紙の本
どこまで本当か分からない「20世紀最後の真実」の種本
2021/07/04 00:17
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投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
落合信彦が「20世紀最後の真実」を書き飛ばす際に使った種本。ネオナチが主張するところの「ホロコースト否定論」を取り上げるはずなのに、ブルガリア出身のユダヤ人作家が書いた本を使うのは矛盾するような気がする。英語で読める「第四帝国」ものの本がなかったのだろうか?
「エルサレム〈以前〉のアイヒマン」の著者は「安っぽい大衆向け読み物のような体裁であったが、彼は歴史家として名声を得ていた」、またフリッツ・バウアーについて初めて言及したとある。ただし1938年生まれの人が「ベン=グリオンの腹心の友」になれるのかどうか。
この本の復讐物語については「ホロコースト大事典」に「アバ・コヴネルがニュルンベルク近くの収容所のドイツ人戦争捕虜の毒殺を図って失敗した事」を「体系だった報復」の「ただひとつの例外」として記述しているので、ある程度は事実を反映しているのかもしれない。しかし、本当に殺したのはゲットーのユダヤ人評議会の関係者やユダヤ人警官、密告者、強制収容所のカポ-だったのではないか?、という気がする。戦後のドイツやオーストリアは評判のよくないSS隊員が実名を名乗って娑婆で生活出来るような時代ではないし。責任を負うべきSS関係者やアドルフ・ガラントのような失業して仕事をする為にアルゼンチンに行こうとした人を送り届ける国際赤十字なりカトリック教会の関係者を血祭りに挙げたら、大問題になるだろうから、分かっていてもしなかっただろうが。
「マルティン・ボルマンの逃亡劇」は勿論、伝聞を元にしたフィクションだ。アルゼンチンで雇用されたから、といって、ガラントやバウムバッハが「南米に隠し財産を運んだ」とはちょっとありそうもない。中にはオットー・スコルツェニーのように著者自身が「モサド・ファイル」で書いたようにエジプトのミサイル開発の情報を入手する為にモサドがエージェントとして起用している例もある。「復讐者たち」が出版された時点ではスコルツェニーは生きているので、そういう事は知っていても書かないだろう。
バー=ゾウバーより1つ年下でブルガリア人のトドロフの「善のはかなさ」は少なくとも1941年時点のブルガリア王国の国境内でのユダヤ人は強制収容所送りにされなかった事を書いている。何故、バー=ゾウバーは自分自身が本当にブルガリアで「ユダヤ人問題の最終的解決」が適応されていたら、誰かに匿われるか何か幸運に恵まれない限り、年齢的に見て、まず生きていないはずなのに、事実に反する事を書くのだろうか?
紙の本
終わりなき復讐の連鎖
2016/08/29 00:57
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投稿者:テトラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
第二次大戦にヒトラーと云う1人の男の狂気から始まった世界的なユダヤ人大虐殺は本書によれば最終的に570万人以上もの犠牲者を生み出した。
しかし第二次大戦ナチスによって大虐殺と迫害の日々を強いられたユダヤ人は、黙って虐待に耐える民族ではなかった。彼らはその借りを返しに、屈辱を晴らすためにナチスの残党狩りを世界規模で始めたのだった。
日本人ならば第二次大戦でアメリカに原爆まで落とされ、国家を揺るがされる大打撃を受けながらも、かつての敵に復讐しようとはせず、寧ろ国の復興に精を出し、驚異的な高度経済成長によって奇跡的とも云える復興を成し得たが、ユダヤ人やムスリムは過去の遺恨をそのままにはせず、「目には目を、歯には歯を」の精神で執拗な仕返しを行うのだ。
それによって最終的に報復に成功したナチス残党の数は1000~2000人に上った。しかしそれは上に書いたユダヤ人犠牲者の数とは全く収支が合わない。やられたらやり返すの精神であるユダヤ人にしては実に少ない数だ。しかしそれこそユダヤ人社会が文化的になった証拠だと作者は述べる。そしてこれらの復讐を少なくしたのはイスラエル建国があったからだと作者は指摘する。イスラエル建国が苦難と苦闘の産物であることは同じ作者の『モサド・ファイル』やフランク・シェッツィングの『緊急速報』で語られた通りだ。この障害の多さこそがユダヤ人に復讐に没頭する機会を奪ったと作者は見ている。しかしこの建国もまた周辺諸国との戦いの日々であったことを知る今では単にターゲットがナチスから周辺のアラブ諸国になったに過ぎないと思うのは私だけだろうか。
そしてこれら俎上に挙げられた復讐譚が果たして是なのかと云えば甚だ疑問だ。それは正義や道徳心から起こる疑問ではない。それぞれの国に様々な民族がおり、彼ら彼女らのDNAに刻まれた価値観は一民族である日本人の尺度で測るのは寧ろおこがましいと云えるだろう。
私が疑問に思うのは上に書いたように過去に生きるのではなく、未来に目を向け、民族の復興と更なる繁栄を目指すべきではなかったかということだ。暴力が生むのは暴力しかなく、復讐もまた然りである。そんな人的資源の消耗戦としか思えない復讐の螺旋に固執することでこの民族の復興はかなり遅れたのではないかと思えてならない。
本書は世界で隠密裏に起きた暗殺の歴史を綴ったものであるが、大規模に行われたテロの歴史でもある。つまりこれはテロ側から自分たちの行為の正当性を語ったドキュメンタリーでもあるのだ。
ここに書かれているユダヤ人達へのナチスの陰惨な迫害は筆舌に尽くしがたい物があるのは認めよう。アドルフ・アイヒマン、ヨーゼフ・メンゲレらが行った想像を絶する、もはや悪魔の所業としか思えない数々の残虐行為は自分の家族が同じような方法で殺されたならば、私も一生拭いきれない恨みを抱く事だろう。それでも私は上に書いたように納得できない。いわれのない大量虐殺を強いられた民族の復讐心は解るが、「やられたらやり返す」では蛮族たちの理論であり、近代国家のやるべき方法ではないからだ。
今韓国や中国で反日感情を植え付ける教育が学校でなされており、今の若者に日本に対する抵抗心を持たせているが、これもドイツ人がユダヤ人に抱いた思想に重なる物を感じ、戦慄を覚えざるを得ない。
ドイツ人がユダヤ人を虐殺し、戦争終結後、今度はユダヤ人がドイツ人を追って暗殺する。そして今度はアジアでも同じことが起きようとするのかもしれない。残念ながらマイケル・バー=ゾウハーが本書を綴った60年代から世界は何も進歩していない。
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まず、史実を知ら無さ過ぎた。アウシュビッツ等の単語としては聞いたことがある程度で知っていた。が、それだけ。ユダヤ人が大戦末期から復讐のために動きはじめていたこと、戦後20年以上追い続け、実行し続けていたことは全くしらなかった(最近も何かあったような)。南米に確かに独系の場があるという印象があるが、本書で妙な繋がりを感じてしまった。
復讐の是非論はさておき、何とも表現のしようのない、気分のそれほど良くない読後感がある。単なる外野からの感想なのだが、こういう史実があるということに、平々凡々と暮らす一日本人はショックを受けた。
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第二次大戦後、身分を隠し、名前を変え、連合軍の追跡を逃れた元ナチ兵士や協力者を探し、ある時は法の裁きを受けさせ、ある時は自ら「正義」を実行することを選んだナチハンター=復讐者たちに取材したノンフィクション。
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ナチ党が実権を握りユダヤ人に対する迫害を始めたのが1933年、多くのシナゴーグが焼き討ちされた「水晶の夜」が5年後の1938年、ユダヤ人問題の最終的解決策が採択されたのが1942年でこの時には既にアウシュビッツなどにガス室が設置されていた。ナチに抹殺されたユダヤ人は600万人、それに対してユダヤ人の復讐者達が処刑したナチは"わずか"千人から2千人である。ニュルンベルク裁判にはユダヤ人の代表はおらず、迫害されたユダヤ人の意思は反映されなかった。ユダヤ人達の復讐者の多くはマイケル・バー=ゾウハーによると正義を愛する高潔な男達である。無差別の報復攻撃は行わず、個人的な復讐ではなくユダヤ民族全体のための復讐であったと。またナチの戦犯の多くが逃げおおせていたのも事実だ。
1945年5月パレスチナからの志願兵によるユダヤ旅団は観閲式を行った。そこで読み上げられたドイツに赴くユダヤ兵の十二戒は「ユダヤ兵は、殺された600万人の同胞を忘れてはならない。」から始まる。復讐に燃えるユダヤ兵だがイタリアに留まるようにとの命令が下された。イギリス軍司令部が面倒を起こさないようにと小さな町に送ったのだ。しかしこの旅団の中に秘密の復讐者グループが生まれ後にイスラエル軍の中核になった地下国防組織ハガナと結びついた。グループは犯罪者であることが証明されながらその対象がユダヤ人だけだったために釈放される可能性のある者に制裁を加えることを決めた。数ヶ月の間ユダヤ旅団の復讐者グループは北イタリアを中心にナチスの残党を探しまくった。ナチの残党が謎の失踪を遂げてもイギリス軍司令部はおそらく見て見ぬふりをしたのだろう。表向きは何もわからないとされた。著者が何人もの復讐者にインタビューをしたところ彼らの全員が例外なく、国家のための歴史的な使命を託されたと感じており、民族全体の代表者であると思っていたようである。ただ中には「復讐の味は格別うまい」と言う気持ちを味わったことを認めるものもいる。
かつてのイスラエル軍総司令官のラスコフ将軍はこう言った。「復讐? ナチの処刑は二の次でした。われわれは旅団に志願したとき、四つの目標を念頭においていました。すなわち、人間としてナチスと闘うこと、ユダヤ人としてナチスと闘うこと、ホロコーストを生き残った人たちを救ってパレスチナに連れていくこと、イスラエル軍の基礎を築くこと、この四つのです。」独立国家イスラエルを誕生させたことが復讐だったと。それにしては今のガザ地区の様子は明らかにやりすぎで今度はユダヤ人が復讐の対象になってもおかしくないとも思える。
第2部ではナチの幹部がアルゼンチンなどの南アメリカやアラブ諸国などにどうやって逃げナチのネットワークで逃亡者をかくまったか、そして第3部ではアドルフ・アイヒマン、マルチン・ボルマン(最新説ではベルリン陥落時に総統地下壕で自殺)、そしてアウシュビッツの主任医師ヨーゼフ・メンゲレ(79年まで逃げ切り海水浴中の心臓発作で死亡)をどうやって探し、追い詰めていくかが描かれている。
この本で一番ショッキングなのは精神病院の婦長の告白かもしれない。突然入ってきたアメリカ人将校に怯えることもなく数人の看護婦が死体置き場へ将校達を案内し、棺に納められたいくつかの死体を見せてこう説明した。「いいえ、私たちが殺したのです。」「わたくしはこの2年間におよそ210人の子供を殺しました。」「この仕事のために毎月350マルクの特別手当をもらっています。わたくしが何か間違いを犯しましたか。わたくしはそう思いませんけど。」この町の住民はこの療養所で何が行われているかよく知っていたが、驚きもせず、怒りも感じていにことも明らかになった。そしてここで働く医師や看護婦のほとんどはナチ党員ではなかった。かれらのうちだれひとりとして罪の意識のかけらも持ち合わせていなかったのである。
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ユダヤ人の迫害関連の2冊目。ナチスに対する復讐劇のノンフィクションもの。ナチスが何をしていたかも垣間見れて興味深い。ニュールンベルク裁判ではユダヤ人の検事がひとりも居らず、ユダヤ人に対する復讐は法ではなされて居らなかった。かえってナチスを守る方向に働いて、ユダヤ人に対しては世界は冷めた(無知ゆえの?)反応だったという事が、当時の雰囲気を知らないものには驚きであった。
バランスを取るために、落合信彦の「20世紀最後の真実」を再読したいと思った。
星四つ。
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戦争の敗色が濃くなってくると、ナチスの高官たちは罪から逃れようと世界中に逃亡した。
ユダヤ人虐殺によって大切なひとを失った多くの人々は、逃げる高官たちを追う。
復讐するために。
ナチスによって苦しめられた人々の中には、復讐を決意するひとも勿論いただろうとは思っていた。
今までそういう人々について書かれたものを読んだことがなかったため、ぼんやりと思っていた虐げられた人々の恨みを今回知ることになった。
不当に傷つけられたひとが、その相手を恨む気持ちは十分に理解できる。
復讐しなければ、その先の人生に踏み出せない。自分が生きるためにもけじめをつけたい。
そういった気持ちは忖度できる。
それでもやはり、復讐というものには虚しさが残る。
戦争というものは、本当に何も生み出さない。悲しみや怒り、憎しみしか生まない。
昔から何度も繰り返された戦争。人間とは歴史から何も学ばない愚かな生き物だ。
ナチス高官の逃亡にはバチカンも大きく関与していた。
これは衝撃を受けると共に、やっぱりと感じた。
障害者の安楽死計画、ユダヤ人迫害、こういった行為を黙認するにとどまらず関与していたという事実は、キリスト教徒であるわたしにはとても哀しく辛い。
バチカンの考えに同調せず、自分の命を賭けて抵抗した司祭たちもいたとは思う。それでもキリスト教徒の手本たるバチカンの態度には落胆する。
キリスト教の歴史で、ユダヤ人が行ったことをわかってはいても。
復讐の色々を読んだ中で印象に残ったひとつがある。
ナチスの人物は、戦中ユダヤ人の所有物を盗んだという疑いに対しては侮辱だと腹を立てる。しかし、ユダヤ人を殺した疑いに対しては命令だったと言い訳はするが侮辱だとは言わない。これは、ユダヤ人を殺害することは不名誉なことだと思っていないことの表れだろう。心のどこかで尊い行いだと信じていた。
これは大変恐ろしい。
ある特定の民族を迫害することの、どこが尊い行いだというのだろう。
ヒトラーをはじめ、ボルマン、メンゲレ、アイヒマンたち。
有名なナチス高官たちは、ある者は自決し、ある者は逃げきり、ある者は執念の追跡によって捕まる。
どのような形で命を終えたとしても、心からの後悔や反省をした者はいなかったのだろうと思う。
最期まで自分には責任はないと思うか、崇高な目的のためだったと信じていただろう。
しかしそれは、彼等が特に邪悪だったり卑怯だったりしたわけではない。きっと誰もがヒトラーやボルマン、メンゲレ、アイヒマンになり得た。
わたしだって、自分は違うと思い込んでいるあなただって。
何度となく繰り返されてきた戦争。
もう今度こそ歴史から学び、繰り返されることのないよう祈る。
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有名な?落合信彦の「20世紀最後の真実」の種本の一つと文中で分かる本。フリッツ・バウアーを初めて紹介した本だと「エルサレム〈以前〉のアイヒマン」にあるが、どうも「盛っている」感じがしてならない。復讐者が殺したという「ドイツ人の戦犯」は実はイスラエルの地に向かおうとした生き残ったゲットーのユダヤ人評議会やユダヤ人警察の関係者だったり強制収容所のカポーだったりして。「モサド・ファイル」にあるようにオットー・スコルツェニーはエジプトでのミサイル開発の情報を仕入れる為にモサドが雇用しているのが実情になるが、まだ本人が生きているのもあって書けない時期の本なので「ヨーロッパで一番危険な男」のままだ。
何故、復讐者達は連合国側と裏取引したので戦犯裁判にかけられなかったカール・ヴォルフ、エーリヒ・フォン・デム・バッハーツェレフスキーとワルシャワ蜂起当時の部下のハインツ・ラインファルトといったSSの将軍達には手出ししないのか?