電子書籍
新時代を担う作家たち
2020/04/26 23:00
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投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本文学を牽引し続けている、村上春樹と村上龍のデビュー当時のエピソードが初々しいです。ミュージシャンから小説家に転じた、町田康の世界観にも通じるものがありました。
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図書館で借りて読みました。
しおりに「この本は次にお待ちの方がいらっしゃいます。なるべく早めにお返しください。」とあったので、なるべく早く読みました。
本書は著名な文芸評論家である著者が、新時代を創った作家たちの「デビュー小説」に焦点を当て、その解説だけでなく、その作家の作風や特異性、さらにはその作家の登場した時代背景や現代文学における位置づけなどを論じていて読ませます。
その作家たちとは、村上龍、村上春樹、高橋源一郎、笙野頼子、山田詠美、多和田葉子、川上弘美、町田康。
さすがに有名な作家ばかりで、私も多和田葉子以外の作家のいずれかの作品を読んだことがあり、一部の作家はほとんど偏愛しています(多和田さんには本当にすみません)。
町田康なんて全ての著作を持っているくらいです。
本書を通読して改めて感じたのは、ここに取り上げられている作家はいずれも極めて個性的な作家、もっと云えば唯一無二の作家だということです。
それぞれデビューした小説では、それまで未開だった土地を勇猛果敢に切り開き、文学の地平を広げました。
もっとも新しいものは、いつだって物議を醸します。
本書で取り上げられているデビュー小説のいくつかも、旧世代から戸惑いをもって迎えられ、時には顰蹙を買い、酷い時には非難されました。
それでも本書に取り上げられている作家たちはめげず(気にせず?)に、自分の信じる道を突き進んで現在の地位を築き上げたのです。
心から敬意を払います。
私はそれぞれの作家の書いたデビュー小説の内容はもとより、その文体により強い関心があります。
村上春樹がヴォネガットやブローティガンら米国文学の影響を強く受けたことはよく知られています。
春樹はデビュー小説の「風の歌を聴け」を、はじめリアリズムの様式で書いたそうです(村上春樹著「職業としての小説家」(スイッチ・パブリッシング)にも詳しく書かれています)。
ただ、そうして完成した作品は気に入らなかったそう。
そのため完成した作品を馴染みのある英語で書き、さらにそれを翻訳するという迂遠な道筋を辿ることで、今の文体を生み出しました。
川上弘美(ろみたん)は無名時代に書いた「椰子・椰子」で日記文体を発見し、それがデビュー作の「神様」にもつながり、今のろみたんになりました。
そして、私が尊敬して止まない町田康。
処女作「くっすん大黒」を読んで私はたまげました。
こんな文章アリ?! と。
書き出しだけ紹介しましょう。
「もう三日も飲んでいないのであって、実になんというかやれんよ。ホント。酒を飲ましやがらぬのだもの。ホイスキーやら焼酎やらでいいのだが。あきまへんの? あきまへんの? ほんまに? 一杯だけ。あきまへんの? ええわい。飲ましていらんわい。飲ますな。飲ますなよ。そのかわり、ええか、おれは一生、Wヤングのギャグを言い続けてやる。君がとってもウイスキー。ジーンときちゃうわ。スコッチでいいから頂戴よ。どや。滑って転んでオオイタ県。おまえはアホモリ県。そんなことイワテ県。ええ加減にシガ県。どや。松にツルゲーネフ。あれが金閣寺ドストエフスキー。ほんまやほんまやマヤコフスキー。どや。そろそろ堪忍して欲しいやろ。堪忍して欲しかったら分かったあるやろな。なに? 堪忍していらん? もっとゆうてみいてか? 毒性なおなごやで。あほんだら。どないしても飲まさん、ちゅうねんな。ほなしゃあないわ。寝たるさかい、布団敷きさらせ、あんけらそ」
ふー。
小説って何て大きい器なのだろうと、これを読んだ時ほど思ったことはありません。
読む人によっては「何で、あの作家が入っていないんだ?」と首を傾げる向きもあるでしょうが、私は妥当な人選だと思いました。
図書館には今日返却しますね。
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作者のあとがきにもあるように、文芸評論というジャンルそのものが滅亡している中、正統派の文言評論を書いた書であります。
そりゃ、こういう風に、素人でも評論を全世界に流せるのでありますから、文芸評論家の役割は何なの?というお声もありますが、
その小説、作家に寄り添い、小説を読み解き解釈する文芸評論という仕事を丁寧にやり終えた力作でいらっしゃいます。