投稿元:
レビューを見る
私にとってもっとも重要な出版社は、①晶文社②筑摩書房③みすず書房 の三つの出版社です。
それは私が個人的にめちゃめちゃ大好きでかなりの本を読んでいるというだけでなく、日本の文学・思想・芸術の領域において、穏健な平凡な(多少きつく言ってみれば、誰でもできる安易な)従来の価値観に基づいた延長線上にある正統派的王道本や、もしくは(奇をてらった世間の好奇心だけを頼りの)単なる売らんかな式のベストセラー本を出すのではなく、批評精神あふれる意欲的な新思潮を押して鼓舞し支援する出版社だという風に勝手に思っているからです。
ことに晶文社は、私の三分の一を形造ってもらっているウィリアム・モリスとヴァルター・ベンヤミンと植草甚一の本を出しているというだけでなく、モリスを開眼させてもらった敬愛する小野二郎(一度でもいいから会いたかったと思いますが、残念ながら彼は私が生まれる前の1982年に52歳の若さで身罷っています。当然ながら熱狂的なファンですから全著作を読んでいます)が創設者のひとりでもあるという因縁浅からぬ出版社でもあります。高校生のときには外神田の旧社屋にこっそり見学に行ったこともありました。
その晶文社が、何故か吉本隆明全集 全38巻+別巻1を出すことを決定し、一冊二冊と出始めました。
別段 出版社がとりわけ晶文社が誰の本を出そうが勝手なのですが、なぜヨシモトタカアキなのか、はて・・・・・? と腑に落ちなかったのですが、因縁が判明しました。
またまたBOOKasahi.com本のニュースなので、恐縮でしかも無断転載ご免なさいですが、いわく・・・・・
○ ○ ○ ○ ○ ○
吉本隆明全集、数奇な刊行 全38巻、7年で完結の「常識外れ」
[文]編集委員・村山正司 [掲載]2014年03月11日
戦後を代表する思想家・詩人の一人吉本隆明が、一昨年3月16日に亡くなって近く三回忌。その直前に『吉本隆明全集』(晶文社)の刊行が始まる。38巻と年譜などの別巻で、7年計画。この出版不況下に、吉本が書いた文章は断簡零墨まで収める方針も、実現までの経緯も、驚きに満ちている。
吉本は生前、『吉本隆明全著作集』(勁草書房)15巻を1968~75年にまとめた。78年には『吉本隆明全著作集(続)』(同)も15巻の予定で始まったが、3巻で中断。版元とトラブルがあったとみられる。
86~88年の著作集『吉本隆明全集撰』(大和書房)も、2巻を残して完結しなかった。
全集の名に真に値する企画を最初に立て、編集作業にも加わるのは吉本の元担当で筑摩書房OBの間宮幹彦さん(69)だ。
晩年の吉本に、年代順で36巻の目次原案を渡したのが2010年8月。吉本は最初、「まだ全集を出す時期ではない」と許可しなかった。しかし後に説得に応じ、間宮さんは11年2月に古巣の筑摩書房に企画書を提出した。しかも25巻に短縮していたが、返事は「できない」。翌年吉本は亡くなった。
この「間宮目次」は吉本の遺族や関係者には知られていた。だが、吉本の没後も、全集は実現しない。次女で作家のよしもとばななさんは一作年12月、その状況をネット上で「予算がどこにもないって言うわけだ。どの会社にもないと」と嘆いた。
それを読んで「あまりに寂しい」と驚き、知人を介して遺族と連絡を取ったのが、晶文社の太田泰弘社長(55)だ。生前の吉本に一度、宴席で励まされて感激したことがあるという。
ただ、晶文社は一度経営危機に陥り、他の出版社社長である太田氏が兼任する形で再建途上にある。年商約3億5千万円。
「失敗したら二十数人の社員を路頭に迷わせる。恐怖はありました。私は元僧侶なので瞑想(めいそう)しまして、修行としてやらせていただこうと決めました」
太田社長は吉本の遺族に間宮目次の話を聞かされ、約1年前に間宮さんと面会する。「資料を拝見して、改めてビビりました。でも、短縮版でも苦しいのなら、完璧なものを出したい。何度も原価計算はしました。総経費は約2億円です」
他方、間宮さんは「常識を逸脱したことが起こった」と感じたという。晶文社の編集者と共に編集し、収録原稿の解題を書くことになった。
吉本の長女で漫画家のハルノ宵子さんは「できれば生前の父に見せてあげたかった。でも、三回忌前に出せたのは、早かったと思います」と話す。
初年度は3カ月に1巻、次年度からは隔月で発行する。第一回配本は1959~61年の第6巻で、第二回は62~64年の第7巻。当時の代表作である「擬制の終焉」と「丸山真男論」がそれぞれ入る。完結すると、単行本未収録の文章が270編以上となる見込み。第6巻は本体6500円だが、702ページの分厚さだ。書店からの注文を見ながら、初版3千部と張り込んだ。すでに重版も決まっている。
なお、書簡の巻もあり、晶文社は吉本の手紙を所有する人に連絡を呼びかけている。
○ ○ ○ ○ ○ ○
・・・ということなのですが、なんだか今までの晶文社とはちょっと違うなと思いました。
大好きな晶文社が絶対になくなっては困りますが、比較的新設の大学や図書館などは購入するでしょうが、大失敗とはならないかもしれませんが残念ながらそれほどは売れないと思います。
糸井重里や中沢新一の努力があってもです。それにしても中沢新一の『吉本隆明の経済学』(筑摩書房 2014年)では、吉本隆明がほとんど何も言っていないのにあるいは相槌しかしていないのに中沢新一がもっともらしいことを言って話が展開していくのには仰天しましたっけ。
かくいう私は、吉本隆明のすべての単行本と未収録未刊行の雑誌掲載論文を入手して読んできました。いわゆる吉本信者ではありませんが、あるとき神田の古本屋で破格の値段で見つけたので勁草書房版の著作集 全15巻もあることはあります。
私は、一応は彼に魅かれるところあって全著書を読むことのみならず講演会に行ったりCDを聞いたりよいしょのレビューを書いたりしたことがありますが、実際は未消化の表現やたとえ講演でより解凍しようと努力している風にみえるとしても未思想化・未構築ゆえの晦渋な文章にズッと辟易し続けていました。
だいたいが難解なばかりでわかる奴だけついて来いなんてなんて恥知らずなんでしょう。思想家こそエンターテインメントであらねばならないって、平岡正明も���こかで喝破していませんでしたか。
彼をいま全面的に批判して戦後最大の思想家などという神話を粉々にする必要を感じはしますが、私には残念ながらいま彼を全面的に批判する力量も時間もありません。
おそらく80年代以降、彼は変節してしまってその著作にはほとんど説得性がないというのが今の私の判断ですが、圧倒的なこの吉本隆明神話の全盛期に、奇特にもきちんと批判している人がいます。
全著作を発表順から順々に読んでいって、60年安保も68年革命も知らない私ですが、読破した後に不満が募ってこれらの本を読んで、そうだそうだ、異議なし!なんて叫んだものです。
よろしければ、ご参考までに
絓 秀実『吉本隆明の時代』(作品社 2008年)
土井淑平『反核・反原発・エコロジー ― 吉本隆明の政治思想批判 ― 』(批評社 1986年)
『原発と御用学者 ― 湯川秀樹から吉本隆明まで― 』(三一書房 2012年)
『知の虚 人・吉本隆明―戦後思想の総決算』(編集工房 朔 2013年)
姜尚中(政治学者)「大衆に寄り添うがゆえの変貌 / 丸山よりも近代主義者」
2012年3月27日 朝日新聞夕刊 文芸時評
ひょっとして大好きな晶文社の一大事業を邪魔することになりかねない余計な一文ですが、お許し下さい。そもそも吉本隆明の本を新しく出そうという発想自体がもはやハズレなのだと思います。でも修業って言われたら返す言葉もありません。
残念ながら私あての吉本隆明の3通の手紙は差し出しません。これをもって未完成全集なんちゃって、ふざけてご免なさい。もっとも今どこにあるか思い出せないというのが本当のところなのですが。
でも、やっぱり私の好きな晶文社。潰れちゃ困るので、私が利用している23箇所の図書館の司書さんや館長に強く勧めて購入してもらうようにします。
それから、企画や内容を確認していないので申し訳ありませんが、できれば別巻に吉本隆明批判集を付け加えれば最高の企画なのになと思いますが。
それにしても、いま民主主義の国 日本で、ましてや言論云々をまともに問題にするべき出版業界において、恐ろしいことが起きる前兆ではないかと思われるほど、何か不吉なおかしな兆候が次々と表面化してきています。
百田尚樹『殉愛』嘘だらけ問題での新潮や文春の擁護、曽野綾子のアパルトヘイト導入提唱問題での出版界全体ことに文春(文藝春秋)や週刊ポスト(小学館)やFLASH(光文社)の擁護、会社の方針や著者や取引先の悪口を言うなとして在日朝鮮人社員の就業規則改悪を行ない、しかもそれを扇動する右翼・国家主義者を自認する佐藤優を丁重に起用する岩波書店などという信じられないことが頻発しているのです。
どうやらおかしくなって来つつあるのは政府自民党だけではない様子ですね。