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紙の本
天正十年,信長と朝廷の闘い
2001/06/25 00:00
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投稿者:格 - この投稿者のレビュー一覧を見る
天正十年の半年を描く。前半は信長の生涯初めての大旅行という武田征伐の遠征。何度読んでも武田の最後はみじめなものである。勧修寺晴子という実質東宮夫人(皇太子の夫人)がこの旅に同行し、信長と関係を持っていたとは、かなり荒唐無稽な話のように思われるが、なんらかの根拠があるのだろうか。この晴子の存在が本来のストーリーに影響を与えないのは哀しい。この時代の女性として、せいいっぱいの闘いであったのであろう。
結果は分かっているとはいえ、やはり、読ませる。しかし、近衛前久の闘い。こんなにも簡単に行くのか。信長が前久を頼っていたことにもよるのであろう。それにしても、本能寺の変の謎については、いろいろな見方があるもの。これも有力な説の一つとはいえるかもしれない。秀吉もまた見事。
光秀の心の動きは、書かれてはいる物の、これでは十分とは言えない。直前には、秀吉とのバランスの関係上、信長からかなり気を使われていたという記述もある。『あと10年信長にこの国を任せたら、この国は確実に変わる』とさえ、信じていた光秀である。令旨を受け取ってしまったから、ということなのだろうが、唐突の感は否めない。むしろ、部下の斎藤利三の『時代の歯車を歯車を元に戻すというのでは、天下布武を夢見て戦ってきた将兵が納得いたしませぬ』という言葉が泣かせる。
囲碁の三劫を勝負無しとすることが信長最後の夜の本能寺で、信長の命によるものだったとは。たしか、三劫がこの時におきたことは以前にも読んではいたが。
天皇制について、考えさせられる。歴史を調べてみたくなった。
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