投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
ソ連の捕虜になって「生きて帰ってきた男」の体験記なんだけど、その戦前と戦後の生活をその社会情勢とを交えてよくわかる。
あまりにも淡々としていて、これがリアルなのか…
抑留と結核療養の思うままにならない期間を経て、食べていくためにさまざまな仕事をし、裁判や運動に係わっていく。
謙二にとっては下の下で生きてきたという一貫した姿勢。特別才能と幸運に恵まれていると思うが。
多摩に住む私には身近に感じる部分も多くあり、自分の記憶する事柄なども微かに思い出され、戦後は終わっていないという人も未だにいるのが腑におちた。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
どんなに平凡に見える人にもそれぞれの人生があり、社会や時代といった背景を舞台にして語られる時、それは個人を超えた同時代のドラマにもなる。NHKにファミリーヒストリーという出演者の知られざるルーツをたどる番組があるが、これは父兼二の人生を中心に語られた社会学者小熊英二自身のファミリーヒストリーでもある。
以前、辺見じゅん著「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」を読みシベリア抑留の一端に触れ、過酷な環境を生き抜いた日本人捕虜の姿に感銘を受けた記憶があるが、今回この著書を通じてソ連全土に散らばった収容所ごとに環境は異なり、そこでの処遇も過酷さの中にも程度の差がかなりあったことを知った。歴史の多様性と複雑さに思いを致し、複眼的にそして謙虚に歴史に向き合うことの大切さを改めて感じた。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
社会学者である著者が、一等兵としてシベリア抑留を体験した実父へのインタビューに基づき、戦前・戦中・戦後の一貫した日本の歴史像を浮かび上がらせようとした意欲作。
それまでの歴史に関する言説が社会における上流階級(男性、白人、富裕層等)の人々によって生み出されたものであり、「語れない」人々によって紡ぎ出される別の歴史があるはず、これが90年代以降の歴史学が重要視するオーラル・ヒストリーの基本的な考え方であるが、本書はまさにその典型例といえる。著者の実父は経済的に決して恵まれたわけではなく、兄弟の大半が20歳前後で結核で亡くなり、自身は中学卒の学歴で一等兵として関東軍に徴収され、そのまま3年間シベリアに抑留される。無事日本に戻ってきてからも、十分な職業経験や誇れる学歴があるわけではなく、中小企業を中心に幾度もの転職を重ね、ついには自らがスポーツ店をほそぼそと経営することで何とか生計を成り立たせ、人並みの暮らしを送れるようになる。
例えば、シベリア抑留の話題では、いかに厳しい抑留生活を乗り越えたかが、日本軍捕虜に対して好意的であった一部のソ連軍将校との記憶なども交えつつ淡々と語られていき、その生活の内実を伺いしることができる。また、戦後日本の社会史において、「大企業のサラリーマン生活」が統計的には決して当時の一般的な日本人を代表していたわけではないように、むしろ彼のように中小企業を転々として、何とか食いつないでいくという生活こそがリアルな当時の世相であったことが理解できる。
オーラル・ヒストリーの典型的な労作としても、そして一人の市井の人間を媒介した戦中~戦後の日本社会を伺い知る材料としても、極めて有益な一冊。一気に読了してしまった。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
シベリア抑留から生還した男の、戦前・戦中・戦後を、いきいきと描く。
「一人の人物という細部から」戦争に突入する日本、日本をとりまく東アジアの情勢、捕虜に奴隷労働をさせる「社会主義」ソ連、高額な恩給を支給される旧高級軍人と官僚たち、なんの補償もされない庶民、日本の復興と高度経済成長といった、大河のような流れが見渡せる。
謙二という一人の男が、生きるため、飯を食うために悪戦苦闘するそのさまが、悠久の歴史の中にくっきりと見える。
みごとな、大河小説を読むような感動がある。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
1925 T14年生まれ
四大節 正月、紀元節、天長節、明治節
日常生活の変化 S11年の終わりからタクシーをみなくなった、
S14 価格等統制令 外米が食卓に上がるようになる
S15 砂糖とマッチ配給制 宮城遥拝はじまる ドイツがフランスに勝つと勝ち馬に乗り遅れるなという風潮が強くなった
S16 コメが配給制 庶民にとっては、いつ終わるかわからない戦争よりコメの配給制の方が衝撃
S18 旗を振って出征の見送りはなくなってきた
捕虜の中には敗戦間際に根こそぎ集められた在留邦人が多数いた 現地招集された在留邦人は敗戦直後に除隊、いったん家に帰っていた。除隊証明を出すから軍籍があったものは出頭しろという通知が来て、現地の警察署前に出頭したら武装したソ連へに護送された
おかしいとおもって通知を無視した人もいた
はじめはどこに運ばれるかわからなかった
ソ連に連行された日本兵その他は64万人(シベリア、外モンゴル、中央アジア、ヨーロッパロシア)
死者は6万以上
WWII ドイツ軍の捕虜になったソ連軍将兵は570万 死亡率6割
ソ連軍の捕虜になったドイツ軍将兵 330万人 死亡率3割
日本軍の捕虜になった英米軍捕虜の死亡率は27%
頭で割り切る人は、そういう考えになるのだろう。しかし現実の世の中の問題は、二者択一ではない。そんな考え方は、現実の社会から遠い人間の発想だ
国立内野療養所
柏崎療養所 1939 傷痍軍人新潟療養所として設立 1945/2 厚生省移管で結核療養所
総力戦の中で整えられた医療施設が、戦後の結核療養所の起源
これといった産業がない土地の柏崎は、青森県の下北半島とならんで、その後に原子力発電所と自衛隊基地が誘致された(誘致されていない)
淡々としていた。お互い戦争体験者だから、多くを離さなくても見当がつく。激しく感動したり泣いたりするのは、何も知らない人がやることだ
人生の苦しい局面で、もっとも大事なことは何だったか聞いた。シベリアや結核療養所などで、未来がまったく見えない時に、人間にとって何が一番大切だったかという問いである
「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
戦前、戦争、戦後を生き抜く1人の人間・小熊謙二のリアルな生活録。
謙二の息子であり本書の著者である英二が、謙二に対するインタビューや、様々な資料を基に描いた、純然たるノンフィクション戦争体験記であり、社会科学的な視点も随所に盛り込まれている。
「脚色のない、生きた歴史」を知ることができる。
文章も流れるように読みやすい。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
戦前、戦中、戦後と生きた男を、その驚くべき記憶力をもとに、「ドラマ」としてではなく「ノンフィクション」として描き出した作品。
筆者はその男の息子であるわけだが、父の客観的な言葉を踏まえつつ聞き取った内容に社会科学的な分析を加え、当時の一人の人間や家族の暮らし、考え方、政治・経済・社会制度などに具体性をもって迫っている。
一庶民をこのような形で詳細な具体性と考え方を含め息遣いを持って描き出した作品は稀有であると思う。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
とある一人のシベリア抑留者がたどった軌跡から、戦前・戦中・戦後の日本の生活模様がよみがえる。戦争とは、平和とは、いったい何だったのか。著者が自らの父・謙二の人生を通して、「生きられた20世紀の歴史」を描き出す。
シベリア抑留の過酷な体験談かと思ったら、引越と転職をそれぞれ10回前後繰り返した復員後の過酷な体験がメインだった。昭和天皇の戦争責任、横井庄一さんや小野田寛郎さんへの思いなど、意外な心境も綴られていた。戦後昭和史も大局観に立ったものだけではなく、こうした個人の体験を通して語られる歴史もあるのだと再確認させられた。
(B)
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
今、国内でもっとも読まれている社会学者の著作から選んだ。個人史に焦点を当て、日本社会を問う。
(松村 教員)
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
小熊英二さんが、シベリア抑留を経験されたご自分のお父様から聞き書きされたもの。
おもしろくないはずはない(「おもしろい」とは不適切か⁉︎)と思い、読んだ。
シベリア抑留について、もっと知りたいと思い、読み始めたが、その前後の人生にもじっくり触れられていて、その部分がまた良かった。
本の中にも書かれていたが、大体の体験記が、学徒兵など、ある程度知的にものを考える層によるものが多く、「庶民」の体験記が少ない。その「庶民」の体験記を小熊さんという知識人がうまく1冊の本にしてくださり、大変良かったと思う。
どうしても時代に流されざるを得ず、でも食べていくためしたたかに生き、数々の困難を乗り越えてこられた。そして、年をとられてからは、頭でっかちでなく、自分の体験を踏まえて、意識高く、社会と関わっておられる。さすが、小熊さんのお父様だ。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
本屋でたまたま手に取ったのは帯に小林秀雄賞受章って書いてあったから。引き込まれて読んだ。戦争のことはあまり知らない。でも世界は確実にキナ臭くなっていて戦争に近付いているような気がする。この作品を小説じゃないけど、小説みたいに読んでた。主人公は作者の父で満州からシベリアに抑留される。シベリアから帰ってきて苦労をしながら、戦後から現在まで、とにかくまっすぐな感じで生きていて、何をしているのか、自分がどこに立っているのかきちんと見てまわりに流されず意見をもっているところがとても素敵だと思ってしまった。シベリアから帰ってきた人たちが冷遇されたりとか、日本はあかんとほんまに思った。間違った方向にいかないようにしっかり意見を言えるようになりたいと思う。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
http://blog.goo.ne.jp/abcde1944/e/dc893cc6fa3f14a69ea2f67ca1ad05e2
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
読む本は全部図書館で借りて、洋書なら、OpenLibraryかProject Gutenbergで読むオレが、この本は買った。
いちおう図書館にも予約してはあるんだけど、25人待ち、かなんかだし。
小熊英二先生のお父さんって、客観的な見方ができる人なんだね。
日本の結婚式は、本来、無宗教で、神道の結婚式なんか天皇家がやった後付けの創作だ、っていうのも、歴史学者ならではの、ホントの話。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
小熊英二慶大教授の父の体験を子供である著者が聞いて再構成した、戦前から戦後にかけて、大きな戦争という時代の渦に巻き込まれた一個人の話。当たり前の庶民目線から見た歴史書といえる。その時の庶民がどのように時代を知り、あるいは知らずに、巻き込まれていたかわかるし、過去を美化する人たちが、事実は違ったりすることがわかる、貴重なオーラルヒストリーと思える。著者も肉親からの話を聞いてまとめる作業であり、感情を引いて淡々と記述しているが、時に愛情がほとばしる場面もある。淡々としながら、時に感動という、戦前戦後史を別の側面から知る良書と思う。最後に「希望だ。それがあれば、人間は生きていける」という言葉が印象的だった。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
400ページ弱、新書としては厚い方だろう。
「生きて帰ってきた」というタイトルの通り、ひと言で言えば、シベリア抑留を体験して帰国した元日本兵の一生ということになるのだが、本書はそれだけには留まらない。
地味な体裁、淡々とした語りの奥に、昭和初期以降の庶民の暮らしが詳細に活写されている。
大上段に振りかぶらず、地に足がついた、そして激情に流されることのない、一市民の人物史である。
主人公は著者の父。息子がインタビュアーとなって父の語りをまとめている。
このお父さんという人は、学があった人ではないのだが、観察眼があり、記憶力にも抜きん出たものがある。加えて、冷静で、自分に酔うようなところがない。
著者は歴史社会学者である。父の語りを補足する形で、その時々の政治状況、国際情勢の流れを解説する。
主体は庶民の生活ぶりを詳細に捉える「虫の目」、ときに社会全体を眺め渡す「鳥の目」といったところである。
父・謙二の生まれは大正14(1925)年、北海道常呂郡佐呂間村(現・佐呂間町)である。その父の雄次は新潟県の素封家に生まれたが、家が零落して半ば流れ者のようにして佐呂間の旅館に入り婿となった。やがて謙二の祖父母は旅館を手放し、東京に出てきて零細商店を営む。謙二もそこに引き取られることになる。
故郷に確たる根を持たない、上流階級でも知識層でもない、「表」の歴史に残りにくい庶民史が非常に興味深い。
昭和初期に各地に建設された公設市場。「月給取り」と「零細商店」の子供たちの間にあった見えない壁。娯楽としての紙芝居や映画。地方出身者が増えて以降、目立つようになった盆踊り。
時代は戦争へと向かい、経済状況が悪化していく中、物資の流通が滞り、人々の暮らしにも影響が出てくる。そうした社会情勢と庶民の肌感覚が複眼的に昭和初期という時代を捉える。
進学率が上がりつつあった時代にあり、中学への進学を果たす。しかしさほど向学心に燃えることもないまま卒業・就職。時代が時代ならばそのまま「サラリーマン」人生を送るところだったのだろうが、ここで召集。父の本籍地だった新潟に配属され、満州に送られる。初年兵としてこき使われるうちに終戦。
このあたりの内側からの軍隊生活の描写も、一兵士の実感と観察眼が生きていて興味深い。いわく、軍隊生活ではとかく連帯責任が問われ、あるはずの備品が足りないと隊が罰せられるため、余所の隊からの盗みやごまかしが横行していたとか、「軍人勅諭」といったものを暗誦させられるが、大意を汲んでもダメで一字一句暗記していないと殴られる等。
敗戦時、体をこわしていた謙二は部隊から切り離され、あぶれものの集まりとしてシベリア行きとなる。この際、命を落としたもの、辛くも日本に帰ったもの、シベリアに行ったもの、収容所で帰国を待った年数は、それぞれの境遇でさまざまだったが、ちょっとしたことが運命を分けたようである。
シベリアでは極寒の地で厳しい収容所暮らしを送る。最初の冬は極限状態で、栄養失調から、人としての感情もなくすような日々だったという。その後���生活状態自体は徐々に改善されていくが、一方で「民主運動」が起こってくる。ソ連人に気に入られようという狙いもあってか、「アクチブ」と呼ばれる共産主義礼賛者が幅をきかせ始めるのだ。こうした運動に心底熱中していたものもいたが、冷静に距離を置いているものも多かった。
先が見えないと思われた収容所生活だが、帰国できる日がやってきた。
しかし、帰り着いて父の故郷・新潟を訪ねたが、極貧の暮らしで、食べるものも満足には食べられなかった。職を転々とするうち、戦中戦後の無理と栄養不足がたたり、謙二は結核になってしまう。当時、結核は非常に恐れられた病気で、特効薬も出てきてはいたが、貧しいものに行き渡るほどの供給はなかった。金がなかった謙二は病巣に冒された肺胞をつぶす、苛酷な外科手術を受ける。もう少し前であれば死んでいたかもしれないが、もう数年後であれば、薬の供給が改善され、大手術を受けずに済んだかもしれない。その境目にあったのが、1950年代前半だった。
何とか病棟を出た後、高度経済成長の波に乗り、謙二はスポーツ店の営業として、徐々に頭角を現してくる。時代の波に乗ったことに加え、冷静な観察眼が営業職には向いていたようだ。後には自身の会社も興している。
現役を引退した後は、ふとしたことから戦後補償裁判に関わることになる。このあたりの経緯も非常に興味深い。
全般として地に足のついた昭和・平成の庶民史で、読み応えがある好著である。
時代に揉まれたとも言える人生、シベリア収容所や結核療養所など先の見えないときに、何が一番大切だと思ったかとの息子(聞き手)の問いに謙二が答える言葉は重く深い。
必ずしも表の歴史に残ることはなくとも、人は生きていく。そのことの強さを思う。