紙の本
ショッピングモール
2023/10/31 17:20
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投稿者:ペンギン - この投稿者のレビュー一覧を見る
ショッピングモールは地域経済を荒廃させるという見方に対抗したい気持ちが前面に出すぎてしまったのかもしれないのが少し残念だ。東浩紀も大山顕も、何かというと「面白い」と言うのが、読んでて興ざめ。確かに、ショッピングモールが地域経済を荒廃させる論は「資本主義は悪だ」というのと似た、狭い見方であると思う。中身というより、多分その力の大きさが問題なのだろう。資金力とか、集客力とか、設計ノウハウとかがすごすぎて悪者呼ばわりされてる。
ショッピングモールのどこがどうすごいのか掘り起こす話は読んでてとても面白かった。自分が今までに行ったショッピングモールや百貨店、スーパーマーケットとか思い出しながら読んだ。バックヤードの話が好きだ。人々の行動パターン、設計者の意図、価値観の変化なんかが見えてくる。
かの偉大な哲学者はこう言ったそうではないか。「汝自身を知れ」と。ショッピングモールを分析することで見えてくるのは、他人を含めた自分の姿であるような気がする。
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東浩紀が運営する「ゲンロンカフェ」(東京・五反田)で2014年に行われた写真家・大山顕(『工場萌え』)との対談を書籍化。世界中のショッピングモールをネタにしながら、都市/公共性のデザインについて考える「放談」そのものの楽しさと、人が快適さを求める欲望を否定しない東の思想的立場が相まって、実に心地よい「自由」を感じさせる内容になっている。
実は「震災」前の2010年にも同じタイトルで座談会が組まれている。北田暁大・南後由和・速水健朗・東浩紀によるもので『思想地図β』創刊号に掲載された。他にも北田・東『東京から考える』(NHKブックス・2007年)、速水『都市と消費とディズニーの夢』(角川oneテーマ21・2012年)、速水・古市憲寿「ショッピングモール化する社会と世界」(『ゲンロンエトセトラ5号』)等、東を中心にショッピングモール論壇が広がっている。現代の「公共」を考える素材として見逃せない。
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シンガポール ヴィヴィオシティ ドバイ ドバイ・モール ミネアポリス モールオブアメリカ
バンコク ターミナル21 1F 東京 2Fロンドン 3F イスタンブール
コンパクトシティ 市街地全体をモールにする
サンディエゴ ホートンプラザ 商業デザインの第一人者 ジョン・ジャーディ 博多のキャナルシティも彼の設計
Flightrader24.com
EPCOT experimental prototype community of tommorrow
地下鉄こそ日本のストリート
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面白い。何かの結論に向かっているという訳ではなく、ショッピングモールとはどんなものなのかという考えを広げていく対談。
よくある議論として、ショッピングモールがやってきて、地元の商店街がさびれた、コミュニティが消えていった、という話がある。しかし都市ではコミュニティに参加できない人もいれば、子育て中のお母さんのように邪魔者扱いされることもある。ショッピングモールはそんなことはないし、時間があるならそこで1日だって過ごせる工夫がある。気楽になれる。
そんなところから副題にある「ユートピア・バックヤード・未来都市」が見えてくる。ディズニーランドとの比較も面白い。議論はいろいろなところに飛んでいく。それを楽しめるこの本もディズニーランド的?
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現状を否定するのではなく、肯定的な要素を探っていく姿勢は大事かと。でも、ショッピングモール的なものが増えていくことに希望を感じさせてくれるようなものではなかった。
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いろいろな気付きを与えてくれる本だと思うが、なぜか内輪受け感を感じる。あとがきにあるようにすべて印象論だからなのかしら。
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(*01)
笑える面白さがある。東氏はあとがきで放談というスタイルについて記しているし、現代知の窮屈さからの動機も語っている。これを受けたところで、大山氏の no evidence というワードはしっくりきている。
21世紀初頭の造園、土木、建築(*02)の分野にあまり穏当でない一石が投じられている。石川氏も含め三氏の日常を考える志向や、日常から考える思考がバックヤードにあっての可笑しさと不穏さとも言えるだろう。
本書では、ツーリズムの問題、ディズニーの問題も大きな話題となっており、東氏のあとがきにあるように、ショッピングモールを考えた、というところには収まっていない。
(*02)
藤村氏のふくしまゲートビレッジの構想が紹介され、大山氏や東氏が土地の文脈から切れている断面を批判している。この批判と、本書の各所で語られるチューブ状のショッピングモールへの驚嘆とがどのように接続してくるかは興味深いところでもある。
ショッピングモールは、ローカルにある既存の文脈、階級、宗教、気候を頑として無視しつつ(*03)、バックヤードを外部に動員させつつ、欲望の景を内部的に具現化しつつ、土産(買物)や記念(見世物)として切り取ったローカルのパッケージをツーリストに配給しつつある筒として捉えられる。
が、土地の文脈の内部化という歴史が問題となった場合に、リアルっぽい外部を擬えた仮構をともなうことになるのだろうか。米のディズニーにおいてはバックヤードの見える化が話題とされ、日(本)のディズニーにおいては伝統的文脈を結果した種選別も笑えた。とすれば、ふくしまについても地形的なセクションのみが土地の文脈の擬制でないし、谷を埋める藤村氏の提案は地下水を汚染水に変身させる事故後の福島第一原発のパロディとしても効いているのではないだろうか。
(*03)
ガン無視というのは真のネグレクトであるか、という問題にも波及するが、無視も無意識とは言えない。さらにガン無視は意識的意図的でもある。
ところで、歴史や場所を倒錯し、砂漠とオアシスが入れ子になり、あるいは焼畑的な管理もとりながら、うしろめたく現れるショッピングモールの構造が楽しかった。ここでショッピングモールから鉱山都市を考えた。
消費の極致にモール性があるなら、生産の極致にもモール性はやはりあるように思える。モダンな人間という物をチューブ状に伸ばした一方に消費的なモールがあるなら、もう一方にもやはり生産的なモールがあるのかもしれない。炭鉱や油田も含め近代的な鉱山は、坑道という地形地質コンシャスなチューブに機械(及びその代用としての人間)、生産物、廃棄物を行ったり来たりさせ、動線を最大限利用した選鉱、精製を経て、加工へとリレーしている。工程の一連化は進むものの、基本的には駅伝制度の微分みたいなものである。
このときノードとなる駅は、流通の筒であると同時に、バックヤードへの漏洩とバックヤードからの浸潤を前提としていて、ともすると節となる駅でのこの呼吸をエネルギーとしていた。鉱山都市の住宅機能や商業機能は、既製コミュニティとも連絡しつつ、節にできた瘤のように、コンパクトにシティせざるを得ないような形にも現れた。
また、地方の道路駅はもともとは地方のためというより交通のためのようでもあり、新大陸の荒野への単線なストリートの現れかたと、中世日本の街村に近い仮設の市場と古代駅伝制のコンプレックスみたいな地方の町の現われ方に、それほどのギャップはない様にも思える。してみれば、地方に律するショッピングモールも伝統的とも文脈的とも言えなくもない。一方で、田んぼ的なナビゲーションシステムの由来は、面的で生産的にストックされる事情にあり、ストリートはストリートでフローとして、日本の田んぼと併存はしていただろう。
ゆえに、直交する複線グリットとしての京都や福岡のプランは、伽藍でもバザールでもなく、労働力や生産力の効率的な管理、言い換えれば権力の平等な収奪と配分、つまりはそこに組み込まれた呪術的な象徴性も含め、ユートピアの志向に由来するものであった。そしてストリート沿いにしか町は成立せず、背面の街区の中央に余白ができてしまったのは、権力の脆弱さに起因したユートピアのありがちな失敗でしかなかったとも読める。古代中国では、むしろこの空白を強大な権力がしれっと利用して獄舎のごとく機能させ、都市住民は知らず知らずのうちに労働力の再生産に紐づけられていた。街区は、人を植物としてみるなら田んぼの様にも機能していたし、人を物とみるなら倉や蔵の様にも機能していた。現代日本の郊外(*04)の機能を都市の街区に集約していたとも言えるのかもしれない。
(*04)
職場の飲み会の流れで、家に二次会以降が持ち込まれる1970年代以降ぐらいの流れは、わずかに自分も記憶しており、あるあるというか、あったあったで、笑えた。
本書でも指摘されていたように、商工の職の伝統的な家内制からサラリーな職住分離への過渡期にあったとも言える。応接の座敷が年長者の寝室になっていったように、ウイスキーが陳列されていた応接のあの洋間は、若い衆のリビングへと、プライベートに傾斜を加えつつもそれぞれ転用されていった。田舎でも来客を座敷に通す様な伝統は、通夜なんかを除いてほとんど消えかかっている。
つまり、家から職が切れる事、ショッピングモールが欲望の対象となる事を絡ませるため、儀礼的な食事がどうなってしまったかを考えたいところである。
保守的な食事儀礼は、バックヤードを家の周りと家を通る交通の先に持っていた。儀礼が薄くなれば、食事は食材のサプライに過ぎなくなるし、農や狩猟や物々交換といった仕入先がこころもとなくなれば、食事は食材に近いところへ寄っていく。食事の外部化と外食化は、ハレの外部化と外在化を引っ張っていき、モールに現実化したというあたり、本書のやりとりにも触れられている。
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巷にあふれるショッピングモール。商店街から人の流れを変えてしっまたことは確かであるが、世界中で支持され、日常となっている。
ショピングモールが作り上げる日常とディズニーランドが作り上げる非日常の対比が今後のあり方を教えてくれる。
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ショッピングモールは内装でできている。
ディズニーワールドの空港からホテルへ
ディズニー以外のことを考えさせないユートピアを保つためにこんだけの設備や情報統制がされてるのかと驚かされる。
ショッピングモールイスラム起源説
ショッピングモールの植物の役割
など新たな知見が沢山ある
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ネット記事を見て関心
【概要】
ショッピングモールに関する座談会4本収録。
モール内空間、都市形成、消費文化等をからめて。
【感想】
思い付きの放談で、読み手のバックグラウンドや考え方によっておもしろいと感じるかは分かれそう。
話は飛び散らかっているが、リファレンスもしっかりつけていて濃さはあった。
都市計画である意味「理想」と考えられるような像を、実際に起こっている現象に照らして相対化できた点で、個人的には価値が大きかった。
極端な切り分けをすると右寄りなのか左寄りなのか。
このくらい視点を別の方向に振ってみるのも、刺激としておもしろい。
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「いい子でありたくない」奴らは政治的正しさを嫌う。その正しさは往々にして暴力的であったり、窮屈であったりするからだ。しかしそれを遠ざけるあまり自分が暴力を振るう側に回るのは、バカが過ぎる。この本はその間を突く心地いい「無責任」さ、丁度いい「愚かさ」に包まれている。好奇心旺盛な子供が人の気持ちに無自覚なように、生まれたての言論は無邪気だ。ノーエビデンスだけど、いや、だから楽しい。この本の実に楽しそうな語り手が読者に求めるのはそのいい加減さの中から光るものを探し出すリテラシーだろう。彼らは語りながら次々とそんなおもちゃを見つけて行く。読んでいて羨ましくなる柔軟さ。さぁみんな、悪い子になろう。
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日本の至るところに乱立する、ショッピングモールほど、見る人の捉え方で760度ぐらい? 変わる空間も無い。利便性の極致から、地域文化を破壊する資本主義の悪の象徴まで…。私も地方に旅行したさいに地方ならではのお店にシャッターが降ろされ、チェーン店オンリーのショッピングモールの巨大な駐車場が立錘の余地なく埋まっている状況を見て毒づいていた口である。
しかし、田舎の母やら他の人と話すと、ショッピングモールを楽しんでいて、不満を感じていない。そういえば東京には典型的なショッピングモールはほとんど無い。地方のシャッター街への嘆きとショッピングモール批判は実は東京人から見た一面的なものかもしれん…と考えたこともある。
本書は日本を代表する現代批評家と言っていい東浩紀氏と、工場や団地など「資本主義の悪」として批判の対象としか捉えられてなかった戦後に生まれた様々な空間を、別の視点からユニークで美しいものとして紹介し続けている大山顕氏が縦横に語りまくる愉しい本だ。
ショッピングモールは現代文明批評のテーマとして決して重箱の隅をつつくような小テーマではなく、人の属性や階層や世代、地域性、消費、空間など現代の様々な問題を包括する一大批評テーマであることを実感する。ひょっとしたら農業問題より大きなテーマかもしれない、少なくとも林業問題よりは大テーマだろう!?。こんなところにこの目の付け方と笑ってしまう箇所も多くあり、ショッピングモールを訪れる際の楽しみができた。強いて言えばもっと深堀り感が欲しい部分もあったが、それは今後の著作での仕事か。
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「ショッピングモール=ストリート=都市」「百貨店=フロア=田んぼ」。シャッター商店街の元凶として悪者役になることの多い、ショッピングモールを、学問として対談でひもといていく。
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ショッピングモールの建築構造や周辺環境などの分析から哲学者と写真家がああでもない、こうでもないと言っている印象の本。
個人的に興味深く感じた点
・本家のディズニーワールドを訪れた東氏の話をきっかけに出てきた、ディズニーとモールの比較から派生した話。
ディズニーランドもショッピングモールも1つの構造物の中に『楽園』を作ろうとする試みという指摘。
・駅やモール内にある構造物としての植物の話
空調設備のきいたモール内が適切な生育環境ではない植物なども施設内には置かれていて、ローテーションで屋外に出してリハビリしているとは驚いた。人は自然をコントロールしているのではなく、自然にコントロールされていると感じた。
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2016.10.13 モールには外部は無いとか、モール性気候とか、イスラム起源説とか、行け行けでとても面白かったが、途中で終わってしまった感じ。本文中にも次がある(たぶん)と書いてあったが、是非続きが読んでみたい。