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「なぜたとえを用いて語るのか」という新約聖書のくだりを思い出した。
SFだとか神話だとか言われるけれど、私にとってこれは「祈りの書」であった。
最終章は特に、祈りの言葉そのものであって、この章を読めたことだけでもう、涙が出そうだった。主人公2人の名前が既に有名な祈りの文句の一部であり、そういう意味でもやっぱりこれは、長い長い祈りの言葉なのだ。
で、「なぜたとえを用いて語るのか」ということだけれど、有り体に言えば、「聞く耳を持たない分からず屋には直接言っても無駄である」ということである。酷く冷たい物言いのようだけれど、たとえを用いることの一次的な意味はこれだろう。
それからもう一つ。たとえて話すことでそのことがらは抽象化され、普遍化されて、誰にでも当てはまる物語になる。そして、その時は意味が分からなくても、いつかある時に突然、天啓のようなタイミングで「こういうことだったのか」と分かる時が来るのだ。これは小説を読むことが好きな人ならば、誰でも経験したことがあるはずだ。だってこれこそが、小説とともに生きるということの醍醐味なのだから。
そう考えると、あらゆる小説はそもそも「たとえを用いて語られている」何らかの物語であって、
それを語るその人の、切実な祈りであるのかも知れない。
この小説の中では、「運命」の章で「比喩」について書かれている。曰く、
「比喩を使用するということは、私にとって不可能な営為、すなわち「混沌とする」、というあなたたち特有の営為を、一瞬疑似体験することにも似たこころみなのです。」
うん、なんだかよくわからない。
けれど、いつかこの小説に書かれていることがらも、「ああ、こういうことだったのか」と天啓のように理解できる時が来るのだろう。
その時すでに、手遅れでないことを祈る。
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連作短編集。
メルヘンチックな話かとノンキに読んでいたら、人工知能やクローンなどの理系の話だった。
SF!
川上弘美さんらしい話だった。私は、ちょっと苦手系で。頭悪いんだと思う。
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連作短編集。なんだか人類らしからぬ生き物が次々に出てきて、でもなめらかで〜みたいに好きないっぺんが出てくるかしらと読んでいたけど、最後にわかりそうでわからない感じにまとまって、うーん。
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クローン人間とか、動物との掛け合わせで誕生した人間なのか新人類なのか。設定が未来過ぎて全く持って理解や共感を得られず途中で断念しそうでしが、なんとか読了。もしも、川上さんのこのような本の世界が未来にあるとするなら、それは今現在の人類として希望のある話なんだろうか、と。そんな事をぼんやりと考えてはみたけれど、やはり全然この世界観をこの先も一生理解できないだろうなぁ、と。
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川上弘美的創世記、あるいは予言の書。
最初の章では牧歌的な世界の描写のなかにも不気味さを潜ませる話が展開してゆく。
その後に続く各章の独立した時空間はどれも亜空間的に現実離れしているが、各章を読み進めるにしたがって、各章が綿密に連携していることが分かってくる。
やがて、ミトコンドリア共生をも彷彿とさせる語りの中で、人(人間、人類)の弱点、欠点、不条理が炙り出されてゆく。
「あなたたち」と語りかける「わたし」とは誰なのか。そして、また再び初章の牧歌的な世界が語られる。
(内容紹介)
遠く遙かな未来、滅亡の危機に瀕した人類は、「母」のもと小さなグループに分かれて暮らしていた。異なるグループの人間が交雑したときに、、新しい遺伝子を持つ人間──いわば進化する可能性のある人間の誕生を願って。彼らは、進化を期待し、それによって種の存続を目指したのだった。
しかし、それは、本当に人類が選びとった世界だったのだろうか?
絶望的ながら、どこかなつかしく牧歌的な未来世界。かすかな光を希求する人間の行く末を暗示した川上弘美の「新しい神話」
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ちょっと苦手なSFファンタジーとは知らずに。この世界観に入り込めないが、人工知能やクローンに席巻されリアル人間は消滅していくことを危惧してしまう。我々の業への警告か。装丁は今をときめく名久井直子さん。
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遠く遙かな未来、滅亡の危機に瀕した人類は、「母」のもと小さなグループに分かれて暮らしていた。異なるグループの人間が交雑したときに、、新しい遺伝子を持つ人間──いわば進化する可能性のある人間の誕生を願って。彼らは、進化を期待し、それによって種の存続を目指したのだった。
しかし、それは、本当に人類が選びとった世界だったのだろうか?
絶望的ながら、どこかなつかしく牧歌的な未来世界。かすかな光を希求する人間の行く末を暗示した川上弘美の「新しい神話」
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遠い未来の物語、ということなのだが、遥か太古から絶えず繰り返してきた生命の営みのようにも思われて、他人事とは思えず、味わい深い。人は、同じようなことを繰り返していると思っているが、実は少しずつ、大きな力に操られるように道を逸れて違う世界に足を踏み入れているのかもしれない。そして、最初の内こそ抱いていた違和感をも呑み込んで、何事もなかったように別の生き方を始めるのである。それさえもいま現在の人間社会を見せられているようで、背筋が寒くなる心地でもある。誰もが諍いなく平和に穏やかに暮らしたいと願っているわけでもなさそうである。含むところが深い一冊である。
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不思議な物語であるけれど、川上弘美でなければ描けない世界でした。
必死に想像力を働かせて読みましたが、私は切れ切れに何冊かの本を同時進行するので、こういう読み方だと、最後になってまたもう一度読み返さないとわからないことも多かったです。(かといって、一気に読むには疲れます)
私はこの中の誰にも感情移入ができないまま、淡々と、未来が描かれていくのを、ちょっと怖ろしいと思いつつ、見守るしかありませんでした。
いや、彼らはそれぞれの「日常」をおくっているにすぎないのですが、ことばのマジックで、こんなにもファンタジックに未来が描かれるのですね。
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リアリティあるファンタジー
プラス生物学?
....な感じ。
自分の中にある生物(特に同種であるヒト)に対して”こうあるべき”という思い込みのようなエゴのようなものを実感しました。
最後まで読むと、また、初めから世界が始まります。
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著者得意のゆるくつながって行く連作短編集。
静謐に語られる滅び行く人類の年代記。
人類の最後の一人が作り上げた箱庭のような世界とそこに住まう新人類は、新たなる希望なのだろうか?それとも人類同様にむなしく滅んでいく存在だろうか?
私には、著者の静かな諦念が感じられてならない。
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『「それは、カイラが特別だからよ」「特別?」「あなたは、ほんとうに人間らしい人間なのよ。あなたは何かを生みだす。そして、生みだすものより多くのものを破壊する」「ほんとうに人間らしい人間」って何だろう』ー『変化』
川上弘美のメッセージ性をほとんど意識したことがない。川上弘美の特徴はと言えば、意識の表面に浮き上がるか上がらないかのぎりぎりで形造る泡沫のように慎重に言葉の内に押し留められている思い、ということになるだろうか。それ故、川上弘美を読む時、決して急いで読み飛ばしたりしてはいけない。泡沫は呆気なくこわれる。理屈で解るのではなく、言葉の指し示す先をそっと観察するように、慎重に辿らなければならない。光と影の淡いを見極めようとすれば境はただ曖昧になるばかり。しかしこの作品は言葉が強く何かを示唆する。そのベクトルの大きさに作家の思いの強さを見る。
冒頭に置かれた作品を岸本佐知子編「変愛小説集ー日本作家編」で読んだ時、これはいわゆる核の冬後の話だなとは思ったけれど、そんなことより、作家の初期の作品の雰囲気に似た、固有名詞のない世界観を懐かしく思いながら読んでしまった。もっと大きな物語が背後にあったとしても、一瞬だけすれ違いざまに垣間見たパラレルワールドのごく短く切り取られた物語を読むように、その起承転結は想像の地平の彼岸にあって知るすべがない。そんな風に投げ出された空想科学小説的な趣は、まさに踏んだ蛇が人になって部屋に居着く小説でデビューした川上弘美らしい、とすら思ってしまっていた。まさか、この短篇からこんな風に発展するとは、いや、発展させるとは思いもよらなかった。
最近の「東京日記」で作家が嘆くのを見て更に思いを強くするのだけれど、川上弘美はついに人というものに対する根本的な信頼を失ったのかなと思ったりする。この作品でもそうだけれど、作家の人に対する視線は、互いに干渉し合うものに対する視線というより、生物学者が観察対象に対して投げ掛けるそれに近いのじゃないだろうか。更に言うならば、その視線は冷静さを通り越して冷酷さの温度感がある。作中に登場する母の視線は、育むもののそれのようでいて冷静な観察者の視線のよう。それが川上弘美の立ち位置なのだろう、と自然に得心する。
メッセージ性ということをほとんど感じたことはないと言ったけれど、ほぼ唯一の例外は「神様2011」だ。デビュー作品を改変してまで訴えたい川上弘美の怒りがその作品からは放射されていた。それ故、その残存放射線が本書の隅々にまで伝播するのを感じる。遺伝子を変えてしまうほどの危うい環境。それを正面から受け止めるそんな世界が展開するのだなと読んでしまう。しかし終盤に向かうに従って、ことはそれ程に単純ではないということが見えてくる。核の冬はあったのかも知れないが、それを作り出した兵器ではなく、それを使用してしまった人間が凶弾されているのだと。作家の絶望感が伝わってくるかのような錯覚を覚える。
とは言え、そう言う自分だって世の中を信じていたりはしない。自分のバイオリズムと完全に切り放されたものとして、世の中を、そして其所に巣食う人間を捉えていることもあるし、怒りを覚えることもある。でもどこかできっと信じてもいるのだろう。そんな風にねじ曲がった思いが時を越え昨日の自分に語りかける。選び取れたかも知れない自分の知らない空間での自分らしさに。エピローグが隠喩的に示す創造主と人の関係の入れ子の連鎖が、どこか「マトリックス」を彷彿とさせ、無数の可能性の具現化した並行する自分をイメージさせられる。それを見つめる自分の視線は、冷めた視線なのか、あるいはわずかな希望に賭ける視線なのか。作家のオープンエンドな問い掛けを重く受け止める。
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文芸は嫌いではないけれど、これはどうしても好きになれなかった。
好みの問題。
あまりにも置いていかれているような気がした。
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穏やかな物語のはじまりのなかに、どこか現代社会との隔たりを感じる。そこは、現代の形を持った人類が滅びた社会を想像させる。
人々は静かに、ただし、規律を持って暮らしている。
この社会に暮らす様々な登場人物が旅立っていき、そして出会う場で、なんとなく全体の姿が見えてくる。
そして、その世界の先に、この世界がはじまったきっかけと、この世界の先にある世界の姿が垣間見えてくる。
大きな流れの中で...
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種としての人類、個としての人間、人工知能。
それらの過去、未来?
あぁ・・・と思ったり、夢物語と思ったり。
不思議なストーリーでした。
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未来の地球の話。
でもこれは未来ではく過去にあった話なのかも・・・
と思ったりするとまた違う世界観が見えてきてとても想像力を掻き立てられる。
いつかはこう言う時代がくるのか、それとも実は今の世界はこの話にある過去を超えた未来の今なのか。
なんとも不思議な世界観のある本だった。