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神格化された空海を、史跡と各著で辿るガイドブック。 藤原道長から始まった権力者達の高野詣の歴史。派生した遍路の歩みなど、濃度の評価は分かれるところだが、この頁数に削ぎ落として、空海とその教え、高野山の成り立ちを纏めたという観点で、本書の役割は充分かと思う。
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空海と題がついていますが、空海そのものの人物伝という感じではなく、日本人の宗教観と弘法大師伝説についてといった感じの本でした。
空海の事績についての論評やら小説的な脚色を想像していたので、少し肩すかしを喰った感じですね。
一次資料が少ないから仕方がないのかな。
そういった意味で中途半端な印象は受けました。
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作家・高村薫が、カメラ片手に空海の足跡を辿りつつ、人物と思想に迫ったこの本には、ハンセン病患者と大師信仰のつながりについての言及がある。もともと四国遍路は、故郷を追われた多くのハンセン病患者が物乞いをして歩く道でもあり、孤独と苦悩の中で育まれた真言宗への信心は、強制隔離後の療養所内に受け継がれた。高村は「この国の大師信仰は、まさにハンセン病患者たちがいてこそ営々と息づいてきたのではないか」と思いをめぐらせ、匹敵するのは東日本大震災の被災地にある祈りぐらいではないか、と書いている。
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空海という日本仏教の礎を作り信仰のカリスマを、高村薫カメラを持って再現するという異色の思索ドキュメント。大地震を経て、仏とは何かという理想、救いとは何かという現実に向き合うことになった。その中心にあったのが、希代のカリスマ空海である。
空海は、漂流しながら福州に到着。杭州や蘇州を抜けて長安まで旅をした。青龍寺には空海の修行の跡が残されている。自分自身が浙江省に5年半いたこともあり、杭州、蘇州、長安(今は西安)に実際に行った感覚では、非常に遠く、非常に厳しい旅だったに違いない。自身の旅は飛行機で行ったけど、それでも大きな旅行だった。彼は中国で何を見て、何を感じたんだろうか。青龍寺で、1000年以上前に想いを馳せたのを覚えている。高村薫さんも、同じ道を通り、空海の目線で何を見たんだろうか。
最澄の天台宗の元である、天台寺も同様に住んでいた浙江省にあった。静かで、田舎にあって、無を感じる寺だった。荘厳華美な真言宗とはずいぶん違う。
空海はなぜ中国の青龍寺で、日本人にも関わらず唯一の跡を継ぎに選ばれたのか。それは、高村薫氏によれば、知識や動きだけの評価ではなく、オーラがあったとする。それが結論かとも思うけれど、きっとそうなんだろうなと思ったり。
治水事業などにも積極的に関わっており、一方で宗教上のカリスマでもある。写真とともに、筆者は様々な場所を訪ねる。その旅自体が、まるで密教の修行のようで、澄んだ水を覗き込むような気持ちになった。
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読むのが早い筈なのにこれには手こずった。
出てくる単語そのものに無知だからにほかならない。
また、多岐に亘っての解説が多く一筋ではないからついていけないこともあ。
相当な仏教史の基礎があってこそ値打ちのある本なのだろう。
浅学ではありすぎるが東寺に行こうと思った。
行く直前にもう一度読まなければなるまい。
写真も多く挿入されていたが同じ事ならグラビアの見やすい美しい頁にして欲しかった。
まあ、ひと言で言って難しすぎた。
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仏像展などを観に行くと、必ず出てくる空海。
ずっとどういう人なのか気になっていました。
しかし、1200年も前のこと。
詳しくはわからないというのが残念。
でも、高村薫さんによればものすごくカリスマ性があったという。
けれどそれゆえ弟子はうまく育たなかった。
仏教を中国から日本に持ち帰った人。
高野山の祖師。
遙か昔も宗教のための営業マンみたいな人がいたというのが面白い。
密教は身体的体験を通して起こる宗教であるというのも改めて勉強になった。
仏教用語が多く、読むのに苦労した、、、
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空海の教義や空海死後の教団の盛衰や変質について秀逸な切れ味がありました。司馬遼太郎の名著「空海の風景」と併せて読むといいのでしょう。高村さんはいきなり本質に迫っていて凄いです。空海の教義や教義がその後発展しなかった理由が少しわかりました。末法と思える現代に仏教が救済力を失っている現状は残念なことです。
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空海、って題名から、空海がっつりかと思えば、後半は真言密教の立ち位置や弘法大師と空海の関係性、らい病と四国巡礼、はてはあの新興宗教との比較批評など、それはそれで、視点としては興味深いものの、概要把握に終始した感がある。まぁ、1200年だから、それもやむなしだし、それくらいだから、読みやすくてよかったとも言える。
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パワースポットとして高野山が人気だったり、子供の頃に弘法大師の様々な逸話を読んだことがあっても、確かに空海の実像についてはほとんど知らない。高村薫さん初のノンフィクションは、二度の震災やオウム事件、ハンセン病など現代日本に起こった事件と空海の生涯とその信仰を重ね合わせて、現代の日本人の「祈り」に迫っている。空海が言葉と身体体験から真言密教を編んでいったというのには興味が引かれた。宗教は時に胡散臭さも感じさせることもあるが、教養や考える糧として利用するというのもありかもしれない。
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図書館で予約して半年くらい待った。
てっきり小説だと思い込んでいたのでビックリした。とてもわかりやすく書かれていたのでよかった。
名越康文先生が真言密教に強く関心を持たれていて、講座で空海の話もよくされたのだが、こちらの知識がほとんどないので、理解がおぼつかないことが多かった。この本を読んで、少し深まった。
もっと、関心があったなら、他の本も読んで、理解を深めればいいものをそこまでの気にはなれない。そもそもどちらかというと、浄土宗、浄土真宗の方が身近なので、そちらの勉強をしたいくらいだ。
高村薫さんが書いてくださったので、空海についての本を読んだわけだから、ありがたいことであった。
メモ
「菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟とす」
大日経に示された大乗仏教のエッセンスの一つ。仏の悟りを得ようとする心を起こし、他人の苦しみや悲しみを自分のものとして寄り添い、苦しんでいる人を救う方法を実践することが究極の目標であるとする教え。16ページ
「秘密曼荼羅十住心論」
「秘蔵宝鑰」
「一切衆生悉有仏性」
生きとし生けるものすべてに仏性がある、の意。75ページ
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歴史としての空海ではなく、伝説としての弘法大師でもない。
高村薫が、多くの文献と取材に基づいて、空海とその密教の実像に迫った一冊。
空海を書くにあたってのアプローチは、塩野七生のローマ人の物語のように。
史実を辿りつつも人物に迫り、しかも、書き手は第三者の位置を離れない。
また、作者の興味は、空海であって空海にとどまらない。密教、空海、弘法大師、そして遍路がどのように歴史のなかで人びとに取り入れられていったかについても明らかにしようと試みる。
結果として、空海を中心とした密教の入門編として優れた一冊になっていると思う。
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人間「空海」を求める著者の紀行文だ。
天才的な宗教家としての側面は残っているけど、実は空海がどんな人なのかを示す資料は殆ど無いのだそうだ。
圧倒的な言語能力が空海を成り立たせていた。これはコトバの強さを操る著者ならではの空海への理解だ。
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小説と思って手に取ったら、違った。
空海個人に迫るのかと思ったら、それも違った。むしろ、空海の死後1200年たった今に至る真言密教の歴史、その変遷、この現代における空海、そして密教の意義、存在価値にまで及ぶ一冊。 現在における真言密教の立ち位置、らい病と四国巡礼、オウム真理教との比較など(それと較べる?って思ったよ・笑)、ちょっと広範囲に話が及び、さすが高村薫と思わせるが、それぞれ深堀り不足の感は否めなかった。
いずれにせよ、思ってた内容と違うことと、宗教的な専門用語の理解不足で、かなり読むのに時間がかかった。
もうひとつ、内容に入り込めなかったのは、著者が空海や真言密教をどれほど良いもの、あるいは価値あるものと判断しているのか、その思い入れっぷりがあまり伝わらなかった。多くの学術書、大学教授の考察を幅広く参照、多角的に人間空海に迫ろうとはするのだが、冷静すぎて、かえって空海の実像から離れる気がしてならなかった。
まぁ、空海ゆかりの土地土地(高野山、京都、四国 etc. さらには中国!)の写真が多く掲載されていてる点は観やすいのだけど、だからといって、紀行文という趣もなく(文章と写真もうまくリンクしてない)、うーん、なんだろう、随筆なのか、学術書なのか、なんなのか。
もうちょっと、落ち着いて読めるときにまた改めて手に取ってみよう。なかば、挫折 orz....
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オームが行っていたヨガや瞑想の身体技法は、修験道や空海以来の日本密教のそれに通じるものである。
密教の身体体験とω真理教のそれにどの程度共通点があるのか、どこがどう違うのか、
変性意識状態になりやすい生来の体質とヨガの特殊な呼吸法が合わさることによって、比較的簡単に神秘体験を得た、
高知県室戸崎で、明星来影す、の圧倒的体験をした若き空海と、オーム信者たちの違いは、自分の体験を言語化し、それをもって衆生救済せんとする宗教者としての強固な意志の有無だけだと言える。
この世の宗教は、ほぼ全て、夢のお告げ、数々の秘跡、憑依、心霊現象、予言など豊富な身体体験を下敷きにして誕生した。空海の持つ並外れた宗教的オーラを、
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文学者司馬遼太郎の空海本も、空海の伝記を書いているようで、実は司馬空海論を展開していたのだが、文学者高村薫の空海本も、評伝のようでいて、実は「新リア王」と同じように、宗教と現代との関係を問うものだった。
阪神大震災以降、著者は宗教に近づいた。知識が邪魔しているのか、まだ何処かの宗教に帰依している様子は見られないが、その理解度は、私如きの浅知恵では及ばない深さまで行っているのは明らか。その深さから見えてくる「現代」が裏テーマである。
よって、この評伝が東日本大震災の被災地から始まり、元オウム真理教信者へのインタビュー、ハンセン病療養施設で終わるのは必然である。特に空海とオウム信者との違いに言及して、その隔たりが、幾つかの決定的な点はあるものの、大きく離れていないことを書いていたのは重要である。
宗教とテロは、いつかこの作家のメインテーマになりそうな気がする。
2015年9月の刊行であるが、読了が今頃になってしまった。図書館に予約して、順番がくるまでナント1年近くかかったからである。とまれ、知識人高村薫に対する根強い人気は、衰えていないということだろう。(因みに、このように書いてAmazonやブクログの書評サイトに載せると、時々ネットから図書館利用のことを書くと本を売る邪魔をするので書かない方がいいですよ、と親切まがいの「助言」を頂くことがある。私はそういう助言は日本人の「根深い業」であり、「罪」だし、やめるべきだと思っている。もし書評サイトから警告が来たならば、私はそれに従う用意がある。しかし一度もそんなものは来たことがない。第三者がいかにも当事者のことを「忖度」しているかのようにして匿名で意見してくる。生活保護受給者を役人の代わりに意見したりするのと同じで、貴方の意見は当事者には迷惑でしかなし、ひいては日本をダメにしている、と言いたい。Amazonならば、本書に関係ないことをダラダラ書くと、そのことで掲載不可になりそうなので、付け足しておくと、本書は、空海評伝を書いているようで、裏のテーマは、実は宗教と日本人の土着精神との関係である。よって、私の「忖度」批判は本書と決して無関係ではないと信じている)