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紙の本
交響曲の覇権を支えるイデオロギー
2016/07/13 23:23
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投稿者:kapa - この投稿者のレビュー一覧を見る
「音楽テイストの大転換」と同じく、本書の著者にも、先行作品として、「教養の歴史社会学-ドイツ市民社会と音楽」(2003年)があり、その研究をさらに発展させたものとなる。
著者は、「音楽の聴き方」の変化を19世紀ドイツ教養市民層と市民文化の形成の問題として扱っており、この点でも「テイスト」と同じく、「政治過程論」的な分析アプローチをとっている。一方で本書執筆時に、「テイスト」翻訳出版を知らなかったのか、巻末参考文献に原書タイトルで掲載されており、同書の研究結果は、本書第四章「交響曲の正当化と受容」で引用されていることから、問題意識には通底するものがあるといえる。ただ、本書はプログラムの変化だけでなく、音楽の聴き方、「交響曲」のイデオロギー性、さらに音楽の位置づけが模索された〈場〉として「コンサート」も視野に入れている。このいわば「制度」としてのコンサートを近代ヨーロッパの「文化装置」と見なして、音楽の聴衆の変化を考察する。「テイスト」が「プログラム」の変化を通し、聴衆層の変化とその背後にある「政治的権威の全体的な再構築」を「政治過程論」として考察したのに対し、本書は、「プログラム」だけでなく、「コンサート」を取り巻く幅広い関係者・言説も含めて、「政治過程論」ではなく、「哲学的」な考察が特色であるといえる。
前半は「オペラの覇権」が論じられるが、これは「交響曲の覇権」の対抗軸としての位置づけ。しかし、それだけではなく、実はロッシーニのオペラの隆盛が、後のベートーヴェンの交響曲のように、言葉のない器楽作品、「絶対音楽」の聴き方を準備したという関係も明らかにされる。「交響曲」は、当時のヨーロッパ・コンサート・ライフで、「(音楽的)権威の全体的な再構築」として、いわばドイツの音楽帝国主義の先兵としてロマン派文学者の語彙でとなる。各パートが協働して一つの音楽を作り上げるところを、個と共同体の関係として考える「共同体モデル」、さらに器楽音楽である交響曲の構造を理解できる人たちが、社会階層・国籍を超えた一種の知的共同体を形成する「想像共同体モデル」という「共同体」のメタファー・レトリックも使われる。加えて、音楽評論家による「聴き方」教育も総動員され、そのシンボルとしてベートーヴェンの交響曲が「正典化」していくことが描かれる。
クラシック・コンサートを「装置」と考え、出版ビジネスや「著作権」という法制度の寄与もさることながら、プログラムにおける楽曲紹介といった小さな変化にも目配りをした捉え方からすると、毎年日本でも開催される「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」などは、新しい「文化装置」ということになるだろう。
最後に著者は、かつては、「売れる」オペラ編曲譜で稼いで、「売れない」交響曲を広める努力のあったことを紹介する(「テイスト」でも「ヴェルディ、マスネー、あるいはビートルズの音楽を販売して得られた利益によってドビュッシー、シェーンベルク、そしてエリオット・カーターの楽譜を出版した」とある)。要は、このような文化装置を成り立たしめるためには、細分化された聴衆層だけを見るのではなく、音楽全体の構造の中でとらえていくことが重要であり、それが文化の豊かさを構成していくことだ、と強調している。
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