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ホラーとか怪談ではなく、民俗学的な山の怪の記録です。
山にいると、少々の物音とか怪しい気配とか、
「動物だよね」「鳥じゃね?」「風かな?」
で、大概済ませちゃうけど、実は……?
とかちょっと思った。
もう少し注意力と想像力を働かせてみよう。
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様々な山で起こった不思議な現象を、その土地の人々から直接聞き出しまとめた力作。後書きで著者が語るように、まず聞き出す作業が難しかったのは想像できる。山の中でチェーンソーで木を切る音やダンプが走る音が聞こえたのに、実際にはどこにもそんなものは存在しない。それを狐や狸の仕業だと人々は結論付ける。読んでいてゾクゾクする話ばかりだ。昔は冬になれば囲炉裏を囲み一日中年寄りらがいろいろな話を語り合っていたそうだ。そうした物語を無くしてはならないという著者の熱意がこもった素晴らしい本だった。
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読み進めていくと「つまりは遠野物語なのだな」と装丁の帯を見るとそのままのことが書かれていた。
まあそうかそうか。
修験者のくだりがひたすら恐ろしいではないか。いやだなあ。避難小屋つかえないわ。
テントも怖い。もう怖いわあ。まんじゅう怖いわあ。
いやだわ。
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<目次>
はじめに
第1章 阿仁マタギの山
第2章 異界への扉
第3章 タマシイとの邂逅
おわりに
<内容>
マタギを追いかけているフリーのカメラマンが、その取材で聞いた話から、「山の怪」にしぼって取材しまとめたもの。『新耳袋』や『九十九怪談』のテイストが濃厚です。淡々と語られる話。驚かそうという気はありませんが、ふとゾクっとする感じ。山なので取材された側は、「狐」だ「狸」だと言ってますが、山には”何か”がいるんですよ…。
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山であった怖い短い話が、集められた本です。
怖いというより、不思議な話で、
落ちや起承転結はなく、伝承のまとめ本です。
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本当に恐いです。
地味に恐いです。
阿仁マタギや各地の猟師、山びと達から、実話として聞いた、奇妙で恐ろしい体験談集。
昔から、山は恐いところでした。
灯りのない頃、山は真っ暗なところでした。
山には獣がいます。山は神様も居ます。
山は彼らの縄張りでした。
山びとは、彼らを認め、彼らを尊重し、そして上手に付き合ってきました。
でも、それは、とても恐いことなのです。
自然を怖れ、自然と共存する。
そうやって、日本人は山深い里で暮らしてきたのです。
本書を読んで、いままで普通に遊びに行ってた場所が、恐い場所に変わっても、その責任は負えません。
だって、山はもともと恐い場所なのだから。
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著者の田中康弘氏が、交流のある秋田・阿仁のマタギたちや、各地の猟師、
山で働き暮らす人びとから、実話として聞いた山の奇妙で怖ろしい体験談を多数収録。
話者が自分で経験したこととして語る物語は、リアリティがあり、
かつとらえどころのない山の裏側の世界を垣間見させてくれる。
山の怪談。現代版遠野物語。
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帯にもある通り、これはまさに現代版の遠野物語のようだ。
付喪神や八百万の神などという言葉があるように、古来より身の回りの様々なものに"神"を見出してきた日本人だが、特に"山"に対しては、その畏敬の念はまた別格であるように思う。
寺の一つ一つが何某かの山の名を負っていることからもそれは感じられる。
収められている小咄の中には、人智を超えた不思議な現象の他、単なる笑い話のような小ネタも含まれているが、それらも込みにして、ああ山ではこういったことが起きるんだなあ、と自ずと腑に落ちる。
都市部ではあるが、私の家のすぐ近くにも山が広がっており、頻繁に入ることがあるので、これからはもう少し神経を尖らせて通ってみようか、などと思ってみたり。
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著者が東北から九州まで各地の山を訪れ、山にまつわる不可思議な話をその土地の人々から聞き取り本にまとめたもの。狐狸、山の神、妖怪、タマシイ、あるいはそれ以外の説明のつかない「山妖」。かつてテレビも無かった時代は囲炉裏端で大人が子どもたちにこういった話を聞かせるのが生活の楽しみでもあった、と言う。今は失われつつある伝承であり、人々が山と共に生活をしていた様子が伺える。山から恵みを受けるとともに、山で生きることの危険さからこのような伝承が生まれたのか?それとも本当に山で暮らしているとこのようなことが起こるのか?どう捉えるかは読み手次第。
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面白かった。
長年東北などのマタギを取材しているカメラマンである著者が聞いた、民話や昔話と言うほどではない(しかしそれ故に消えようとしている)「山人が語る不思議な話」。
誰も入っていないはずの山で、木を切るチェーンソーの音がする。
前まで来た足音と開けた音がしたのに、開いていない扉。
日々通って慣れ親しんだ山で、なぜか迷った話。
「これはこういうことだろう」というオチがあるわけでもなく、(「あれはリンが燃えてるんですよ」、だとか「亡くなったばかりの家族のしわざ」「狐のしわざ」という人もいるけれど)ただ、不思議なことがあった、という語りを集めている。
中には、どう考えても酔ってたからでしょ、というようなお話もあるが、それはそれで面白い。
昔は祖父や祖母の語るこういった話を聞いて、それが民話などの形に熟成されていったが、今はまず少子化で子どもがいないし、子どもたちはゲームに夢中、語る祖父祖母もテレビに夢中でそもそも語る機会がないそうだ。
この本は貴重な話の集積になるかもしれない。
山ですれ違ったがほかの人間には見えなかったという、編み機を片手にぶら下げた女の話に対する、「いったいどれだけ編み物好きなのだろうか」という著者のツッコミ(?)や、「狐火の正体は俺だ」と語る話の構成、「おわりに」で書いている怪異譚に対するスタンスなど、むやみに全て肯定せず、かといって否定するでもない著者の受け止め方にも好感が持てた。
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売れているという評判を聞き購入したが、内容がまとまっておらず、話がとんで読みにくかった。
地域、またはテーマで整理して欲しかった。
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このレベルのレポートは、せいぜい個人のブログで綴られればよく、山渓ともあろう会社が出版すべきではない。摩訶不思議に肯定も否定もないけれど、無理やり拾い集めた狐憑き、狐火、あるいは大蛇に関する現代の四方山話を仰々しく後世に伝えるだなんて。とてつもない山奥に限らず、そこらの田舎、いや街中であっても転がっているちょっぴり怖い話に過ぎない。マタギに語らせたってことでしょ。我慢して読了。
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東北の訛りは聞き取りにくいのによく本にまとめたなあと思った。内容は子供の頃よく聞いた祖母と友人の世間話と似ていた。(出身青森)自然・山には説明出来ない不思議があり、畏怖しなければならないものと知らず知らずに刷り込まれてたのかもと思った。
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ほとんどが現在70代~80代の人が子供の頃(明治末から昭和戦前)、大人から聞いたり、自分が体験した話。
その頃の山村ならば、本当に魚などの生ものを、狐・鳥などの野生動物にかすめ取られることもあったかもしれない。
その頃の山村には、地縁・血縁のコミュニティーがまだ色濃く残っていただろう。それは注意力散漫と周囲から笑われたかもしれない。そこで「狐にだまされた」という言い訳が考えだされ、コミュニティーもそれを許容し、物語化していったのだろう。
本書で語られる、道に迷ったり、行方不明になったり、自殺、突然死。冷静になって考えれば当たり前に起こりえることだと思う。特に疲れていたり、酔っぱっらっていれば。
しかし、コミュニティーの存在した山村では、それらを狐のせいにすることで円滑な生活が営まれたのだろう。
カーナビだって故障することもある。どこかにしまった物を探そうとすればするほど見つからないことがある。人もまた同じでは。
幻視・幻聴・幻影。ただ、それが山とその周辺領域で起こるのは事実である。やはり山には何かがあるのだろう。神域。
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山での怪 と言っても怪談というわけではなく、どちらかといえば噂や風聞を集めている本。
なぜ怪談でないかといえば、怖がらせるための話ではないからであって、変な話で終わるものもあれば人が実際に死んでいる話もあり、生半な怪談よりも不可思議さを感じさせる。
きっと何事にも理由はつくのだ、と思いつつもその不可解さにじんわりとした読後感が残る。