投稿元:
レビューを見る
モーツァルトの「晩年」については、ウィーンの聴衆に飽きられ、多額の債務と貧困の中で、不遇のまま夭逝したというイメージが長く続いたが、本書は近年のモーツァルト像の見直し潮流を反映し、こうした「悲劇の天才」像を全面的に退けている。書名の「四年」とはオーストリア宮廷作曲家任官以降を指し、「冷遇」という通説に対し、当時の宮廷音楽界の財政改革や墺土戦争の影響を前提に、むしろ好待遇であった(サリエリが同地位だった時より倍額近い報酬)ことを明らかにし、「皇帝直属」の地位がモーツァルトに新たな方向性を開くモチベーションを与えたとみなす(「帝室様式」という見方さえ示す)。「死」という結末から遡及して解釈されがちな最晩年の作品(K.595やK.622のような)にも「未来志向」を読み取り、レクイエムでさえも聖シュテファン寺院次期楽長就任を見込んだ野心作と捉える。
楽曲分析、特に未完の「断章」の研究に基づくモーツァルトの作曲方法論の復元は、まさに本書の白眉で、それ自体は説得力があるが、他方で、伝記事項の確定作業においては、史料不足(父レオポルドの死後は近況を明かす書簡が減少する)を逆手に取った仮定・推定も目立ち、「暗い」モーツァルト像を否定したいがために、勇み足もあるように思える(困ると墺土戦争のせいに帰する傾向がある)。こうした推定の中には、K.537の編成の問題(管楽器の過少)に関し、モーツァルトが演奏会で指揮したC・P・E・バッハの「イエスの復活と昇天」と同一編成であることに着目して、同曲の幕間で初演された可能性(つまりピアノ協奏曲への意欲の減退ではなく、演奏上の都合に起因する)の指摘など、思わず膝を打つものもあるが、総じてより精緻な史料批判が必要ではあろう。以上のような問題はあるが、俗説・陰謀論が依然根強いモーツァルト像を刷新する労作であるのは間違いない。