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ルターの言葉として1950年頃から流布されてきた「たとえ私が明日世界が滅びることを知ったとしても、私はそれでもなお今日リンゴの苗木を植えるであろう」が事実、ルターのものなのか、そしてそれが東西ドイツにおいてどのように引用され、東では政治的に利用されてきたのか、興味深いテーマである。熱狂的な黙示論者に対する冷静な態度を示すことを求めるこの言葉は1950年代の東西対立、核開発、そして70年代の地球環境問題などとともに広まってきたらしい。そして共産圏においても「国家建設への協力を謳う」政治的に有効なメッセージとして利用されたようだ。ルター自身の言葉ではないことは今では明確ながら、ルターの思想<悪くいれば諦め、忍従>そのものとして流布されてきた経緯が明快に分る。1989年三位一体主日(5.21)「正義の実現による平和」集会でのヴァイツゼッカー大統領の放送の言葉が有名な演説を連想させる。「我々は木を植えました。その木は我々に被造物の仲間、兄弟姉妹の絆で結びつけられた被造物の一枝です・・・・友よ、我々はひとつに結束してここで語ったことを行おうではありませんか。我々がたった今語った美しい言葉が大切なのではありません。大切なのは、日々起こされる行動です。それには醒めていることが必要なのです・・・」。