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話が壮大すぎる。
そのため、登場人物一人ひとりにいまいち魅力的でない気がします。
もっと、限定された世界観でも良いので、少しイカレてるけどとっとも魅力的な登場人物たちが活躍するとグッと面白い小説になる気がするのですが。
なにしろ、まだ上巻。下巻まで読んで結論はだしたいと思います。
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11/23 読了。
核戦争後、氷河期が訪れて凍土に覆われた未来のカンザスシティ。生物の死に絶えた世界で人間は人間を食らって生き延びた。やがて牛の遺伝子と人間の遺伝子を掛け合わせた新たな家畜"牛"が食用に普及するに伴い、人肉食は法で裁かれるようになったが、文明の息絶えた世界で貴重な交通手段となる馬に比べ、人間の価値は相変わらず低いままだった。
さながら開拓時代のように、カウボーイ姿の無法者が銃をぶっ放す未来社会で、ベテラン保安官バード・ケイジは機関車から40頭の馬を盗み出したレイン兄弟を追う最中、運命の女コカ・コーラに出逢う。レイン五兄弟の三男ロミオと五男のスノーは、40頭の馬と共に母と兄のいるメキシコへ向かっていた。しかし、メキシコに着くと母を含めそこに住む村の人間は殲滅されていた。彼らは人体に寄生して内部から食らい尽くす謎の虫に侵されていたのだが、虫の感染者を片っ端から殺して北上している黒づくめの集団にとどめを刺された。黒づくめの集団を率いてアメリカに進出し、2万人を抹殺したと言われるジョアン・メロジーヤは、人間の精子を受精した牛から産まれ、例外的にズバ抜けた知能を授かった"ユダの牛"だった。感染力の高い虫を人体ごと殺すジョアンの元には次第に多くの支持者が集まり、核爆発後のクレーターに住んでいたインディアンたちも彼の味方につく。手をこまねいたアメリカ政府は対抗部隊を組織、そのリーダーとなったのは、コーラと息子を虫によって失ったバードだった。
SFなのにカウボーイでインディアンで、基本的にむちゃくちゃ"正しくない"話。全員間違ってて、失敗してて、それでも何かを残そうとしたチンピラたちの話。妻と子どもの仇を取ろうとしている男の前に別の男が立ちはだかって、「お前はおれの母親と兄弟を殺した仇だ」と言い引き金を引く、そういう因果な奴らの話。
いやー、ものすごい好きだった。まずキャラ小説として萌えが詰まってる。特にレイン兄弟は東山さんの小説に出てくる可哀想で可愛いチンピラ大集合!って感じで楽しすぎるし、兄弟の頭文字取ると<G・I・R・L・S>になるとか、もう最高。ロミオ絡みの話がいちいちシェイクスピアなぞってくるのも読んでて楽しみだった。ジョアンはジョアンでめっちゃフランケンシュタインの怪物だし(花嫁に出逢えてよかったね)。バードはコーラに「わたしのおじいちゃん」って呼ばれていちいちキレるのが可愛い。
それに加えて全体が因果応報というか、「こういう風にしか生きられなかった奴らの話」なのが胸に来る。リアリティラインは全然違うけど、佐藤亜紀「ミノタウロス」を思い出すような暴力の連鎖と倦怠感。妻を殺された奴は誰かの妻を殺した過去を持ってるし、兄弟を殺された奴も誰かの兄弟を殺してる、っていう。基本的に同情の余地がない底辺のゴロツキばっかりなんだけど、だからこそ、因果な奴らの行く末にボロボロと涙が出てくる。
そもそもこの世界の前提として核戦争が起きて生き物が死に絶えたという設定があり、「核を生み出した人類が殺した大地を生き返らせるための肥やしになる」という馬鹿デカい因果応報の物語を内包している。だからこれはクソ真面目な反戦小説でありエコ小��でもある。でもその中で人は絶えず罪を犯し続け、絶えず間違い続けている。失敗し続けている。そこに切なくて悲しい人間の本質がある、という物語なのだと思う。
全編通して血と砂埃と硝煙にまみれた男たちの話だったのに、エピローグは一転して老女の目線から拍子抜けするほど平和になった世界のことが語られる。結果的に再び地上に春が訪れることになったが、愛は何も救わなかった。けれど、人が何かを残したいと願うとき、その原動力になるのはいつも愛なんだ、きっと。
関連本:古川日出男「サウンドトラック」、ジョン・クロウリー「エンジン・サマー」、アンナ・カヴァン「氷」
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文明が崩壊した米大陸では、わずかな生物が生き残り、人は人を喰って命を繋いでいたが、やがて人に牛の遺伝子を掛け合わせた「牛」が作られ、人の姿をした家畜が飼われるようになる…。いやー、それってどーよ?とつっこむ暇を与えずにこの世界で進んでいく保安官の追跡劇が上巻を占める。しかし、そんな非情で残酷な世界にさらに大きな事件が起ころうとする予感も。なんだかうまくまとめられないけど、とにかく下巻も読む。
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意欲作であることは認めよう。しかし、いくら何でもここまで登場人物を多くし、設定を複雑にする必要はなかったのではないか。なぜ新潮社は文庫化の際に人物相関図を付けなかったのだろう。不思議だ。最後まで読み切っても何が何だか分からずに消化不良の状態に陥った読者が続出しているのではないか。
間違いなく読者を選ぶ作品である。私は選ばれなかったほうの人であった。
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北方謙三先生も選評で言われていたが、舞台設定が独特で戸惑うところがあるSF冒険小説。アメリカのゾンビドラマのようなグロくて残酷な舞台設定で繰り広げられるドラマ。でも、そんな少し恐い世界に引き込まれてしまいまった。作家のオリジナル性を強く感じられる見たことのない世界の童話。
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中盤から世界観にのめり込んだ。終盤に始まるマルコの章がそれまでに輪をかけて面白く、早く下巻を読みたい。
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読みづらいという声も多いらしいが、サービス精神満点の大娯楽作だった。
登場人物の多さに辟易しないためには、バード、レイン兄弟、ジョアン周りの数名だけ把握してすいすい読めばよい。
私はモブであってもネーミングが面白くて、全員メモを取りながらゆっくり読むことを楽しんだ。
Ⅰではレイン兄弟を追うバードを通じて、荒廃した世界観を味わう。
「明日に向って撃て!」でブッチとキャシディが荒野を延々追われる場面があるが、その舞台を世界荒廃後の荒野に置いた。
人肉食がまだまだ廃れていないという背景もぐっとくる。
Ⅱは打って変わって牛腹と蔑まれたマルコが、蟲の流行から逃れつつ調査する中で、いわば救世主と見做されていく過程。
人間ではないので人生観も異なり、よい意味で冷酷。
蟲の流行した村は焼く。それがⅢへ。
Ⅰでは人生観にまつわるカッコイイ台詞が頻発していたが、Ⅱではカッコイイだけでなく宗教の発生といえるような深い思索が。
またアビアーダ村の移動とともにマジックリアリズムのテイストが入ってくる。ここも面白い。
Ⅲはいってみれば戦争。
ロストテクノロジーも活用して攻め込む討伐隊と、ゲリラ的に応戦する村およびインディアン。
みながみな荒くれでどうしようもない男どもだが、こうしか生きられなかった悲哀、といったものが戦場に美しく散る。容赦なく。
ここにおいて発生する抒情こそが、読書を通じて私が欲しているものだ。
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2241年2月24日のローマ教皇庁の通達文書から始まる。核戦争が原因で地球が壊滅状態になり、運良く生き残った人類は食人で命を繋ぐ。秩序も変わり人類は牛と人間の遺伝子を組み合わせた牛人を食用にするのだが、その中で高い知能を持った牛人のマルコが登場する。上巻では馬泥棒のレイン兄弟を追うバード・ケイジ保安官がメイン。メキシコでは空気感染する蟲の出現で村が滅亡の危機に。ここでマルコが活躍するし、最初のローマ教皇庁の通達文書の意味が分かる。
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「世界は瀕死だが、まだ息絶えちゃいない」。“六・一六”により文明を失ったアメリカ大陸。生き残った者は人と牛を掛け合わせた“牛”を喰って命を繋ぐ。保安官バード・ケイジは、四十頭の馬を強奪したレイン一味を追い、大西部を駆ける。道すがら出逢ったのは運命の女コーラ。凶兆たる蟲の蔓延。荒野に散るのは硬貨より軽い命。小説の面白さ、その全てを装填した新たなる黙示録。