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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
京都の歴史を振り返りつつ散歩する本。これと言って真新しいことはなく、定番的な内容。新発見よりも基礎的な事柄のみを編集している。
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<目次>
第1部 都市に生きた人びと
第1章 室町と山鉾の道~町衆と図子
第2章 開化と繁華の道
第3章 清水坂の歴史と景観
第4章 キリシタンの道
第5章 鴨東開発の舞台~岡崎周辺
第2部 京の歴史が動くとき
第6章 大礼の道~皇居から京都御苑へ
第7章 「日本国王」の道~北野と北山を歩く
第8章 災害の痕跡を歩く~鴨川流域をたどる
第9章 志士の道~高瀬川と明治維新
第3部 人が行きかい、物がめぐる
第10章 朝鮮通信使の道~大徳寺から耳塚へ
第11章 牛馬の道~東海道と山科
第12章 古典文学と嵐山・嵯峨野の近代
第13章 幽棲と共生の道を歩く~洛北岩倉
第14章 「京都らしさ」と宇治~世界遺産と文化的
景観
<内容>
京都の歴史をテーマによる「道」をたどる形で描く。観光本とは一線を画しているので、京都の歴史を意識している人にはうってつけか?掘り込みは浅いかもしれないが、巻末に参考文献も多く載るので、興味を持った地域をその文献で追っていくのもよい。
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重厚な史実調査に裏付けられた力作。半可通が語る京都の「裏事情」とは、その厚みにおいて比較にならない。しかし、いかんせん、淡々としたファクトの羅列に終始する記述が多くて読みにくい。とはいえ、今後リファレンスとして何度も読んでいくだろう、貴重な本になった。
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高瀬川は、方広寺の大仏殿造営のために、秀吉によって伏見から五条通までの開削が指示されたが、角倉了以は独自に二条あたりまで開削した。大正時代、南北の幹線道路として各幅する通りが争われたが、1922年に河原町が選ばれたことによって、高瀬川が残されることになった。
京の七口のひとつである荒神口の東側は、近世は聖護院領だったが、明治20年に京都織物株式会社が設立され、現在は京大東南アジア研究所となっている。荒神橋から北東に伸びる志賀越道は、現京大構内で幕末期に尾張藩下屋敷が造られたことによって途切れるが、工学部建築学教室の東側から再び現れる。今出川通・白川通と交差した後、北白川仕伏町にて御蔭通と合流し、琵琶湖の志賀里に至る。