルーツを知ることができたことも興味深く、この人が今回監督として制作した映画「首相官邸の前で」(脱原発デモ参加者のインタビューが中心)はぜひ観賞したい。
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小熊さんの本は読んだことがないが、ずっと気にはなる人である。本書もだから多くの書評がでる前に買っておいた。本書の「生きて帰ってきた男」というのは小熊さんの実の父親のことである。本書はその父親のシベリア抑留を含む戦前戦後の個人史、オーラルヒストリーを、政治史、社会史、そしてシベリア抑留の記録等々をはさみながら描いたもので、「平凡な」庶民が戦前戦後をどう生きていたかの貴重な記録となっている。小熊英二さんの父親謙二さんの記録である本書をぼくは自分が小さかったころの社会と重ねながら読んだ。謙二さんは北海道で生まれ、小学校へ上がるころ東京の祖父母の家に出される。これは謙二の母が結核で早く死に、父親の雄次には子どもの面倒を見る余裕がなかったからである。その後、謙二は次兄のすすめもあって中学である早稲田実業に進学する。この多少の学歴がその後の人生で役立っている。その後謙二は兵隊に取られたあとすぐ満州へ送られ、敗戦とともにシベリアに送られ、そこで3年を過ごす。シベリア抑留と言えば過酷なものと語られることが多いが、日本人の死者は60万の1割の6万。ドイツの捕虜になったソビエト兵は6割が死に、日本の捕虜になった米英捕虜の死は約3割弱だそうだ。生死の境は、精神力とかそういうものではなく、謙二の送られた部隊が混成部隊で上下の差がほとんどなかったこと、ソ連の待遇改善が早く及んだ収容所であったことが関係していると言う。収容所長次第で待遇が違ったということも読んだことがある。ある意味偶然が支配したのである。抑留時代での民主化運動、アクティブの活動は他の抑留記にも出てくるが、謙二はこうしたものに対しても淡々と語っている。もちろん、戦争に対しては怒りをもっていて、戦後東条が自殺未遂をしたことは馬鹿にしているし、天皇が訴追されなかったことには不満を抱いている。帰国後謙二は当時父がいた新潟にもどるが、その日にでた食事はあまりにふつうのものだったというのが印象深い。その後謙二は仕事を転々とし、引っ越しも何度となくするが、まったく失業状態とか住む家がなかった時はなかったそうだ。家はたいていだれか親戚の家をたよったりしていた。これはぼくの家でもそうで、ぼくが小さい頃は田舎の親戚がたよって出てきて、狭い家に同居したものだ。当時の人々はそういう生活を当たり前としていたのである。謙二は帰国後、25歳から30歳という青春を結核病患者として隔離されてすごす。その時受けた手術もすごいもので、骨を切り取っているから身障者の認定もうけている。結婚後、妻は謙二が風呂から出てくるのを見てぞっとするほどだったという。ぼくの小学校の恩師もそんなことを言っていた。あと少しすれば薬で治せたものを。結核が治癒し謙二は社会に復帰する。苦労はしたが、のちあるスポーツ商に就職することで、生活が上向いてくる。それは日本の高度成長期にうまく乗れたからであった。その後、謙二は子持ちの女性と結婚し、そして生まれるのが英二であるが、このあたり英二さんは淡々と描いている。謙二は最初公営住宅に住んでいたが、のちそこからでて持ち家を建てる。これもぼくの小さいころと重なる。ぼくが住んでいた公営住宅で��、お金を貯めた人たちは少しずつ家を建てて出て行ったからだ。新しく建てた家は上の生活を目指す奥さんのプランになるもので、謙二にはちょっと違和感があったように見える。その後、謙二は友人と自分の会社を持ち、定年後も仕事に少しかかわりながら地域の運動などに関わる。晩年には、日本人にされた朝鮮人の戦後補償にかかわるようになるが、ここはちょっと異質なような気がした。謙二もやむにやまれず加わっただけで、大きな政治運動をしようという気はなかったようだ。長々と書いてきたが、ぼくにとって面白かったのは、やはり戦後の庶民の生活誌である。400ページ近い本だから、読めるかと心配しながら読み始めたが途中からやめられなくなった。小熊さんの他の本も厚いがきっとすらすら読めるような気がしてきた。
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戦前、戦中、戦後、高度経済成長、そして現在。名の知れた方々の伝記は数あれど、無名の人の歩んだ時間をひと続きにみられる。
戦中が悲惨なのはもちろんだけれど、戦後も非常に厳しい。果敢に突き進める者がいる一方で、なんとか生還したものの、ハンディを負った者には過酷な日々が続く。
小熊英二の父謙二は現在89歳で、僕の存命の祖父は94歳。どのように戦後を乗り越えたのだろうか。苦労話聞いたことはないけど、昭和天皇を嫌うのは共通している。
平和な日常から戦場は想像し難い。けれど、謙二の記憶を通して、祖父の事を考えると、そんなに遠い昔には思えなくなる。
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戦争を経験された方の談が、特に最近いろいろな形で世の中に出てくるようになった。
戦争の語り部が減ってきている中で、世の中の動きに危機感を感じてのことだろうか。
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一昨年、僕は「日本國から来た日本人」という本を書いた。朝鮮へどのように日本人が移住し、戦争に巻き込まれ、どうやって引き揚げてきたのか。そして戦後どのような暮らしをしたのか。という内容。20人近くを登場させることで、その当時の世相とか空気とかそういったものを描こうとした。この本は著者の父親を題材に、似たようなアプローチで仕上げているのだが、アプローチの仕方が拙作に比べ、徹底していた。
個人史と当時の世相が行きつ戻りつ、話が進んでいくという複雑な構成だが、そのわりには読みやすく、著者の書き手としての力量に舌を巻いた。
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歴史、特に第二次世界大戦の見直し作業が進められている。それも、修正方向に。
国家として共通の歴史を持つといっても、個々人の体験は共通ではない。
しかし、記憶は風化し教育される歴史の方向が一本になったとき、その歴史こそが共通認識になる。
例えば、400年前の江戸時代の話なんか、徳川幕府の下で平和な時代が続きました。くらいの認識でしかない。
疫病に飢餓、貧困に苦しんだ下層民はいるはずだが、彼らが歴史を紡ぐことはない。
個々人の体験は歴史には残らない。
本書のタイトルからは、戦争に行かされた男がどうやって日本に帰ってきたか。その戦中記を予想させる。
しかし、本書において戦争に行かされて、シベリアで抑留されたのちに日本に帰ってくるまでに割かれるのは全九章のうち三章だけである。
戦争に行くまでの生活状況、そして戦後の混乱と現代までの暮らしが描かれている。
戦争中の人々の生活、考えに非常に詳しい。まるで、まだその時代を生きている人の語り口だ。
さらに本書が他の記録と異にするのは、語り部が下層民の視点から語っている点だ。
たいてい、記録を残すのは将校や、もしくは戦中を美化してしまいがちな主張の強い人が多い。
個々人の体験、記憶が紡がれて歴史となるのではない。
一つの方向に固まった認識が歴史になる。
しかし、歴史の裏には無数の体験、記録が埋もれている。それらを発掘する作業は非常に困難だ。
戦争を生きた人たちは、すでに大半がこの世からいなくなってしまった。
丹念に聞き取り、記録として残す作業が必要になる。
その作業が必要なのに、自分はその作業をしなかった。
自分の祖父は戦争中、ミャンマーに行って帰ってきた。そして戦争を多く語らず、10年ほど前に逝ってしまった。祖父が現地で見たものは何だったのか、今となってはわからない。
本書は、戦前から戦後にかけての、ある一市民の歴史だ。下層民から見た戦争、という点において一級の資料だ。
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小熊英二の父親の話を聞き取ったものを本にしたものである。かなり詳細に書かれているので、個人史というよりも、その時代の大多数の人々の生活を描いている。
こうした聞き取りを卒論で書けるということはいいと思われる。
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戦争は始まりがあって、終わりがない。
これまで
いろいろな 戦争を経験された方のものを読んできた
ものすごく 悲惨なことの連続であったり
妙に おもしろおかしく書かれていたり
はたまた 極端に主観的に書かれたものであったり
どこかで
自分の中で コトンと気持ちの中に落ちてくるものは
なかなか 少ない
本書は その中の 落ちてきた興味深い一冊です
類い希なる 優れた 語り手 と
類い希なる 優れた 聴き手 がとが
打ち揃って 本書が生まれている
あらためて
一人の古老が亡くなる のは 一つの図書館が無くなる
のと 同じことだ
という 言葉を 改めて 思い起こしました
※蛇足ですが、筆者の父上はまだご存命です。
あまりに面白かったので
一気に読んでしまった
もう一回読んでみようと思っている
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希望だ。それがあれば、人間は生きていける
戦争の被害は国民がひとしく受忍するべきもので、特定の被害者にのみ補償をすれば不公平になる
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-2015.10.24
小林秀雄賞を取つた本。シベリアに抑留された著者の父親の半生を、戦前戦後の生活史を背景に描いてゐる。同時代の経済、政策、法制などに留意しながら書かれた「生きられた二十世紀の歴史」は、非常に興味深い読み物になつてゐる。
戦争を中心とする国策に翻弄された人物の物語であるため、国の政策に対する批判的な意見が多いが、説得的だと思はれる。
政府には政府の事情があつたのだらうが、それがどのやうなものであつたのか、明らかにされてゐない場合が多い。何を国益として考へ、どのやうな優先度を設定したのか、政治主導者は事後的にでも発言する義務があるのではないか。
戦前戦後の日本を庶民の立場から知るための好著。若い人にも勧めたい。
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大正14年生まれ 私立中学を卒業し、事務員として就職。
昭和19年陸軍に召集され、二等兵として満州戦線へ。ろくに武器をもつことすらなく終戦を迎える。
昭和20年12月、ソ連軍によって満州からシベリア チタ州に連行され強制労働に就かされる。昭和23年 帰国。
という、特筆すべき戦果を挙げたわけではなく、特攻で散華したのでもなく、特に文才があったわけではない、普通の庶民が、生まれ、育ち、兵隊に行き、シベリアで抑留され、帰国し、戦後の混乱期をなんとか生き延び、そして高度経済成長期を迎え、子を生し、年老いていった記録。
様々な視点から、フォーカスされている戦史・戦記は多くあるが、本書はその様々な視点からこぼれ落ちている、普通の兵隊の生きた姿。
筆者の父親からの丹念な聞き取りと、当時の社会、生活の背景を忠実に書き残した本書の意味は大きいと思う。
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昭和という時代が、淡々と語られております。戦前の学生時代、徴兵、そして敗戦と共に、シベリア抑留、数年を経て帰国をして、今度は、結核療養所に入所。
社会に復帰したときは、すでに30前。そこから、仕事を探し、家庭を持って、子供を育ててという一人の男の人生が語られております。シベリア抑留、結核療養所等の絶望的な状況であっても、希望があれば、生きられる、という最後のコメントが染みますです。著者、小熊英二の父の物語。一読の価値があります。