紙の本
復刻されました!黒田三郎さんの詩集!
2016/03/14 11:13
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐々木 なおこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
夏葉社から復刻された黒田三郎さんの詩集「小さなユリと」。
小さなユリとは、幼子のお子さんのこと。
奥さまが入院して、残された親子が不器用ながらの日を過ごす。
この日常が切り取られる。
お互いご機嫌さんの時は良いけれど、そんな時はあるわけもなく
癇癪もちの親父が怒鳴る
「自分でしなさい 自分でェ」
癇癪もちの娘がやりかえす
「ヨッパライ グズ ジジイ」
でも、このやりとりの後の描写に、心底ほっとします。
こんな感じです。
それから
やがて
しずかで美しい時間が
やってくる
親爺は素直にやさしくなる
小さなユリも素直にやさしくなる
食卓に向かい合ってふたり座る
ここ、心鷲掴みです。
どうしようもない状況下にあろうとも、その隙間にあったかい瞬間がある。
どんな事実を突きつけられても、笑い話にするしかないと。
弱さと強さと、
底知れぬ魅力です。
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駄目な酔っぱらいのお父さんと、小さな三才の娘。
だめだなぁ、と思いながら、やさしい気持ちで読み進める。
ひっそりとしずかな道は、仕事をしていないうしろめたさを際立てる。
僕はこの道のしずかさにたえる
小さなユリを送り出したあとのしずかな道。なんだかほほえましくもあり、同じく三才の娘を持つ僕とあまりに似ていて、恥ずかしい気持ちにもなる。
勤めを怠けた父親とその小さな娘の影に、僕も僕と娘の姿を重ねてしまう。
あまりに小さなことにまどわされながら、今も昔も同じように人は日々の生活を繰り返す。
さすがに夜中に暴れたり、居酒屋に走ったりはしないけど。
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手元に置いておきたい詩集。つくりがていねいです。ことばもやさしいながらにさみしく、こちらの隙間にはいりこんでくる。
「歩いているうちに
歩いていることだけが僕のすべてになる
小さなユリと手をつないで」
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雑誌「母の友」で東直子さんが紹介していた詩「夕方の三十分」の一節が心に残り、読んでみたくなった。
妻がが結核になり、3歳のユリと暮らした日々を綴った父親の独り言のような詩の数々。
幼い子を寝かしつけた後、飲みに出て歩いたり、イライラして娘を叩いたり、酔っ払って車に轢かれたり…ひどく心配で危うい子育て。
けれど、そんな部分をさらけ出し、自分をひどい父親だと認め、娘のために台所に立ち、洋服を買い、日々を過ごし、ひと時の美しい時間を感じ取る。そこにはちゃんと娘への愛があるように思えた。
罪悪感に苛まれながらも一人で我が子に向き合う様子は、孤独な子育ての心がうつしだされているようで、共感し、涙が出てきた。
料理中に邪魔されてイライラし、互いに興奮してきてカッとなり喧嘩してしまう様子はリアルで、忘れられない。
「小さなあまりにも小さな」最後の一節、
歩いているうちに
歩いていることだけが僕のすべてになる
小さなユリと手をつないで
幸せな感覚が伝わる。
ささやかな日々を大切にしようと思った。
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完全復刻 大切な詩集。
これは、昨年、買いなおした、復刻版です。
まだ、本棚に載せていなかったので、載せておこうと思いました。
黒田三郎さんは、一番好きな詩人の一人です。
「秋の日の午後三時」
不忍池のほとりのベンチに坐って
僕はこっそりポケットウィスキイの蓋をあける
晴衣を着た小さなユリは
白い砂の上を真直ぐに駆け出してゆき
円を画いて帰ってくる
遠くであしかが頓狂な声で鳴く
「クワックワックワッ」
小さなユリが真似ながら帰ってくる
秋の日の午後三時
向岸のアヒルの群れた辺りにまばらな人影
遠くの方で微かに自動車の警笛の音
すべては遠い
遠い遠い世界のように
白い砂の上に並んだふたつの影を僕は見る
勤めを怠けた父親とその小さな娘の影を
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台風も去り、選挙も終わったけど何だかなぁw
ってな事で、黒田三郎の『小さなユリと』
呑兵衛さんの詩集。
たわいも無い日常の風景と小さなユリとぐずで能なしお父さんの心擽られる詩集。
みどるもんすたぁ、りとるもんすたぁにもこんな時があったなぁと日本酒呑みながら、しみじみ思い返しながら読んでると、ちょっとウルっと来るね
2017年43冊目